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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第二部 二人の男の数奇な関係
89/155

2-16 修了

       ◆


 やめだ。

 ベッテンコードがそう言って身を引いた。

 俺は突っ掛かりかけていたのをぐっと力を込めて止める。力んだせいでもあるまいが、全身に痛みが走る。全部で、七ヶ所は切られているか。

 控えている医者、緑の隊の見習いという少年が駆け寄ってくる。俺は突っ立ったままで剣を軽く振ってみる。いつの間にかしっくり馴染んでいる。

 ただ、ベッテンコードには俺一人ではとても届かない。

 そんな俺を今、ベッテンコードは不機嫌極まりないという表情で睨みつけていた。

「もうやめだ、ファルス」

 吐き捨てる老人に、俺は「何故ですか」と問いを返すしかない。

 イダサが捨て身の攻撃を見せて、稽古に来なくなってから一ヶ月が過ぎている。その間、俺は一人きりでベッテンコードと正対し、どこかに崩せるところがないか、それを検討し続けていた。実戦の最中はもちろん、寝起きしている部屋に戻ってからも、繰り返し思い描いて考え続けていた。

 ベッテンコードは圧倒的だ。剣術だけでは勝てない。しかし魔法だけでも勝てない。

 それ以上の事は、俺には望むべくもない。イダサが見せたような錬金術の技術を一朝一夕に身につけることなど、現実的ではない。

 俺が選んだのは、ひたすら剣を突き詰めることだった。

 ベッテンコードは即死を避ける、とイダサが証明した。

 俺にイダサの真似はできない。しかしイダサの証明は、裏を返すと面白い理屈が生じる。

 それは、ベッテンコードはおそらくイダサの件から、俺への攻撃を躊躇う。生死の境、紙一重の領域には踏み込まない。つまりイダサの捨て身は、ベッテンコードをある意味で恐怖させたと言える。

 この事実が、俺が相対するベッテンコードの剣術の厳しさにわずかな猶予を生み出した。

 元々からあった、即死を避ける、というわずかな猶予が、イダサの一件以降は大きくなった。

 俺はそこにつけこむことにした。

 ベッテンコードが嫌がるところへ、剣を繰り出して行く。体も割り込ませる。

 全身を切られることに変わりはなかった。深手を負うこともある。そこはもう、痛みも恐怖も無視して、医者に頼るしかない。もう俺の全身は傷跡ばかりだったが、それはある種の勲章だった。

 ベッテンコードの技をその身に受けたことを示す、勲章だ。

 そのベッテンコードが今、剣を引いている。老人はいつになく怒りに駆られた様子で、バカめ、と吐き捨てた。

「ファルス、貴様、わしがお前を殺せないとでも思っているのか」

「いえ、先生は俺を殺せます。一撃で殺せるはずです」

「それが恐ろしくないようだな、貴様は。恐怖を忘れる使い手はいるが、恐怖を捨てるのは狂人だ。わしは剣士を育てているのだ。狂人を生み出し、世話をしているわけではない」

 俺は狂人と見られているらしい。全く自覚はないのだけど。

「赤の隊へ戻るがいい、ファルス。ここでお前に教えることなど、もうない」

 苦り切った顔の剣聖に、俺は恐る恐る確認した。

「俺はまだ、何も教わっていないような気がするのですが……」

「阿呆め。お前の剣術はわしの目指すものとは違うが、大抵ものは切り捨てられるだろうよ。捨て身の剣、相討ちの剣だがな」

 うーん、褒められているのか、突き放されているのか、よく分からないな。

 ベッテンコードが俺の中の何かを認め、俺の中の何かを嫌悪しているのはわかった。

「また稽古をつけてもらえますか?」

 さりげなく質問するつもりが、露骨に問いを向けてしまったが、ベッテンコードはすでに怒りの頂点に達していたらしく、表情も姿勢も口調も、変化しなかった。

「稽古などと呼ぶな。お前がやっているのは自傷行為だ。巻き込まれるのではたまらんよ。よそでやれ」

 稽古をつけたくない、という意志は固いようだ。

 仕方ない、と割り切って、俺は頭を下げた。

「お世話になりました。感謝いたします、ベッテンコード様」

「カスミーユに、次はもっとマシな奴を寄越すように言っておこう」

 思わず俺が笑う一方で、ベッテンコードは無反応だった。無反応のまま、身を翻して道場を出て行く。彼の背中を見送ると、ルーカスが俺に微笑んでくれた。思わず笑みを返したけど、いや、どういう意味で微笑んだんだ?

 医者の青年が俺の全身の傷を治してくれて、俺も道場を出た。稽古を続けていた黒の隊の若い隊員たちが別れの言葉をかけてくれた。こちらも礼を言っておいたが、彼らも俺をやや怯えた目で見るようになっている。

 外はいつの間にか暑い。季節が変わろうとしているのだ。

 剣聖府の建物に部屋を与えられていたが、おそらくまた赤の隊に戻るわけで、部屋を片付けないといけない。数ヶ月もここで過ごしたけど、部屋には最低限のものしかない。いつかは赤の隊に戻る、ということは頭の中から消えなかった。

 結局、俺はいつの間にか赤の隊の人間になっているのだ。

 建物へ戻り、ふと緑の隊のことが気になった。寄り道してもいいだろう。足が自然と緑の隊の事務室に向いていた。この建物には全体を統括する文官がいるが、その下に各隊の事務所が位置する。各隊ごとに運営が分割され、個性が強い。

 緑の隊の事務室に入るのは初めてだったが、入ってみると女性事務員が一人きりで仕事をしていた。俺の方をチラッと見て、席を立つとこちらへやってくる。

「ご用件をお伺いします」

 静かな声だった。赤の隊の事務員とは雲泥の差だ。

「あの、イダサという、そちらの隊員の所在が知りたいのですが」

「イダサさんですか? 彼は……」

 女性が自分の机に戻り、まとめられた書類を持ってきた。素早く紙をめくる動きには迷いがない。実際、書類はすぐに出てきた。

「彼は西部へ巡回に出ています」

「え? 留守ってことですか?」

「そうなりますね」

 そうか、いないのか。西部へ巡回ということは、すぐには会えそうもないな。

「連絡を取ることはできますが、お伝えしましょうか?」

 気を利かせてくれたのだろう、事務員がそう言ってくれたが、俺は丁寧に断った。

 どうせまた、いつか会えるだろう。

 重ねて礼を言って俺は事務室を出た。廊下を私室にしている客室へ向かいながら、何気なく窓の外を見た。

 夏の日差しだ。イダサもこの日差しの下を移動しているのだろうか。

 また会える。そう何度か頭の中で繰り返した。

 俺に赤の隊へ戻る指示が来たのは、この二日後のことだった。



(続く)

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