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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第二部 二人の男の数奇な関係
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2-7 無関心

        ◆


 事務員に聞いた場所は、剣聖府の建物に隣接の道場だった。

 そんな場所があるとは知らなかったけど、黒の隊が独占しているようだ。もっとも、建物と言っても道場以外に言いようもない簡単なもので、これといって重要ではないらしい。

 ともかく、入り口から中に入って声をかけたところで、情景がやっと理解できた。

 老人と若い男性が並んで立っており、もう一人、若い男性が床に倒れている。その倒れ方、脱力の仕方は一見すると死体に見える。

 老人が「来たぞ」と囁くのに、隣の男性が「間に合いましたね」などと応じているので、まるで二人には倒れている一人が見えてないように錯覚された。

 しかし医者のようなことを続けてきた僕からすれば、放ってはおけない。普通の人でも放ってはおかないだろう。

 足早に近づくと、倒れている男性は知っている人物だった。

 赤の隊のファルスだ。

「ファルスさん? 聞こえますか?」

 膝をついても、揺さぶるのも危険そうだった。首が不自然に曲がっている。

 反射的に立っている二人を見るが、老人はそっぽを向いていて、もう一人は「床に落ちただけだ」と言い訳のようなことを口にした。

 どんな落とし方をしたか、分かろうというものだ。

「ファルスさん、治療しますから、少し我慢してください」

 当のファルスは頷くことも返事もできない有様だ。

 僕は彼の首の位置を整え、両手に魔力を集めると、生命力へと変えてファルスのそれと同調させていく。しかしファルスの生命力の波長は不自然に間がある。もう少しでも処置が遅れると手遅れだったはずだし、それどころか今も危ない。

 目をつむり、息も詰めて、じっと両手に集中する。

 僕の両手とファルスの首筋、両者の間で生命力が交換され、ファルスの体で治癒力が励起される。手のひらの下でファルスの首筋が緩慢に蠢くのが感じ取れた。よし、これで第一関門はなんとかなった。

 錬金術士でも、死者を蘇らせることはできないのだ。ファルスはこれで、死ぬことはないはずだ。僕次第でもあるが。

 僕の生命力とファルスの生命力が一層、深いところで完全に同調すると、僕にはファルスの体の状態が手に取るように把握できてくる。全身に打撲があった。首を傷める前に稽古とやらを受けたんだろう。それと右腕の損傷がひどい。手首は骨折、肘も砕け、肩は脱臼していた。

 あまりに酷い。

 さすがに怒りを感じるが、今は感情を平板に保ち、ファルスと一体にならないといけない。

 どれくらいが過ぎたか、手のひらに感じていた感触は消え、ファルスは柔らかい表情で目を閉じている。気を失ったようだが、体はもうおおよそ整っている。

 緑の隊が多用する錬金術を応用した治療は、施術する錬金術士にも疲労を強いるが、施術される側にも相応の疲労が生じるものだ。この時のファルスは、重傷を強引に治療されたことで、彼自身の生命力が一時的に枯渇して失神したと思われる。

 それでも呼吸も脈も正常に戻っている。僕の施術も終わりでいいだろう。

 ずっとつむっていた目に違和感を覚え、瞬きを繰り返す。僕の全身が汗にまみれているのが理解できた。知らぬ間にこわばっていた手のひらをファルスの首から離すと、僕の手はひとりでに震え始めた。

 そんな全てを無視して、改めてじっとファルスを観察する。血色はいい。胸も規則的に上下している。震えが残る手で手首に触れてみると、ちゃんともう脈も安定している。

「意外に器用ではないか」

 老人の声がしたのでそちらを見ると、興味深げにこちらを覗き込んでいるのにぶつかった。

 そろそろ説教を始めてもいいだろう。実は巡回の最中、ミューラーに「あまり患者を叱るな」と言われたこともあるけど、僕としては病気になるものの中には、避けらえるはずのものを不用意に実行し、病気になったり怪我を負う者がいる。

 そういうものは叱りつけて当然だと思う僕だった。

「こんな稽古はやめてください、ご老人」

 老人が片目を細める器用な表情をした。

「稽古をつけるのがわしの役目だ。ここはわしが稽古をつける場だ。もし文句があるなら入ってこなければ良い」

 まったく無反省な態度に、僕は立ち上がっていた。老人より僕の方が上背があるので、自然と見下ろす形になる。ただ、老人の横柄な態度は少しも揺るがなかった。

「稽古で死者が出るのでは、損ばかりです」

「強い奴が残るのだから、得ではあるかもしれんな」

「彼が死んでしまうのが問題です」

「ここで死ぬのなら、実戦の場でも死ぬだろうな」

 ああ言えばこう言う、とはまさにこのことだ。

 僕が更に言い募ろうとした時、ずっと黙っていた若い男性が「ベッテンコード様」と老人に声をかけたので、僕は言葉を飲み込むしかなかった。

 ベッテンコード。

 剣聖の一人にして、黒の隊の指揮官。

 僕が指導を仰ぐ相手だった。

 しかし今更、膝を折れなかった。折れなかったが、威勢は一気にしぼんでしまった。

 僕が黙ると、鼻で笑った老人が「称号にへりくだる必要はない」と低い声で言った。そして一転、好戦的な表情へ変化する。

「お前、名前は?」

「イダサと申します。ベッテンコード様に指導を受けよと、リフヌガード様の命を受けて参りました」

「イダサ、お前はなかなか根性がありそうだ。錬金術で自分の体を治療したことはあるか」

 自分の体?

 答えらえずにいると「学ぶのも悪くあるまい」と言うなり、いきなりベッテンコードが部下らしい男性の腰の剣を引き抜いた。

 真剣だ。

 ついでに言えば、刃はよく手入れされていて背筋が冷えるような光り方をしている。

 僕の腰にも剣がある。しかし抜く暇はなかった。

 ベッテンコードの剣が翻る。切っ先が僕の体に食い込むのがはっきりとわかった。

 床を蹴って後退、間合いを取る。

 取れない。

 ベッテンコードがスルスルと間合いを詰め、一度振り抜いた剣を引き戻し、もう一度、振ってくる。

 避ける余地がない。

 切っ先が体をなぞる。

 血が弾ける。

 この時、ベッテンコードは僕を殺せたはずだ。

 二度の攻撃は明らかに手加減されている。

 何せ、皮膚だけを切る斬撃だった。

 それが逆に熟練の技術を実感させる。

 老人はなんでもないように、間合いを完全に支配していたのだ。

 手加減もあってか、僕は続けざまに五回ほど各所を切られながらも、剣の柄に手を置くことができた。

 即座に抜くべきだった。

 しかし、抜けない。

 これは稽古のはずだ。ここまで切りつけられても、稽古のはず。

 真剣で稽古をすることはあっても、切りつける稽古なんてあるわけがない。

 僕の腰の剣も訓練用ではなく、正真正銘の真剣だ。

 何かの拍子に僕の刃がベッテンコードに触れてしまえば、怪我をさせることになる。剣聖がそんな失敗をするわけもないが、場所が悪ければ、傷が深ければ、命に関わる。

 僕は傷を治すことを続けてきた。

 僕は傷を負わせることをほとんどしていない。

「間抜けめ」

 ベッテンコードの冷ややかな声と同時に、手首に灼熱が走った。

 見るまでもなく、柄に触れてた右手首が半ば輪切りにされている。激しい痛みに視界が明滅し、悲鳴が漏れる。

 もうベッテンコードは深追いしなかった。間合いを取り、「さっさと治療せよ」と突き放すように言っただけだ。

 僕はその声を聞きながら、左手で右手首の傷を握りしめ、しかし左手はみるみる赤く染まり、床には血溜まりができた。

 呼吸を整えることだ。次に魔力を励起させる。

 何回もやってきたことだ。

 今も出来るはずだ。

 落ち着いて。

 冷静に。

 息が震える。背筋が冷たくなる。心臓が早鐘を打つ。

 構うな。

 治療は出来る。

 右手首が熱くなるのは、血の熱さなのか、治療の結果かは、すぐにはわからなかった。

 僕が必死になっている横で、ずっと見物していた男性と老人が議論を始めていた。僕の動きについて話しているようだ。

 僕の傷や、状況には一顧だにしていない。治療の応援を頼むようではない。

 何もかもがちぐはぐだった。僕がここで死ぬならそれでも構わない、というような。

 二人は非情というより、無関心なのだ。

 僕は歯を食いしばりながら、治療を続行した。

 一度は感じなくなっていた右手の指の先の感覚は、徐々に戻ってきた。



(続く)

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