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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第二部 二人の男の数奇な関係
82/155

2-9 屍の数

       ◆


 僕はルーカスという青年に、文句の一つでも言ってやるつもりだった。

 ベッテンコードがしていることは稽古ではなく、ただの暴力と悪意の発露だ、と。

 剣聖が取るべき行動ではない、と。

 しかしルーカスの切り出した言葉に、僕は言葉を一度、飲み込んだ。

 弱いものは居場所がない、か。

「黒の隊は赤の隊の騎馬隊とは違う。黒の隊に求められるのは一対一の戦いだ。撤退はありえない。降伏もありえない。死ぬ瞬間まで剣を取り、剣を取ったまま死ぬのが黒の隊だと、そうベッテンコード様がお定めになった」

 馬鹿げている、とまず思った。

 一対一の斬り合いで何が決まるだろう。

 例えば大軍同士がぶつかり合えば、人一人の技量など知れたものだ。三人、五人、十人に取り囲まれれば押し潰されてしまう。仮に凌いだとしても、一人きりでは、相手が新手を繰り出すのを永遠に押し留め続けることなどできるわけもない。

 集団戦において出現する一対一は極小さな範囲の一瞬の出来事であり、意味などほとんどないのではないか。

 それなら黒の隊の方針は、つまり、集団を無視した、純粋な決闘を至上命題にしているのか。

 ルーカスは自分の分の瓶を口に運びつつ、至極冷静に言葉にした。

「我々は剣を極めるためにここにいる。ベッテンコード様からして、剣の道をひたすら歩いてきたお方だ。剣術、剣技にかけては、他の剣聖の誰よりも強い。もっとも、だからこその剣聖なのだが」

 誰よりも強い、という表現に、引っかかりを覚える僕とは対照的に、ファルスは話に飲まれているようだった。

 誰よりも強いものは、最強の剣であり、最強の盾だろう。

 しかしどうやって強いことを証明するのか。

 腕に覚えのあるものを、次々と切り倒すことでのみ、証明されるのではないか。

 ベッテンコードが最強だとして、彼の背後にはいったいどれほどの数の屍があるのか。

 ゾッとした。

 剣術とは、屍山血河を築き、さらにそれを際限なく重ねていく道なのだ。

 僕が踏みこめる道ではない。

「先生は」

 ルーカスがいつの間にか僕の目をまっすぐに見ていた。

「常に人を試される。無能な者には何も与えはしない。殺しもしない。無視するだけだ。しかしファルス殿にもイダサ殿にも技を見せた。まだお二人は、見捨てられてはいない」

 幸運なことなのかどうかは、判然としない。

 右手首が痛んだ気がした。全身の傷同様、自分に作用させた力で、もう傷は完全に塞がっている。傷跡は残ってしまったが、元どおりに治癒し、十全に動く。しかしどうして、痛みのようなものが何かを主張してくる。

 逃げることができれば、どれだけいいだろう。

 ルーカスが言ったことが事実なら、ベッテンコードが最も嫌うこと、まさに嫌悪することは、逃げることだろう。

 僕はこの道場へ踏み込んだ時、ベッテンコードの前に立ったのだ。

 そう思えばベッテンコードが僕に切りつけてきたのも、理屈の上では筋が通る。

 ここに来るものは、ベッテンコードと相対するもので、相対する以上、敵なのだ。

 敵を前に油断し、警戒しないものはいない。

 理解してしまえば全てが一本の線で繋がる。

 道場では、味方はおらず、自らは自らで守るしかない。

 でも僕にはどうしても理解できなかった。

 傷つけ合うことで、何が見つかるのだろう?

 殺し合うことで、どんな発見がある?

 それで高みに登れるのか。

 それで、どこへ辿り着くのか。

「ルーカス」

 低い声が響き、三人の視線の向いた先では、ベッテンコードが憮然とした態度で立っていた。

「解説しているようでは、そいつらも先が知れるというもの。言葉などなくとも理解できるものであろう」

 失礼致しました、と立ち上がったルーカスが一礼する。ファルスも立ち上がったので、僕も急いで立ち上がった。

「よろしくお願いいたします、ベッテンコード様!」

 ファルスの声を聞きながら、でも僕は何も言えなかった。何も言わずにただ、頭を下げた。

 鼻を鳴らしたベッテンコードが「今日はもうよい」と言った。

 顔を上げると、老人は不愉快そのものといった様子で、こう言った。

「明日から午前中は体力作りだ。軟弱な体では、間違って殺してしまうかもしれんしな。ルーカス、うちの隊員に混ぜてやれ。今、何人がいたかな」

「四名です」

 四名? 僕は思わず首を捻りそうになった。黒の隊も二十名を超える隊員がいたはずだ。それが王都に四名しか残っていないのだろうか。他の隊員はどこにいるのか。

 疑問を解消する余地など与えず、ルーカスが「承知しました」と答えると、本当にそのまま老人は背中を向けて去って行ってしまった。

「あのー」

 ファルスが情けない声を出す。

「今日の稽古は本当に終わりでしょうか?」

「先生の稽古は明日にはあるでしょう。しかし、覚悟しておいた方がいい。常に死と隣り合わせになることを肝に銘じておくべきでしょう。それが私からの助言です」

 ファルスが音を立てて唾を飲んでいるが、僕はまだ納得はいっていなかった。

 ここのところ、各地で人の命を救ってきた自負がある。

 しかし今、多くの人の命を奪った人物に、師事しないといけない。

 任務だと思えば、耐えられるだろうか。

 使命だと思えば、どうか。

 僕は無意識に腰に下げられているままの剣を見た。

 剣を帯びるということの本当の意味を、考え始めていた。



(続く)

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