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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第二部 二人の男の数奇な関係
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3-6 失踪

       ◆


 その話を聞いた時、俺ははっきり言って仰天した。

 事実とは思えなかったし、どんな背景があるのか、想像もつかなかった。

 それはカスミーユも同様のようだったが、彼女はすぐに普段通りの彼女へ戻り、「ファルス、イダサ殿を呼んで来い」と言った。その結果、赤の隊の野営地で剣聖二人が対面し、和やかな時間ができたわけだが、イダサには申し訳ないことに、この会合は厄介ごとの始末をどうするかの、相談の場なのだった。

 俺がルーカスを連れて行くと、イダサもさすがに困惑を隠せないようだった。ルーカスの雰囲気が尋常ではないのも、彼は感じ取っただろう。

「イダサ殿、これはまだ大勢が知ることではないが」

 カスミーユがそう切り出すと、イダサは彼女に向き直った。カスミーユは器を揺らしながら、眉を寄せている。器の中のお茶が苦い、という風にとれないこともないが、そんなわけもない。

「実はな、ベッテンコード殿が姿を消した」

 放心状態、というのはこういうことを言うのだろう。

 イダサは言葉の意味を理解しようとし、どこにも辿り着かずに、ただ言葉を失っていた。

 おおよそ、俺と同じ反応だ。

 それもそうだ。俺とファルスは同時期にベッテンコードの指導を受け、きっと似たり寄ったりのベッテンコードのイメージを持っている。

 あの老人が、いきなり姿を消す理由がわからない。

 むしろ、どんな理由があろうと、あの老人が姿を消すことなどありえないとさえ思える。

「ルーカス、説明を」

 はっ、と短く返事をすると、ルーカスは顔を上げないまま、起こったこと、知っていることを淡々と口にした。

 といっても、ある朝、稽古の場にベッテンコードが現れず、稽古の時間の後に姿を探したが見当たらず、私室にも姿がなかった。黒の隊で捜索を始め、しかしどこにも痕跡がなく、つまりベッテンコードが蒸発してしまった、ということになる。

「何か理由になりそうなことはありましたか」

 幾分、冷静さを取り戻したイダサの問いかけに「ございません」とルーカスが答える。悔しさが滲む口調だった。

「最大の問題は」

 カスミーユが口を挟む。

「ベッテンコード殿が聖剣を持って逃げたことだ」

 これは先ほどの衝撃より何倍も強かっただろう。

 イダサはまるでカスミーユの正気を確かめるような目で彼女を見て、彼女が答えないと、次に視線をルーカスに向けた。ルーカスも無言である。二人は言葉を一切、発さずにイダサに話の内容が事実だと理解させた。

「まさか……」

 イダサが呟くが、それ以上の言葉は出てこないようだ。俺も初めて知った時は似たような有り様で、カスミーユに罵倒された。さすがに同格の剣聖という立場もあってか、カスミーユはイダサを罵倒しなかったが。

「唯一絶対の原則として」

 カスミーユがいっそ、冷淡な口調で言うのに、イダサが吸い込まれるように視線を彼女に向ける。

「聖剣の持ち主は一人しかいない。つまり今もおそらく彼の聖剣、破砕剣はベッテンコード殿しか鞘から抜くことができない。ベッテンコード殿が生きている限り、他のものは使えない道理は回避できないはずだ。そして仮にベッテンコード殿が何らかの形で亡くなったとしても、次の聖剣の所有者が誰になるかはベッテンコード殿の自由にはならないと思われる」

「それは」

 イダサの思考も回復してきたようだ。

「ベッテンコード殿は聖剣を誰かに譲るような意図はない、ということですね」

「それは知らん。もしかしたら他の国と通じていて聖剣をソダリア王国から流出させるつもりかもしれん」

 これにルーカスがやおら立ち上がったが、カスミーユは「冗談だ」と唸るように言って、彼を下がらせた。カスミーユはカスミーユで、苛立っているのである。

「わかったことは二つ。ベッテンコード殿はいずこかへ出奔され、行方不明。そして、破砕剣もまた行方不明、ということだ。これは国王陛下を始め、国を統治する方々には報告しなければならん」

 苦り切ったカスミーユの言葉に、イダサが頷く。そのイダサにカスミーユは嘆かわしげにため息を吐いて見せた。

「もしリフヌガードが生きていれば、その役目を押し付けるのだが、イダサ殿に押し付けるわけにはいくまい。まぁ、一緒に出頭し、一緒に火中の栗を拾うとしよう」

「火中の栗を拾う?」

「ルーカスたちをこのままにはできんだろう」

 カスミーユの言葉に、イダサが頷く。

「黒の隊をどうやって存続させるおつもりですか?」

「一度、解体する」

 今日何度目のかの驚きに、イダサは少し目を大きくした。事前にカスミーユから腹案を聞かされていた俺は、今は冷静でいられる。それでもカスミーユの提案は強引すぎるのは間違いない。

 イダサがそこを確認する。

「解体、ですか?」

「実際には、ベッテンコード殿を捜索する任務を与えて、全てを王都から出す。イダサ殿には実感がないだろうが、剣聖騎士団は常に難しい立場にある。国の武力である王国軍とも、国王陛下のそばに控える近衛兵団とも距離を置く、独立気質のある武力なのだ。我々を統治する方々に、余計な不安を抱かせるべきではない。例えば、赤の隊が黒の隊の隊員を引き受ける、などという可能性はありえない。緑の隊にも、移せまい。なら、放り出した形で、いつでも再集結が可能にする」

 そうですね、と答えながらイダサはイダサで考えているようだった。

 このカスミーユの意見は、俺も事前にどう思うか意見を求められた。俺としては文句は一つもない。黒の隊の剣術の使い手たちは一騎当千で、それは自分の手の中にあれば強力な刃ではあるが、自分の手を離れてしまうと恐怖の対象となる。

 ベッテンコードが戻ってくるにせよ、来ないにせよ、今のままでは黒の隊が本当の意味で解散させられることもありそうだった。カスミーユが言う通り、剣聖騎士団を取り巻く政治的な均衡は、絶対の安定とは程遠いだろう。

「カスミーユ殿の意見に従います」

 イダサがそう言って了承してから、話し合いは具体的なものになった。

 剣聖二人で黒の隊を王国中に分散させ、ベッテンコードの捜索を任せると提案する。

 黒の隊のものは国の支援を受けず、自立的に捜索任務を行う。

 そして、栗の隊のものは常に少数で行動し、決して戦力を集結させない。

 そのようなことが決まる頃には、日が暮れかかっていた。

「今夜は野営地に泊まるといい。飯は不味いし、夜襲を想定した訓練で騒がしいがな」

 カスミーユの言葉にイダサは少し笑みを返し、ミューラーに何か指示をした。炊き出しを手伝うように言ったのかもしれない。彼が出て行き、イダサは今度はルーカスに声をかけていた。実に気配りのできる剣聖である。

 カスミーユは俺の同席はもう必要ないと見たのか、それとも剣聖同士で話をしたかったのか、俺に、調練の相手の第一軍の野営地を夜襲するための隊を編成するように指示を出した。俺は直立してから、幕舎を出て部下がいる方へ向かう。

 黒の隊の苦労は相当なものになるだろうな、と暮れている空を見ながら思った。

 この世界はあまりにも広い。三十名程度の人員で、一人の老人と一振りの剣を探し出すのは、至難だろう。

 しかし他に道はない。

 俺は自分がいかにも自由に思えた。

 背負うものは軽く、果たすべき使命も今はない。

 いつか、重すぎるものを背負い、困難な使命に直面するだろうか。

 覚悟だけはしておこう。そう思った。



(続く)

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