3-2 王都へ
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「副隊長」
俺は剣を振っていた動きを止めて、声の方を振り向いた。
赤の隊の隊員が直立している。部下の一人だ。
「なんだ?」
剣を鞘に戻すと、緊張した声が発せられた。
「カスミーユ様がお呼びです。至急、出頭するようにとのことです」
そうか、と答えながら、俺は着物を整えて歩き出した。部下も横に並んでくる。そちらを横目に見る。
「どんな用事か聞いているか」
「いいえ、副隊長に直接、お伝えになるようです」
厄介な任務でもあるのかな。
遠駆けの最中だったので、部下は二人しか連れてきていない。夜露をしのぐだけの幕の方へ行くと、待っているものがいる。赤の隊の隊員で、カスミーユ直下のものだと顔を見ればわかる。赤の隊には彼のほうが長くいるし、年上なので、彼は副隊長に昇格した俺にも遠慮はしない。
「悪いな、副隊長。急ぎらしい」
「何か聞いていますか?」
「王都で何かがあったようだ」
王都か。ベッテンコードの元で剣術の稽古をしていた時が、直近での長く滞在した機会になる。あれ以来、各地を転々として赤の隊の任務に当たっていて、王都へは戻るとしても短い時間だった。報告のために戻る程度ということ。
自分の馬を用意し、部下の二人には遠駆けは中止して、撤収するように指示を出しておく。俺は先行して、部下二人には装備をまとめて後を追うようにした方が早いだろう。
俺と伝令の二人で駈け出す。赤の隊の本隊までは一日程度の距離しか離れていない。しかしすでに真昼で、駆け続けても戻るのは夜になるだろう。それよりも、馬の限界を試すことになってしまうので、おそらく夜は夜営することになる。もしかしたら部下が追いついてくることになるかもしれない、と予定が立ってきた。
実際、駆け続けて日が暮れて、夜の平原を貫く間道の脇で俺と伝令の二人で火を起こし、しばらくそこで過ごした。部下の気配はない。部下たちは部下たちで夜になると同時に足を止めたか。それが普通の判断だ、やや臨機応変とは言い難いが。
「お前が副隊長とは、恐れ入るよ」
水筒の水を少しずつ飲んでいるところで、不意に伝令の男が言った。名前はニールだ。副隊長に任命される前に、隊員の名前は全部覚えていた。
「あんたの方が順番では近かったな」
冗談を返してやると、ニールが小さく笑った。
「お前の魔法の腕前と剣術には敵わんよ。馬術に関しては五分五分だが」
「俺もあんたくらい長く馬に乗っていれば、同じように乗れるようになる」
「俺がお前の年齢の時に平だったことを皮肉っているのか?」
二人でくつくつと笑う。夜の静けさの中で、どこまでも声が拡散するような感じがあった。
結局、その夜は携行している保存食をわずかに口に入れ、ゆっくり休んだ。明け方に馬に乗り、先へ急ぐ。赤の隊の野営地には昼前に戻ることができた。一緒に遠駆けに出た二人は結局、追いついてこなかった。叱らなければならい、と心に留めておいた。
ニールが馬の世話をしてやると言ってくれたけど、俺は自分でやると応じておいた。馬の世話は自分でやらないと落ち着かない。
馬の首筋を撫でてやって最低限の世話をしてから、足早にカスミーユの幕舎に入る。
直立する俺の姿を見て、カスミーユが一度、頷く。
「ファルス、王都へ戻れ。剣聖リフヌガードの様子を見てこい」
思わぬ言葉だった。
「リフヌガード様がどうかされたのですか?」
「怪我を負ったそうだ」
怪我……。
真っ先に考えたのは、リフヌガードが持っているはずの聖剣、生死剣のことだった。あの剣が持ち主に与える力は、全ての傷を癒すどころか、人間の生死にさえ干渉するものだったはずだ。
その生死剣の使い手が傷を負う?
「どのような傷ですか」
「歩けないようだぞ。落馬したそうだ。馬鹿げている話だがな。剣聖が落馬とは」
俺は容易に信じられなかった。落馬は不運に不運が重なればあり得るかもしれない。しかしリフヌガードには生死剣があり、そもそも錬金術士としても最高位の使い手である。それが怪我を負い、歩けない?
「王都へ行けばわかる」
苛立ちを隠せない口調でカスミーユは言うと、「さっさと支度をせよ。時間はない」と続ける。
「リフヌガード様は、それほどお加減が悪いということですか」
「馬鹿なことを言うな。あの男が落馬程度で死ぬものか。とにかくファルス、リフヌガードを見張っておけ」
「見張る? 何が起こるというのですか?」
「傷が癒えて、体が動くようになるなら良い。しかし体が回復しないとなれば、それはリフヌガードが聖剣に見放されたことになる。それを理解しないリフヌガードではない。だから奴を見張れ。無駄なことをしないようにな」
無駄なこと。
その真意を理解してしまえば、俺がここでのんびりしている理由はない。
すぐに敬礼し、俺は幕舎を出た。馬の世話は王都に着いてからだ。まずは兵站を担当するものから、王都までの行き来に必要な食料と水、秣などを受け取る必要がある。
まったく落ち着く間もなく、俺は夕方には野営地を出ていた。
赤の隊は第四軍の調練に参加していたので、王都までは街道を突っ走っても五日はかかる。街道に設置されている駅で馬を変えていけばもっと早く着くかもしれないが、自分の馬の方が足は速いはずだから、大差ない結果になりそうだ。
走り、歩き、走り、歩き。
三日目に少しだけ眠り、また移動を再開する。
王都に辿り着いたのは、野営地を出て五日目の明け方だった。おおよそ予定通りに長い距離を走破したことになる。赤の隊に求められることを実践した形だった。赤の隊の機動力はどこの騎馬隊にも負けない。
剣聖府は普段通り、静かな空気の中にあった。まるでここだけ王都ではないようだ。二年ぶりに見るが、何も変わっていない。
厩舎に馬を預けると、立派な体格の馬が目に入った。どこの所属かは知らないが、赤の隊で使っても良さそうな立派な馬だった。
リフヌガードを訪ねるのに、まずは体を綺麗にするべきだろうが、先方に面会を打診する必要がある。それには事務員を介するべきか。あの情けない風体の事務員、イナークの顔を思い出しながら、俺は廊下を進んだ。
(続く)