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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第二部 二人の男の数奇な関係
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3-3 聖剣の呪縛

       ◆


 リフヌガードは寝台から降りるとき、杖を使った。

 それが僕には衝撃だった。

 リフヌガードがそんな怪我を負うわけがない。

 しかし実際、彼は杖をついて頼りない姿勢で歩き出した。

「落馬した時、首筋を打った」

 彼は喋りながら廊下へ出た。

「意識を失って、自分の体を癒すことができなかった。連れもいなくて、ひとりきりだった。たまたま通りかかったものが私を看病したが、それがなければ死んでいたかもしれん。意識を取り戻した時には、もう障害は消せなかったが、命は失わなかった。幸か不幸かは、どうだろうな」

 口調は軽いが、足取りは重い。

 僕はリフヌガードに聖剣のことを訊ねるべきか、迷った。

 今からでも、生死剣の力を使えば万全に回復するのではないか。

 しかし、それができないから今があるのかもしれない。そう思うと、言い知れない恐怖が背筋を這い上がってくる。

 聖剣は強力でも、絶対ではない、ということか。

 それとも聖剣の意思ようなものが、リフヌガードの治癒を許さないのか。

 自らの使い手にふさわしくない、というように。

 食堂で、リフヌガードは普段取りに僕に最近の国の様子を問いかけた。緑の隊は各地で医療活動を行う関係で、ソダリア王国で流行する病などに関しては他のどこよりも多くの情報を、詳細に把握している。リフヌガードが自らの部下が集めた情報を、官僚たちに伝えていることは緑の隊のものは皆、知っている。

 この時も僕は丁寧に、見聞きしたことを伝えた。ここでの会話が部分的にとはいえ反映されることで、各地の療養所ができたりするのだから、緑の隊は、赤の隊が教導隊をやるのとはまた違った活動をしている実感がある。

 食事が終わろうかというところへ、食堂へ赤いローブを着た青年が入ってきた。剣聖府では食堂も各隊で分かれているから、赤のローブ、赤の隊のものが入ってくるのは珍しい。

 自然と顔を確認して、僕は思わず立ち上がっていた。向こうも足を止めると、人懐っこい笑みに変わる。

「久しぶりだな、イダサ!」

「ファルス!」

 歩み寄ってきたファルスに僕が応じた時、どちらからともなく手を取り合っていた。

「ファルス、赤の隊の副隊長に昇進したんだってね。立派になったものだ」

「たまたま前任者が退役しただけだよ。副隊長と言ってもやることに変化はない」

「いざという時には頼りにしているよ」

「いざという時が起こらないことを俺は祈っているところさ」

 お互いに笑い合ってから、僕はファルスをリフヌガードに紹介した。リフヌガードとファルスは会ったことがないはずだ。二人はやはり初対面だったようで、ファルスは名前を名乗って挨拶をし、リフヌガードは椅子に座ったままで手を差し出し、両者が握手した。

 改めて直立したファルスは「カスミーユ様の命で参りました」と口にした。

 リフヌガードは「部屋で話そう」と立ち上がった。もちろん、杖を手にしている。その様子をファルスはじっと観察していた。一歩、また一歩と足を送るリフヌガードにファルスは痛ましいものを見るような眼差しを向けている。

 僕はまた同じことを考えていた。

 リフヌガードを回復させる方法はないのか。何かできることがあるのではないか。

 僕に何ができるのか。

 何もできないのか。

 元の資料室へ戻ると、「ファルスくん、カスミーユには心配はいらないと伝えてくれ」とリフヌガードが寝台に腰を下ろしながら言った。

 これに、ファルスは即座に質問を返した。

「それは、カスミーユ様のお考えは間違っている、ということでよろしいですか」

 カスミーユ様の考え?

 想像がつかないのは僕だけで、ファルスも、リフヌガードも了承しているようだ。実際、リフヌガードは「正しい推測だが、心配には及ばない」と答え、ファルスは「それでは私がここに来た意味がありません」とどんどん二人の間だけで話が進んでしまう。

 カスミーユ、ファルス、リフヌガード、三人は何を考えているんだ?

 ファルスは少しの沈黙の後、「そのようにお伝えします」と答えた。そして少し、苦い顔をした。

「実は、リフヌガード様を見張るように言われて、ここへ差し向けられたのです」

「では、きみには貧乏くじを引かせることになるな」

「仕方ありませんね」

 それでリフヌガードとファルスの会話は終わってしまった。

 リフヌガードが落ち着いた表情で僕を見る。

「友人同士で、話でもしてきなさい。私は少し休む」

 僕はどうとも答えられなかったけど、ファルスが「そうさせていただきます」とすぐに答え、部屋を出て行こうとする。何かが僕を引き止め、視線をリフヌガードに向けさせた。リフヌガードはただ頷いたきりだった。

 どんな思いが込められている動作か、とっさに計り兼ねた。

 結局、ファルスの後を追って部屋を出て、僕たちは中庭にある東屋へ向かった。剣聖府の建物は四角形をしていて、中心が中庭になっているのだ。東屋はいくつかあり、ここでは隊の別はないのが慣例だ。

 東屋の一つで、僕はファルスに思い切って問いかけた。

「カスミーユ様は何を心配したんだい?」

 何かを考える気配の後、恐らくだが、とファルスは口を開いた。

「リフヌガード様が、剣聖の座を降りることを選ぶのではないか、ということだ」

「まさか」

 僕は笑ってしまった。

「聖剣が選んだ剣聖は、倒れるまで剣聖だ。これまでの記録では、剣聖の座にいるものはその生涯の最後まで剣聖を務めている。剣聖の座を降りる方法はないよ」

 ファルスが目をつむり、短く答えた。

「あるんだ」

 僕は友人の顔を見据え、そこにある苦悩に、直感が働いた。

 働くにしては、遅すぎた。

「それは」

 剣聖の座を自ら降りる。それが意味するのは。

「自害される、ということか?」

 春の盛りの気候の中で、僕の言葉は冷え冷えとしていた。

 ファルスは答えない。答えないことが何よりの答えだ。

「馬鹿な。ありえない。そんなことをする必要はない」

「しかし、聖剣の呪縛から解放されるには、これしかない」

 理屈の上では、とファルスが付け加えた時、僕は席を立っていた。ファルスが呼び止めるのも聞かずに建物に戻り、足早に廊下を進んだ。

 自害するわけがない。自害する必要もない。

 何も、リフヌガードは間違っていないのに。

 資料室の扉が見えてくる。

 勢いのままに扉に取り付き、勢いよく開いた。

 鼻先をかすめたのは、錆のような匂い。

 様々な場面で繰り返し、感じた匂いだ。

 死と、命の、匂い。

 そんな、という声を誰かが発した。違う、僕だった。僕の声が、あまりにも遠い。

 寝台の縁から、力なく腕が垂れ下がっているのは、現実の光景だった。

 誰でもない、リフヌガードの腕だった。



(続く)

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