3-4 強さと弱さ
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剣聖リフヌガードの突然の死は、自害として事実のまま公表された。
国王が臨席する葬儀が執り行われたが、その時の空気は俺には経験したことのない気配に満ち満ちていた。
剣聖の死は実は頻繁にある。俺も記憶の中で、何度かの葬儀があったことは覚えていた。そして、剣聖の死因は決して明るいものではないのも知っていた。
あるものは決闘に敗れ、あるものは病によって、そしてあるものは、自らの人生に自ら幕を引く。
剣聖という位は、例えば各軍団に存在する軍団長や、王族に剣術の手ほどきをする最高指南役などとは全く性質を異にするのだと、誰もが知っている。
剣聖位とは、聖剣によって与えられる位であり、つまり人間が人間が与える位とはまるで違う。力が衰えたから引退、などということはほとんど起こりえない。ベッテンコードが高齢になってもその位に居続けるのは、彼が単純に強力だからだ。
聖剣を持つということは、聖剣にふさわしい人間であることが唯一絶対の価値観となることを、受け入れることだった。
リフヌガードは、負傷した自分、障害を負った自分を聖剣にはふさわしくないと判断した。
葬儀の場においても、それ以外の場でも、緑の隊の隊員の多くが涙を流し、嗚咽を漏らした。しかし誰も、リフヌガードを悼むことはあっても、責めることはない。
彼は剣聖にふさわしい最期を、自ら選んだ。
そこには強靭な意志があり、覚悟があった。
剣聖という立場を象徴する死。
ただ、俺はそれを初めて間近に見て、目の当たりにして、自分の甘さに気づいてしまった。
誰もが、頂点に達したとしても、常にその頂に立ち続けられるわけではない。人間が学習し、経験していく中で能力を高めるとしても、必ず限界がある。年齢が立ちふさがり、不運が道を閉ざす。
それは普通の人間なら、引き際と捉えて、第一線から身を引けばそれで済むかもしれない。あるいは穏やかな余生を送れるかもしれない。
しかし聖剣の担い手たちには、そのようなものは用意されていない。
残されるものは死しかないのだ。
俺がカスミーユを見る目は、図らずもリフヌガードの自害によって変化した。
カスミーユは最強の騎馬隊を作るのに腐心し、同時にソダリア王国軍を精強な集団にしようとしている。しかし彼女はどれだけの部下を持ち、どれだけの功績を残しても、最後には一人きりで剣聖という位と向き合わないといけない。
彼女の人生の最後は、既に約束されている。
約束されている最後を意識しながら、彼女は今に全てをかけている。
剣聖騎士団とは、何なのだろう。最強の戦闘集団であり、最も優れた医療機関であり、最も道を極めてた剣術家とその一派であり、しかしそれは誰のためにあるのか。その発展は、誰の功績なのか。発展に全てを費やす剣聖とは、まるで人身御供だった。
葬儀の席で、俺は赤の隊の副隊長として、幾人かの要人と対面したが、誰もリフヌガードの死を惜しんでいるようではなかった。淡々と儀式を行い、リフヌガードは埋葬された。悲しみはする、悔しがりはする、しかしリフヌガードの次を彼らは考えているようだった。
聖剣の所有者は、まさに供物だ。
葬儀から一週間ほどが過ぎた頃、カスミーユが俺を呼び出した。と言っても、俺はほんの十騎ほどを率いて第一軍の騎馬隊と模擬戦をやっていたので、王都のすぐそばにいた。カスミーユも第一軍の野営地のそばに陣を敷いている。
部下に模擬戦を任せ、俺は単騎で駆け戻った。
俺を待ち構えていたカスミーユの元に、友人の姿があった。
イダサだ。
憔悴し、頬に影が落ちて見えたが、彼の笑顔に俺も微笑を返し、カスミーユの前で直立した。
「戻りました」
頷いて、剣聖はいきなり本題を切り出した。
「緑の隊で、新しい聖剣の所有者を決めることになった。まずは緑の隊のものが聖剣を抜けるかを確認する。もし誰も抜けないようなら、一般から見つけ出さねばなん。それも早急にだ」
次の剣聖、か。
剣聖をどう決めているのか、俺は実際に見たことはない。だいぶ前、まだ幼い頃に剣聖が亡くなり、新しい剣聖が選ばれたという世間話を聞いたことがある。それがリフヌガードか、もしくはカスミーユだったのだろう。
俺が黙っていると「私は」とカスミーユが身振りでイダサを示した。
「この男が剣聖になると踏んでいる」
思わぬ言葉の内容に、俺はイダサを見た。彼は少し悲しげに、俯いていた。
カスミーユに視線を戻すと、「やる気がないようなので、尻を蹴飛ばすためにここへ呼んだのだ」とベッテンコードもかくやの不機嫌さで剣聖が言葉を発する。
「ファルス、お前が説得しろ。緑の隊は衛生兵という概念を発展させているところだ。あれは有益な部隊だからな、ここで足踏みさせたり、あるいは解体の動きがあると、私だけではなくソダリア王国軍に不利益だ」
衛生兵という言葉はいつの間にか当たり前になったが、実際にはまだ各軍の医療担当者は育っていない。医者の育成は時間がかかり、また技術も個人によってまちまちなら、基礎を学ぶ学校によっても水準にばらつきがある。
緑の隊は教師でもあり、実践の場における最高位の医者でもある。錬金術との併用で、致命傷さえも回復させる、貴重な存在だった。
「いずれは錬金術も魔法と同様、失われるだろう。全ては科学に置き換わる。しかし今はまだ、魔法と同様、錬金術も必要だ。医療もまだ未発達だから、とにかく、前進を止めるわけにはいかん」
一方的なカスミーユの言葉に、俺は頷くが、イダサは無反応だった。
鼻を鳴らすと、追い払うようにカスミーユが手を振った。
「王都まで送って行ってやれ。私からの話は以上だ。あとは任せた」
あとは任せたって、ここまで俺を呼んだ用件はイダサを説得しろということだけなのか。
仕方ないが、赤の隊では上官への抗命は厳しく禁止される。質問は許されるが、今はカスミーユの命令に疑問の持ちようがない。まったく明確だった。
二人で幕舎を出て、馬が繋がれている方は歩く。どちらも無言だった。空気が重い。
「イダサ」
説得する方法など分からなかったが、馬の元にたどり着き、二人でまたがったところで声をかけた。イダサの馬は元気そうだし、体格も悪くない。各地を巡回する緑の隊には、赤の隊と同等の馬が用意されていると聞いたことがある。
「王都まで競争をしてみよう」
俺の言葉に、いいよ、とイダサが気軽に答える。大した自信じゃないか。
どちらからともなく馬を駆け出させた。野営地を抜け、丘陵地隊を疾駆していく。イダサの馬はよく走った。しかしイダサの姿勢は負担になるだろう。俺は馬の背に張り付くような前傾姿勢で、空気の抵抗を弱くする。身体の揺れも最小限になり、これだけでも馬は楽になる。
どれくらいを走ったか、二人が付かず離れずで進んだところで、俺はイダサに声をかけた。
「限界だ、止めよう」
イダサは無言で馬の足を緩め、最後には馬は完全に止まった。俺の馬も止まり、二人で草原に降りた。ちょうど丘の上で、遠くに王都の城郭が見える。馬の足なら目と鼻の先と言ってもいい。
太陽は真上にあり、強い日差しが降り注いでいた。
俺はなんとなく草原に腰を下ろした。イダサは真っ直ぐに立って遠くを見ている。
「赤の隊でもやっていける腕前だな」
そう声をかけてやると、やっとイダサが俺の方を向いて少し笑った。
「お世辞が言えるから、副隊長になれたのかい?」
「辛辣だな。副隊長はまだ楽だよ。お前は身に染みて感じているだろうけど」
剣聖よりは楽だ、という意味を正しく受け取ったようで、イダサは無言でわずかに顎を引いた。
「イダサ、剣聖になりたくないなら、聖剣に触れるべきではない」
言ってから、俺が口にしたのは優しさのようで、実際には怯懦であり、卑怯なことだと気付いた。
イダサはリフヌガードを信頼し、尊敬していただろう。その人物の跡を継ぐことから逃げるのは、尊敬する相手の信頼を裏切ることではないのか。
それでも、と俺は思っていた。
それでも、俺はイダサを失いたくないらしい。彼がどれだけ自分勝手で、独善的な人間になろうとも、責任を放棄して裏切りを重ねても、死んで欲しくはない。
誰がイダサの死を望んでいる?
誰も望んでいないはずだ。
おそらくリフヌガードも。
たぶん。
イダサは返事をせずに俺を見てから、また遠くに目をやった。
風が吹き寄せる。草の匂い、土の匂い。生命の匂いが空気には立ち込めている。太陽の光、その熱さえもが生命を連想させた。
イダサは静かな声で言った。
「聖剣は、恐ろしい。すごく怖い」
でも、と彼は震えた声で言った。
「誰かが手に取らなくちゃいけない」
何のためにだ、と聞けなかったのは、あるいは俺の弱さだったかもしれない。
イダサは強く、俺は弱かった。
行こう、と彼は馬の方へ歩き出す。俺もゆっくりと立ち上がり、背中を追った。
イダサの背中には、何かの影がちらついていた。
強い光がそれを作っているようであり、一方で影はイダサを飲み込もうとしているようでもあった。
(続く)