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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第二部 二人の男の数奇な関係
67/155

1-7 経歴、名声、未来

       ◆


 第一軍の野営地から少し離れたところが、赤の隊の野営地だった。

 幕舎が三つあるきりで、そこにいるのは総勢で三十名にも満たない。幕舎二つでも足りそうだが、男女で分けられている。女性の数は半数ほどで、しかし何かに忖度したわけではなく、隊長にして剣聖のカスミーユが王国中から集めた使い手が女性だっただけのことだ。

 俺にはルルドが常に張り付いていた。

 食事から始まり、馬の世話、剣の手入れ、洗濯などの日常から、兵士としての訓練もルルドが指導して、さらに一緒に歩哨に立ったり、夜警に立ったりした。

 恐ろしいほどの速さで毎日が過ぎていく。

 負傷することは数え切れない。訓練用の棒でルルドに打ち据えられれば痣がくっきりと浮かび上がり、馬から落ちると動けなくなる。そうなると隊に所属している若い医者がのんびりとやってきて、適当な処置で俺を回復させる。

 医者は錬金術士だろうと見当がついた。普通の回復ではないからだ。

「見習いをあまりいじめない方がいいよ、ルルド」

 名前も知らない医者が、そんな言葉をルルドに向けたけど、彼は笑い混じりに答えた。

「見習いのあんたをいじめるのもやめた方がいいかい?」

 ルルドの冗談に医者は笑うと「私はもっといじめてもらいたいね。患者をどんどん作ってくれ」という不穏な言葉を残して去って行ったものだ。

 俺がルルドに徹底的に棒で打ちのめされ、馬に乗れるように指導されている間、赤の隊の二重数名は野営地にはいないことが多かった。彼らは第一軍との調練をしている期間にあたるという。歩兵は別の部隊が請け負っているようだが、第一軍の騎馬隊は赤の隊が相手をしていた。

 俺は馬術の稽古の最中、赤の帯の実際を少しだけ見ることができた。

 そうして彼らの様子を見ているとわかってくるが、赤の隊はそもそも騎馬隊として構築されているらしい。馬も体格のいいものが揃っているし、馬匹を担当するものも用意されている。秣なども野営地に自分たちの分を確保している。

 何より、赤の隊の面々の馬の扱いは、神業めいている。

 ただの三十騎にも満たない集団が、完璧な統率の下で自在に動く。陣形の変更は先頭を走るカスミーユの身振りで指示され、鮮やかに隊形は変わる。

 第一軍の騎馬隊は総勢で一〇〇名を超えているようだったが、赤の隊は彼らを翻弄し、訓練用の棒で次々と容赦なく馬から叩き落とす。

 俺には全く縁のなかった世界である。

 どうして俺はここにいて、ルルドに暴力的な訓練を課されているのか。

 受け入れがたい、信じたくない答えしかない。

 つまり、俺も赤の隊の一員にならなくてはいけないのだ。

 なれるわけがない。

 馬に乗った経験なんてなかった。魔法で相手を無力化することは考えても、剣や槍なんて、触れたことさえない。訓練用の棒だって、それで相手を打ち据えることなど経験していない。

 その時も、ルルドの棒が俺の胸を打ち据え、呼吸が止まって俺は仰向けに倒れた。

 地面には枯れ草しか生えていないが、それでも独特の匂いがする。土の匂いもした。

 空はよく晴れている。

 俺はいったい、何をしているんだろう。

 こんなところで兵士の真似事をするために生まれてきたとは思いたくない。

 魔法学校で、教授と並び立ち、やがては超えていくのが俺の使命だったはずだ。

 なのに教授と議論することもなく、研究や調査に没頭することもなく、魔法学校のあの古い書物とインクの匂いの中にいるのでもなく、野原で、ボロボロになって、倒れているとは。

「ファルス、立ちなさい」

 ルルドの声がする。

 立ち上がりたくなかった。ずっと横になっていたい。打ち据えられるのは嫌だ。馬から落ちるのも嫌だ。歩哨に立つのも嫌だ。

 帰りたかった。

 魔法学校に。

 過去に。

「ファルス」

 ルルドの呼びかけに、俺は答えることもなく、ただ仰向けに倒れたままでいた。

 どうとでもなれ。懲罰で殴られても構わない。調練の一つでもある長距離を走る訓練を課せられても、構うものか。死ぬまで殴ればいい。気を失うまで走らせればいい。

 俺をもう一度、立ち上がらせることができるなら。

 全てを受け入れるつもりだった俺は、すぐ横にルルドが腰を下ろすのを視界の隅で見た。

 彼は片手で訓練用の棒を弄びながら、話し始めた。

「隊長は魔法学校の出身だ。お前と同じだよ、ファルス」

 今更、何の話だろう。聞きたいとも思わなかったが、俺は黙って耳を傾けた。

「隊長はな、魔法学校幼稚舎から初等科、中等科、高等科と魔法学校で過ごした、根っからの魔法使いだ」

 噂で聞いたことがあったかもしれない。でも俺はまさか剣聖その人が俺の身近にいる事態が出来するとは想像もせず、聞き流していた。

 そう、噂では、純粋培養の魔法使いが剣聖になった、というものがあったはず。でも俺は幼かった。十年ほど前に聞いたのではなかったか。

 ルルドは淡々と言葉にする。

「魔法使いの組合の一つ、智天使教会からは最高位の称号である「審判者」を受けている」

 智天使教会は俺も知っている。魔法使いの集団の一つで、三大教会の一つだ。そこに所属することは魔法使いの一つのステータスでもある。俺でさえ、三大教会から声はかからなかった。俺がいかに天才だと持て囃されても、三大教会はそういうものには興味を抱かない、というのがその集団の特殊性を示している。

「その隊長が、こうして騎馬隊を作り、調練を繰り返している理由がわかるかい?」

 いいえ、と俺は寝転がったまま首を振った。

 ルルドは真剣な声で応じた。

「それは、聖剣が存在する理由と直結している」

「聖剣が、存在する理由……」

 そうだ、とルルドが顎を引く。

「聖剣がこの世にあるのは、いずれ起こるであろう、魔剣復活に際して人々を守るためだ。聖剣に見出される剣聖とは、人類の盾であり、剣であるということだ。その宿命、重責からすれば、魔法の探求など小さなものではないかな」

 荒唐無稽は話だった。

 魔剣復活など、おとぎ話だし、そんなおとぎ話は今時、子供でも信じない。

 しかし、聖剣は実在するのだ。そして剣聖も存在する。

 カスミーユは、剣聖を選んだ。あるいは選ばざるをえなかったか。

 確実なのは、彼女が魔法使いとしての経歴と名声、未来を棚上げして、ここで馬に乗って駆けていることだ。

 俺が黙っている横で、「そろそろいいだろう」とルルドが立ち上がった。

 俺が上体を起こしたのは、反射的な行動だったが、理由を探すとすればカスミーユと自分を重ねたからだろうか。

 カスミーユに比べれば、俺の能力も、経歴も、可能性も見劣りする。

 俺がここで何もかもを投げ出すのは、負けだ。

 勝負にならないとしても、不戦敗だけは嫌だ。

 地面を踏みしめた俺の足は、自分でも意外なほどしっかりと力がこもっていた。



(続く)

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