1-11 親しみ
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イダサの奴め、何かインチキしていやがる。
そんなことを思っていても、俺は一向に馬に上手く乗れるようではない。当たり前か、
すでにイダサは自由自在に馬を操っている。あの首筋を撫でる手つき。あれで馬を洗脳しているのではないか。ありえないはずだが……。
俺はといえば、一日に何回も落馬し、場合によっては大怪我をして、イダサの錬金術の世話になっている。俺に治療を施すとイダサの奴の表情に疲れが滲むのは、俺の心をチクリと刺す。だが他にどうしようもない。医者はもう滅多に顔を見せないし、あの医者よりイダサの方が治療は間違いなく上手い。
イダサに与えられた期間である五日目が今日だったが、奴は順調に卒業していくだろう。
誰かの後塵を拝すのは、俺の人生ではあまりないことだった。つまり、慣れていない。
こういう時、どうやって感情を御せばいいのか、よくわからない。そもそも、どういう感情が自分の中に沸き起こるか、それもわからないのだ。
自分自身に不安を感じながら、俺の前まで馬でやってきて、さっと地面に降りたイダサに俺は水の入った小瓶を投げた。彼は取り落としそうになりながらどうにか掴むと、ぽんぽんと馬の首筋を叩いてこちらへやってくる。
馬は今は鞍がつけられている。イダサは裸馬の段階ではなくなったということだ。俺だって鞍をつけてもらえればもっとまともに乗りこなせるはずだった。しかしまだ、裸馬にしか乗せてもらえない。
そもそもまともな訓練じゃない。裸馬に乗る機会などほとんどないだろう。鞍をつけて乗るのが初心者の最初の一歩のはずだ。
カスミーユのやり方は、理解不能だし、腹が立つ。しかし彼女に文句を言う度胸はない。
「技量に何の文句もないな」
俺の横に立つルルドがイダサに声をかける。ありがとうございます、とイダサは笑っている。
「リフヌガード様も満足されるだろう。よく身につけたものだ」
「ご指導のおかげです。折を見て続けようと思います」
平然としているのも腹が立つ。それ以上に自分にも腹が立つ。
俺がどうして馬なんぞに煩わされているのか。
ルルドとイダサは馬の気性について話していたが、俺は自分の内のことを考えていた。
どうしたら馬に上手く乗れるのか。何が足りないのか。何を間違っているのか。
「ファルス」
名前を呼ばれて、意識が現実に戻った。イダサが不思議そうにこちらを見ている。
「なんだ?」
「ささやかなコツなんだけど」
馬の扱い方を教えよう、ということらしい。もっと早く教えろよ。出し惜しみかよ。そう言いたかったが、黙って聞いてやることにした。度量の広さを見せてやるのも、必要だろう。
「馬ともっと仲良くなった方がいい」
これにはぽかんとしてしまった。
馬と仲良くなる? まさか錬金術士はその能力で馬の思考が読めるのか? 何らかの方法で意思疎通できる? しかし相手は馬だぞ。人間と同等の知性があるとは思えない。
俺が黙り込んでしまったのを、聞く態勢をとっていると判断したのか、イダサは真面目に言葉を続ける。
「首筋を抱いてやるとか、撫でてやるとか、それだけでいいんだ。それで馬は人間のことを意識する。どういう人間なのか、味方か敵か、優しいか乱暴か、そういうことを馬は判断するんだ。そこから馬は人間を認めていく」
「へぇ……」
荒唐無稽だった。馬が人間を見ているのはわかるが、そこまで人間のことを理解するだろうか。いや、しかし犬なども人間に懐くし、個人によって対応は変わるか。飼い主には吠えなくても、見知らぬ者には吠えるように。
「俺にもっと馬を優しく扱えってことか?」
どうかなぁ、とイサダは真面目に考えているようだ。
「優しく扱うということの前に、ファルスの中から馬に対する警戒心、不信感みたいなものを無くすのが先じゃないかな。それだけのことでも、馬は安心する。馬は本当によく人の様子を見るし、感じ取るんだ」
「錬金術士はそういう理屈を何かに生かすのか? 研究とかに?」
まさかぁ、とイダサは笑っている。
「僕がここ五日間で、なんとなく想像して実践した結果だよ」
俺はもう半月は馬と格闘している。なのに俺は全く想像力というのを働かせていなかった。どこかで馬は自分に従うと思っていたかもしれない。そうでなければ、屈服させればいい、というような。
確かに俺の発想には、イダサがいう、優しさみたいなものはない。仮に馬が俺の内心を察しているなら、馬の方でも俺に屈服されまいと意地を張っただろう。
何かが一本の線で結ばれたような気がした。
俺はイダサのことを本当に認めてはいなかった。
魔法学校高等科を卒業していると聞いた時、錬金術を使うのに魔法学校高等科を卒業していることに、驚かされた。本人は半端者と言っているが、錬金術をある程度学び、さらに魔法を学ぶものは珍しい。事情があったようだが、そんな転向がうまくいく例は稀だろう。
奇妙な才能の持ち主であるイダサは、俺にとって好敵手となっていた。どこかで上回っていたい、つまりイダサを屈服させたいと俺は思っていたことになる。
その感情が誤りだと、俺は馬を通して教わっているようにも思えた。
「ファルスもすぐに乗れるようになるよ。馬と仲良くすればね」
考えておく、と俺は答えるだけだった。
その日の夕方、剣聖二人がやってきた。カスミーユとリフヌガード。二人の間の空気はやや険悪に見えたが、もちろん口論したりはしないし、睨み合いもしない。ただ空気が変に張り詰めて、ピリピリしていた。
イダサは剣聖の前で乗馬を披露し、カスミーユは「悪くない」と消極的ながら褒めた。リフヌガードも「問題はなさそうだ」と答えた。
こうしてイサダは赤の隊を去っていった。彼は元々、緑の隊の一員なのだ。騎馬隊に組み込まれることはないはずだが、それでも剣聖騎士団の一員である以上、馬術を身につける必要があったようだ。
「元気で、ファルス。また会おう」
最後にイダサは清々しい声でそう言うと、いっそ颯爽と去っていった。
俺はこの日の夜、馬のそばで夜を明かした。
馬と親しむことを、試す気になったのだ。
ただ、この夜はさすがに落ち着かず、一睡もできなかった。馬も、落ち着かないようだった。
(続く)