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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第二部 二人の男の数奇な関係
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3-5 剣聖の座

       ◆


 次なる剣聖を探す儀式が始まった。

 僕は緑の隊の一員としてその場に立った。

 正式な行事で、国王の名代が見守り、さらに剣聖であるカスミーユも立ち会っている。白が印象的な装束の女性がもう一人いて、この女性は僕も何度か顔を見たことがある、剣聖のうちの一人の代理人である。

 ベッテンコードの姿がない。彼は傍若無人と言ってもいいが、儀式を投げ出すような人格ではなかったはずだ。体調でも悪いのだろうか。

 ともかく、儀式は始まった。もしここで見つからなければ、剣聖探しは国中で行われることになる。

 まずは緑の隊の副隊長である男性が進み出た。

 部屋の奥、中央に聖剣が安置され、一人ずつそこへ進み出て、剣を抜けるか確かめるのだ。

 あまりにも奇妙で、ある種の滑稽さが伴う儀式だったが、誰もが大真面目だった。

 副隊長は剣を抜こうとし、抜けない。

 次のものも、抜けない。次のものも、抜けない。

 入れ替わり立ち替わり、聖剣が手に取られ、元の位置に戻されるのを僕はじっと見ていた。

 あの剣の呪いを、受け入れる覚悟が自分にあるか。まさに聖剣は、その覚悟を試しているのではないかと思えた。

 覚悟があるものだけが、剣を抜ける。

 何人かの隊員が真剣に落胆し、何人かの隊員がおどけた様子を見せる。

 退室していくものはいない。誰もが結末を見届けようと待っているのだ。この場に担い手がいることを、不思議と確信し、その思いを誰もが共有しているようだった。

 やがて、僕の番が来た。

 進み出て、聖剣を前にする。

 手を、伸ばせなかった。

 覚悟があるか。ないか。

 わからない。

 僕に何が背負えるのか。何が成せるのか。何を残せるのか。

 命を捧げることが、できるのか。

 誰もかれもが口を閉じていた。背中に痛いほどの視線を感じる。

 生死剣から漂う気配が、僕を包み込んでいく。これが呪縛か。これが、僕を僕ではなくならせる、剣聖の責務か。

 逡巡しているはずが、手が自然と聖剣を取った。

 重くもないが、軽くもない。しっくりと手になじむ。柄を握った手の力加減を、確かめる。

 抜けるだろう。そう思った。

 抜かなくてはいけない。そうも思った。

 しかし何を思おうと同じこと。やることは同じ。これから進む道も変わらない。

 リフヌガードが用意した道筋の、その先へ進むしかない。

 僕は力を込めて柄を握り、剣を払った。

 光が溢れる。

 瞬間、何も見えなくなった。

 周囲を照らし出す光の向こうに、誰かが立っている。

 あれは、リフヌガード?

 いや、一人ではない。様々な人が立っている。幾人か、知っている顔がある。病で命を落とした者たちの顔だった。つまり光の中に並ぶのは、すでにこの世にはいない、亡くなった人々か。

 生死を操ると言われる聖剣の、莫大な力の影響かもしれない。

 僕は今ならリフヌガードを蘇らせることができる確信があった。聖剣をの力を解き放てば、不可能ではあるまい。

 しかし光の中で薄れていきながら、リフヌガードははっきりと首を左右に振った。

 その必要はない、というように。

 リフヌガード。

 僕はあなたに死んで欲しくなかった。

 もっと多くのことを、教えてもらいたかった。

 生者と死者、そんな悲しい、違う立場にはなりたくなかった。

 聖剣の光が弱くなっていき、ついに元の景色が戻った。

 視界が滲む。どうやら僕は泣いているようだった。

 振り返ると、一斉に緑の隊のものが膝をついた。

 そうか、僕は聖剣を抜いたのだ。

 なら、僕が剣聖か。

「おめでとうございます」

 そう声を出したのは、白い衣装の剣聖の代理人の女性、カテリーナだった。

 彼女の声に合わせるように、カスミーユが「おめでとう、イダサ殿」と声にする。その口調はどこか満足げだった。自分の見立て通りだったからかもしれない。

 カスミーユの横でファルスが膝をつき、「おめでとうございます」と言ってから、こちらを見てニヤッと笑った。僕も素直に微笑みを返すことができた。

 こうして僕、イダサがリフヌガードの跡を継ぐ剣聖の座についた。

 混乱が全く起きないというわけにはいかなかった。緑の隊から少なくない数が、身を引いた。それはリフヌガードが剣聖だったから緑の隊に在籍した、というような意味が多分に含まれていたからだろう。

 僕は緑の隊の一員とはいえ、平凡な普通の隊員に過ぎず、特別な立場でもなければ、特別な技能の持ち主でもなかった。僕には少なくとも、人を熱狂させるような魅力はない。だから僕が剣聖となったことに失望するのも、仕方がないことだと思えた。

「気にすることはない、イダサ殿。私の時はもっと酷かった」

 それは僕が剣聖になって半月ほどが経った頃で、僕は招待されて赤の隊の野営地へ出ていた。カスミーユの幕舎で、僕はカスミーユとファルスと卓を囲んでいた。僕の伴はミューラーだった。彼は僕が剣聖になってからも緑の隊に残ってくれたものの一人で、随一の医療技術と知識の持ち主として近いうちに副隊長に任命するつもりでいた。リフヌガードの時代の副隊長は、野に下ってしまった。

 お茶の入った器を揺らしつつ、カスミーユが愉快げに言う。

「私が騎馬隊を作ると言った時、元の赤の隊の隊員たちは、言葉をなくしていたよ。自分たちは魔法使いで、馬で駆け回ることなど論外だ、というのだな。まぁ、馬を乗り回したことのない奴が大半だった。あの頃は必死だったが、私としてももう一度、経験したいとは思えないな。思い出としては価値があるのだが」

 カスミーユなりの激励、ということにしておこう。

 それからカスミーユは僕に、ルッツ・フォン・トゥーロン侯爵という人物をうまく利用すれば、予算はいくらでも用意されると教えてくれた。

「いくらでも、というのは、言葉の綾ですよね」

「わからないな。あの男はやり手だから、今までに予算を負けさせようとしたことはない。ほとんど剣聖の言いなりだ。リフヌガードもそうしていたらか、きみが気にする必要はない」

 もう一点、とカスミーユが付け加える。

「エスタ・フォン・ハイネベルグ侯爵を知っているか?」

「宰相閣下を知らないわけがありません」

 ハイネベルグ侯爵は王国宰相を務める貴族である。

 ただ、最近では実務のほとんどを実子のカカ・フォン・エージュール男爵に任せている、という噂がまことしやかに囁かれている。このためにハイネベルグ侯爵は「自由宰相」などと揶揄され、一方でエージュール男爵は「男爵宰相」などと陰口を叩かれている。

 ただ、この親子による実際的な国家運営は問題が起こることもなく、ソダリア王国は実に平穏な日々の中にある。

 カスミーユはちょっと笑みを浮かべながら話を続けた。

「ハイネベルグ侯爵は、剣聖騎士団に実に好意的だ。顧問のようなことを勝手にやっているのでね、何か心配があればご相談するといい。力になってくれるだろう」

「僕が宰相閣下の御前に立つことなんで、とても身分が釣り合いません」

 とっさに答えると、カスミーユは鼻で笑った。

「きみの身分は剣聖だ。剣聖という身分は国王陛下の前にも立てる身分だ。自覚を持て」

 そうだった。

 まだ自分の立ち位置が把握できていない。しかし、いつになったら慣れるというのだろう。

 僕が恐縮しているのをファルスが笑っている。友人がいきなり剣聖になるというのは、愉快だろうけど、無責任だ。

「ところでね、イダサ殿、重大な話がある」

 重大な話?

 ファルスさえもが表情を改めたのでどうやらただ事ではない、と知れる。

 そのファルスに、呼んで来い、とカスミーユが指示を出す。兵隊らしい直立姿勢の後、ファルスが足早に幕舎を出て行った。僕はミューラーと顔を見合わせるしかない。何が起こるのか、想像がつかなかった。

 ファルスは意外にすぐに戻ってきた。

 連れてきたのは男性で、僕もよく知っている相手だった。

「ルーカス殿?」

 僕の言葉に答えず、ただルーカスは膝をついた。

 その様子には、どこか絶望の気配がまとわりついていた。



(続く)

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