表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
9/155

1-8 疑問

      ◆


 目の前の傷跡から視線が外せなかった。

 サリースリーは、まだ手で触れて様子を見ている。

「痛むかね? 違和感はどうだ?」

「え、いや……」

 びっくりするほど何の違和感もない。今まで通りだ。

 引きつっているような感覚すらもない。まるで貼り付けられた傷跡のようなものがあるだけで、どこかから引き剥がせそうな気さえする。剥がせば何もなくなるような。

 自分の手で恐る恐る痕跡に触れてみた。わずかに盛り上がっているだけで、痛みも痺れもなかった。

 不意に怖くなって左手の指を曲げたり伸ばしたりする。よかった。ちゃんと動く。震えたりしない。痛みも痺れもやっぱりない。ぐっと力を込めると、普段通りに左手には力がこもった。

「クロエスさんが治療したのかな」

 僕には何味かいまだにわからない、緑色のジュースの入ったグラスを取り上げて傾け始めたサリースリーに問いかけてみた。すると彼女は、不敵に笑ったのだった。それは、自信のみなぎる表情に見えた。

「治療などするものか。お前が自然と治したのだよ」

「自然と、治した……? 僕が……?」

「そうだよ、無自覚かもしれないがな。傷跡同士を触れ合わせたのはクロエスだろうけど」

 訳がわからない。

 治療はしていない。傷口同士は触れ合わせた。

 魔法で治したのだろうか。そういう分野があったはずだ。医療魔法などと呼ばれるような。いやいや、そもそも錬金術時代が特殊な医療技術か。

 ズズズ、とグラスの中身を少女が行儀悪く吸ってから、話を続ける。

「どうもこれも不具合らしいけどね、クロエスなどに言わせると。私からすれば、我らに挑むなど笑止といったところではある」

 我らに挑む?

 質問をぶつけようとすると、ドアがノックされ、僕はビクッと肩を震わせてしまった。

 ドアを開けて入ってきたのは、クロエスだった。彼は僕とサリースリーを見ると「お邪魔だったかな」とからかうような笑みを浮かべる。

 正直、僕にはクロエスの登場はありがたかった。

 サリースリーに聞くより、クロエスに聞いた方が簡単そうだった。それにクロエスに聞きたいことは多くある。

「傷は治っているようだが、どうも未熟な仕事ではあるな、クロエスよ」

 僕が言葉にする前に、サリースリーが尊大な口調で言葉を発するのに、「人間の仕事だからね」と苦笑いのような口調で応じながら、クロエスは僕の横、寝台に腰掛けた。

「傷を見せて、アルカディオ」

「はい……」

 僕は覚悟を決めて左腕の袖を上げ直し、クロエスに差し出した。

 最低限の質問、痛みの有無や違和感の有無を確認してから「もういいよ」とクロエスは僕の腕を放した。

「あの、クロエス先生、何があったのですか?」

「ん? 覚えてないの?」

「最後の部分の記憶が曖昧で……。急に目の前にベッテンコードさんが立っていて、手が振られたのを腕で受けて、それで、何か、腕が軽くなったような……」

 記憶障害を起こしやすいのかな、とまったく別のことを呟いてから、クロエスがこちらに向き直る。眼帯に隠され、目元は見えない。

「今、君が口にしたこと、それは全部事実だよ。ベッテンコードさんは僕の制止を無視してきみに襲いかかって、手刀の一撃できみの腕を飛ばした」

「腕を飛ばしたって……」

「それくらい簡単にできるのが剣聖ってことだね。殺すつもりだったが腕を盾にしたので大目に見た、というのがあの老人の感想だよ。きっと、腕で防がれようと、きみの首を一撃で落とせたんだろうね」

 やっと恐怖という感情が追いついてきた。

 腕の一振り、それも素手で人を殺せるなんて、人間の技じゃない。

 思わぬ形であの老人の実力、戦闘力を目の当たりにしてしまった。体験してしまった。この身をもって。

 彼が剣聖とされるのも納得だ。

 超一流の使い手なんだ。

 でも、次の疑問がある。

「腕はどうやって繋げたのですか。それに……」

 気づいてしまった。

 僕は何日眠っていた? でも、そう、感覚的にきっと数時間しか寝ていないと思う。

 なのに傷口はふさがり、痛みもなく、完治している。

 それは人間ではありえない。人造人間としても、短すぎやしないか。

「それに?」

「傷の治りが、早すぎます……。何故ですか?」

 それはね、とクロエスが真面目な顔になる。

「人造人間だから、で納得してもらえないかな、今は。いずれ、必ず話すし、話さないといけない。でも今は、先送りにさせておくれ」

 今は言えない、ということだろうか。でも、何故だろう……?

「クロエスよ」

 しばらく退屈そうに黙っていたサリースリーが口を開いた。手には空になったグラスがある。

「こいつは自分が人間か、人間じゃないか、それを知りたいのではないか?」

 単刀直入な言葉だったが、クロエスはサリースリーに顔を向け、もし眼帯がなければ鋭い視線が彼女へ向いただろう。

「そういう認識の問題を超越していこうとするのが、僕の目的だと、きみも知っているはずだよ。僕の勘違いだったかな?」

「いいや、覚えておるよ。お前は人間の持つ理性のようなものを冷静に捨て去っているとね。しかしな、お前はお前であり」サリースリーが顎をしゃくって僕を示す。「こいつはこいつだろう? そうではないのか?」

 今度はクロエスが黙った。沈黙の後、彼は僕を見て、「明日、話すよ」と口元を緩めて囁くように言うと、ゆっくりと寝台から立ち上がった。

 黙って見送る僕とサリースリーに「ゆっくりしなさい」と言ってクロエスが部屋を出て姿を消してから、僕は横にいるサリースリーに質問を向けてみた。

「クロエス先生でも躊躇するほど、そんなに重大事ってこと?」

「もちろん。重大なことだ。お前は自覚もないだろうが、お前という奴は実に特殊なのだ」

 特殊。

 サリースリーよりも特殊なのだろうか。自覚がないのだけど。

 切り飛ばされた腕が簡単に接続されるのは、特殊だろうけど、どこからどこまでが許容されるか、僕には想像できない。

「さて、どうやら怪我人も回復したようだし、私も去るとしよう。お前も具合が良いなら、自分の部屋へ戻れよ。腕飛んだのも戻ったのだから食事はできるだろうし、不便もないな」

 何かが違う気がするけど、違うことが多すぎてサリースリーの言動の不自然さはすぐに把握できない僕だった。

 何の未練もないようにすっくと立ち上がると、ではな、とサリースリーはひらひらと手を振って部屋を出て行ってしまった。

 部屋は一人きりになると、不自然なほど静かに感じられる。

 僕も戻るか。

 ゆっくりと寝台から降りようとすると、ちょっとぐらりときた。

 意外に失血の影響がありそうだ。

 あの緑のジュース、あれを飲んでいたらちょっとは違っただろうか。

 サリースリーが置き去りにしていった器の乗った盆を僕は手に取った。自分で片付けるべきだろう。それが自然なはずだ。

 もうふらつくこともなく、自力で立った僕はよどみなく足を送ることができた。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ