2-8 再会
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夢の中にいた。
光に包まれて、俺は彼らの背中を見ている。
しかし彼らは誰だろう。少年を先頭に、数人の男女が付き従っている。一人も知っている顔はない。
俺も彼らの後に続こうとしている。
どこへ向かうのだろうか。
光景はゆっくりと溶けていき、俺は焦燥感を否応なく感じる。
彼らと並び立つ必要があると、本能が告げている。
そのために、足を踏み出さないと。
しかし足は動かず、彼らは遠ざかり、ついに光だけが残った。
体が温かい。湯に浸かっているよりも柔らかい温度。
その熱が引いていくと体の感覚が明瞭になり、夢から覚める兆候へと変わっていく。
最後に一度強く、胸に熱が起こり、それが消えたとき、俺は意識を取り戻した。
横になっている。見えるのは天井。どこの天井だ? いや、それより、俺はどうして気を失った?
老人に急に投げ飛ばされた。そして首から落ちて……。誰かが助けてくれた気がする……、誰だったか。
起き上がってみると、すぐそばに座り込んでいる男がいて、思わずぎょっとしてしまった。気配がないのだ。今も動かない。
見たことのある男だ。名前は……。
「イダサ、だよな?」
俺の声に男が緩慢に顔を上げる。死人のような顔色だった。
ついでに、こいつの服装は血まみれで、服もズタズタだ。
「おいおい、どうした? 何があった?」
イダサはすぐには答えようとしない。呼吸が震えている。何が重大なことがあったらしい。
「どこも」かすれた声でイダサが言う。「調子が悪いところはないかい?」
「俺は何ともないが、どう見てもお前の具合が悪そうだぞ」
いいんだ、とイダサは低い声で言って、黙り込んでしまう。
俺もやっと記憶が繋がり始め、詳細が思い出せた。黒の隊で武術を習うためにここにきた、ここは道場だった。ルーカスという男に散々投げ捨てらえた後、変な老人がやってきて、俺を半殺しにした。正確には、殺すような技をかけてきた。
右腕を見てみる。老人に投げられた時、めちゃくちゃにされたような、怖い記憶があるが全く問題なく元に戻っている。それを言えば、首から落とされた時に極めて深刻な感触があったが、それも治っている。手足のしびれもない。
前にも似たことがあった。
そしてその時も、イダサがすぐそばにいた。
「おい、イダサ。お前が俺を治療したのか?」
問いかけに、錬金術士は無言で頷いた。
どうして口を開かないのか、どういう状況か説明して欲しいところだが、今は無理らしい。
仕方なく俺も黙っていた。黙っていたが、長い時間になり、沈黙に耐えられずにさすがに口を開く俺だった。
「ルーカスっていう男がいなかったか? あと、老人がいた筈だ」
「いた。老人というのが、ベッテンコード様だ」
ベッテンコード? その名前は、剣聖の一人だったはずだ。
つまり、俺は、剣聖の相手をしたわけか。
怖い思いより、沸騰した興奮が強かった。
「お前もベッテンコード様の技を見たか? 凄い方だ。人ではないようだった。俺を片手で投げ飛ばして、それで殺せたはずだ。あんな技は、見たことがない。達人だ。間違い無く、最高位の使い手だな」
俺がまくし立てると、イダサの目つきがどんどん鋭くなったので、言葉が尽きてから自分が何か間違ったことを言ったのでは、と気付いた。気づいたが、どこも間違っていないはずだ。
「そんな顔するなよ、イダサ。お前もここにいるってことは、さてはベッテンコード様の指導を受けに来たんだろう?」
そうさ、といつになく荒んだ声で、イダサが応じる。
そうして、両手で自分の体を俺に見せる。血まみれの体をだ。
「この傷は全部、ベッテンコード様がつけた傷だ」
すぐには理解できないが、確信が持てることはある。
ベッテンコードの力量なら、イダサを殺すのは容易い。それが殺さずに切りつけたということは、手加減したのだ。
確信が持てないのは、どうしてベッテンコードがそんないたぶるような真似をしたのか、だ。
それは俺に関しても言える。投げ捨てるなら投げ捨てるで、受身を取れる落とし方ができたはずなのに、あの老人は殺しにきた。
イダサの様子も、俺の体験も、稽古の範疇を逸脱しているのはどうやら間違いなさそうだ。
「ベッテンコード様は」
イダサが震えの混じる声を発する。
「残酷なお方だ。人を傷つけることに躊躇がない」
冷え冷えとした声に、俺はどう応じるべきか、迷った。
剣聖府とは、特殊とはいえ、本質的には兵士を育てる場所でもある。そこでは残酷さはどうしても存在してしまう。現在のソダリア王国が争いごととは無縁であっても、敵と味方になれば、手加減などあるわけもなく、残酷が通常となる。
稽古で残酷になれないものが、戦場で残酷になれるだろうか。
俺はイダサが言っている内容を理解する一方で、ベッテンコードの過剰な暴力性にも、理解が生じているのだった。
俺が黙ってしまうと、イダサも喋らない。
道場は静かだった。
そこへ、扉が軋むかすかな音が、いやに大きく響いた。
二人の視線の先で、ルーカスが少し笑みを浮かべながらカゴを持って立っている。
「二人とも、回復したようだな。先生はもう少しすればやってくるだろう。その前にこれでも飲みなさい」
近づいてきたルーカスが、カゴから瓶を取り出し、俺とイダサに一本ずつ、投げてくる。水かと思ったが、真っ白い液体、牛乳らしい。
「これでも食べるといい」
取り出された包みを開くと、焼き菓子が入っていた。
昏倒させられた俺、血まみれのイダサと、牛乳と焼き菓子という組み合わせは、目が回りそうなほど食い違っていた。
それでも礼を言って、焼き菓子を一つもらう。柔らかい生地の中に干した果物が入っているようだ。いかにも高級品に感じるけれど、そもそも高級焼き菓子を食べたことのない人生だった。
イダサは牛乳を飲むだけで、ルーカスに鋭い視線を向けている。
そのルーカスが、話し始めた。
「黒の隊には、弱いものは居場所がない」
俺は自然、耳を傾けていた。
無論、イダサもだ。
(続く)