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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第二部 二人の男の数奇な関係
84/155

2-11 無力感

     ◆


 ベッテンコードという老人の考えは、どうしても理解できなかった。

 僕もファルスも、毎日、全身を傷だらけにされる。稽古着は一日でボロ切れになり、翌日には新品を着るが、またボロ切れになってしまう。

 血が流れることが日常茶飯事なのだと、黒の隊の隊員が四人とも平然としていることで理解できた。

 僕は自分の体を強制的に治癒させ、同時にファルスの治療もした。それが織り込み済みだとしても、ベッテンコートは躊躇なく、遠慮なく、刃を振るう。

 僕もファルスもしかし、この老人には全く歯が立たないのだ。

 例えばファルスが動けなくなるまで剣を振り続ければ、ベッテンコートも自然と動き続ける。ファルスの刃を避けながら、ファルスを切りつけるためにだ。僕が側から見ている限り、ベッテンコードの運動量はファルスよりは少ないが、わずかな差だ。

 それなのに、ファルスが立っていられないまで、呼吸ができないまで自分を追い込んでいる前で、ベッテンコードは平然として突っ立っている。その呼吸は微塵も乱れていない。

 体の造りは同じはずだ。それなのにこれほどの差が生じるのは何故なのか。

 訓練の賜物なのか。何らかの特異体質か。

 まるで人間じゃない存在のようだった。そういう意味では、彼は精神も体も、僕の認識する世界の外にあると言える。

 その日も全身に傷を作り、僕はファルスを治療していた。道場には僕たちしか残っていない。

「少しずつ分かってきたぞ」

 背中に受けた傷に手を当てている僕に、ファルスが嬉しそうに言う。

「ベッテンコード様の動きは普通の動きに見えるが、おそらく無駄を省いているんだ。俺が疲れきるのは、無駄な動きが多いからさ。だから、体の扱い方を身につければ、ベッテンコード様のように動けるようになるはずだ」

「その無駄な動きのない体の扱い方って、何なのさ」

 思わずそっけなくそう答える僕に、わかれば苦労しないな、とファルスが笑っている。

 背中の傷が塞がる。しかし傷跡は残っている。彼の体も僕の体も、数え切れない傷跡が刻まれていた。

「剣聖っていうのは、本当にすごいな。カスミーユ様もすごいが、ベッテンコード様も凄まじい」

「僕たちとはかけ離れた人たちだよ」

「でも剣聖も元は普通の人間だったはずだぜ」

 どうやらファルスは興奮しているらしい。僕はそれを諌める意味も込めて、肩にある傷に手を当てるふりをしてそっと傷口に触れてやった。「イッ」と声を漏らして、恨めしげにファルスが僕を振り返る。

「優しく頼む。面倒だと思うけど」

「大人しくしててくれよ」

 真面目に頷いたファルスの肩に生命力を流し込んでやる。ほのかな光の中で少しずつ傷口が小さくなっていく。

 それからファルスは、魔法を使えればベッテンコードにも対処のしようがある、などと言い出した。魔法という技術、技能は赤の隊に代表されるように攻撃に転用可能だ。ソダリア王国軍にも魔法使いの部隊が存在するが、実質的に最強の魔法使い部隊は赤の隊だろう。

 そこに属するファルスの技能は、疑うものは何もない。赤の隊に引き抜かれるだけで、特筆すべき技能を有している、ということだ。

 その点、僕も緑の隊に所属しているので、錬金術士としてはそれなりに評価されていることになる。まぁ、ベッテンコードの指導を受けている理由の一部は、都合のいい医療要員だからかもしれない。もしここに僕がいなければ、ファルスの怪我を治療するための医者が別に用意されたはずだ。

 錬金術は戦闘には向いていない。魔法も錬金術も同じく、研究して実践する、というところがあるが、錬金術は魔法よりはるかに不自由だ。本来的には卑金属から黄金を生み出す夢の実現というところから始まったが、いつの間にか生命の神秘を探求する学問へと変質した経緯がある。

 黄金を生み出せようと、生命を生み出せようと、それは学問の領域だろう。

 魔法が容易に対象を焼き払えるのに対し、錬金術に可能なのは、傷を癒す程度だ。

 こうしてファルスの傷を治していながら、魔法について語るファルスの言葉を聞くと、錬金術、錬金術士は実に無力だと思い知らされる。

 僕は自分がここにいていいのか、少し考えていた。

 剣聖騎士団の緑の隊の一員として各地を巡回する仕事は充実していた。ただ、やっていたことはほとんど医者と変わらない。それも生活の全てが保障された上での日々だった。

 在野の医者と比べれば、はるかに恵まれていた。薬から器具から、最新のもの、必要なものが簡単に手元にやってくることは、在野の医者の立場ではありえない。

 医者の仕事が面白いと思うこともある。ただ、僕は本当の医者の立場にはなったことがないのだ。医者の真似事をして、いい気になっているのではないか。苦労を知らずに、都合のいい結果だけを受け取って、悦に入っているのはないか。

「イダサ?」

 声に我に帰ると、もうファルスの肩の傷はふさがっていた。ミミズ腫れのように傷跡が残るだけだ。

「終わったよ、ファルス。服を着ていい」

 用意されている平服に着替えるファルスを横目に、僕は自分の手を見た。

 剣は振れるようになっていた。ベッテンコードが受け損なうことがない、と信じることもできる。受け損なうかもしれない可能性も、なんとか無視できるようになってきた。

 ただ、本当に人を切ることが自分にできるかは、皆目、見当がつかない。

 ファルスはどうなのだろう。問いを向けてみたかった。

「飯に行こうぜ、イダサ。そろそろ店も開くだろう」

 着物を整えたファルスが振り返る。そしてキョトンとした顔で、首を傾げた。

「何かを考えている顔だが、何を考えている?」

 友人の問いかけに背中を押される形で、僕は言葉を発することができた。

「ファルスは、ベッテンコード様を切れる?」

 はぁ、という呆れた感じの声がファルスの口から漏れた。

「今の実力じゃ、俺がどう頑張ってもベッテンコード様は切れないな。もし、何かの拍子にベッテンコード様の剣がひとりでに折れたとしても、組打ちで殺されるのは間違いない。もしかしてイダサは、ベッテンコード様を切る方策があるのか?」

 まさか、と笑ってしまうのは、当然のことだ。ファルスも笑っている。

「あの方は常軌を逸している。容易には対抗できないな。容易にはというか、俺があの方の年齢まで生き延びて、技を磨き続けたとしても、あの方と比肩する使い手になれる自信はない。もっとも、それはルーカスにも言えることだ。あの人だって、ベッテンコード様と比べれば形無しだ」

 飯に行こうぜ、とファルスが手招きしたので、僕はゆっくりと意識して呼吸してから、それに続いた。

 僕は自分の立場を想像した。

 医者ではなく、しかし剣士でもなく、兵士でもない。

 錬金術士だけど、あまりにも無力だった。

 身の置き場がない、という表現は少し違うような気がしたけど、でも今の僕はまさに、宙に浮いていた。中途半端な、何者でもない人間。

 最初と同じじゃないか。

 錬金術士と魔法使いの、半端者。

 ファルスがウキウキと進む後ろを、僕は無言でついていった。

 それはどこか、縋っているようにも見えたかもしれない。



(続く)

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