1-6 罪の行方
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部屋の掃除は遅々として進まなかった。
書籍は錬金術に関するもの、医学書、薬学書、その他科学全般、多岐に渡る。まずは分類して、次に書棚にそれぞれを振り分けていく。書棚にぎっしりと詰まっている、というか押し込まれている書籍も、一度、取り出す必要があった。
五日目に、リフヌガードが戻ってきた。
例のデスクの下の毛布を彼が寝床にすることはなかった。誰が寝床にしたのかといえば、僕だった。初日の夕方、緑のローブを回収に来たリフヌガードがそこで寝ろと言ったのだ。さすがに窮屈だったので二日だけにして、残りは長椅子で寝た。それくらいは許されるだろう。
戻ってきたリフヌガードは部下を連れてきていて、「新しい書棚を手に入れてきたぞ」と分解されている書棚が四台、運び込まれた。彼らは手早く書棚を組み上げたけど、部屋の圧迫感は否応無しに上がる。
しかし、これで少しは書籍を床に積まずに済む、と思った僕だけど、何か違うような気もするな……。
書棚を用意してくれたリフヌガードだけど、すぐに去っていった。誰も手伝ってくれないとは、やっぱり何か違う。
部屋に案内されてから一週間が過ぎ、十日が過ぎた。
リフヌガードがふらっと戻ってくると「ふむん」と部屋を見回して頷いた。
「意外に手際がいいな」
「どうも」
他にどう言えただろう。
書棚がずらりと並んでいるので、部屋は最初より手狭になった印象がある。しかし整頓されて、風通しは良い。何より見栄えが良い。雑然とした無秩序はもう影も形もなかった。
「さて、イダサくん。剣聖騎士団について、少し話しておこう」
綺麗になった長椅子に腰掛けて、リフヌガードは僕を見上げた。僕は膝を折るべきかと判断しで身を屈めようとしたところで、「そのまま聞いてくれ」と制止された。
「剣聖騎士団は四つの隊に分かれている。黒の隊、赤の隊、緑の隊、白の隊だ。それぞれを剣聖が率いる。剣聖については知っているかい?」
子どもが好む物語に剣聖は多く登場する。だから僕も幼い頃から剣聖というものを知識として知っていた。まさか、実際の剣聖を相手に、剣聖とは何かを話す日が来るとは想像もしていなかった。
「聖剣に選ばれた、聖剣の使い手、ですよね?」
「その通り。聖剣は剣聖にしか抜くことができない。そして現存する聖剣は四振りとされる。それは今、ソダリア王国に揃っているということだ」
聖剣。
その存在は創作の中にも伝説の中にも多く出現する。曰く、古の時代に神が作り出し、聖剣は人間に超常的な力を与え、その時代、人間と争っていた魔物を打ち払うのに力を発揮した。
伝説の武器、というものが実在するかどうかは、子どもはもちろん、大人でも疑うものはある程度いる。
なにせ、聖剣も、使い手の剣聖も、その力を見せつける場面などないからだ。
魔物はとうの昔に封印され、剣聖の立場は教導隊の隊長程度に過ぎない。聖剣の力より、科学技術の方が一般人には馴染み深いのは事実だ。魔法や錬金術でさえ、科学に場所を譲りつつある。
僕は目の前にいる人物を改めて観察した。
どこにでもいそうな柔和な人物。背丈はないけれど、鍛えているのがはっきりとわかるような体型。
しかし、この人物が聖剣の使い手に見えるか、と問われると、僕には疑問符しかない。
見えないのだ。
どこにでもいる、ちょっと不思議な人物、でしかない。
「剣聖について疑念を持っているな?」
目元に柔らかい笑みを浮かべながら、リフヌガードが言葉を向けてくる。内心を読まれたような形になり、僕は恐縮してしまった。それさえもリフヌガードには可笑しいらしい。
「気にするな。剣聖は少し変わり者が多いが、人間を逸脱しているわけではない。人なのだよ」
「それはそうでしょうけど……」
思わず親しげなことを言ってしまったが、リフヌガードは聞き流してくれた。
「話を戻そう。お前は剣聖騎士団の緑の隊に加入したことになっている。緑の隊も他の隊とやることは変わらんが、個性はある」
「個性、ですか?」
「そうだ。緑の隊は、錬金術を扱うもの、医術を使うものが集められている」
言葉の意味を理解して、自分がここにいる理由の一つがわかった。
「つまり、リフヌガード様、僕は、錬金術士としてここに呼ばれたのですか?」
「その通り。老師カーヴァインの弟子であり、異端の錬金術士の盟友である人物として、お前を呼んだのだよ」
やめてください、と思わず声が漏れていた。
「僕は老師カーヴァインに破門されました。友人も、救えませんでした。何より、僕は罪を犯しました」
「どのような罪だ?」
「……命を、冒涜しました」
ふん、とリフヌガードは鼻で笑って、僕の悲痛な声を否定した。
「命の冒涜など、錬金術士の日常だ。私でさえも錬金術士として、様々なものを生み出し、様々なものを処分してきた。命の冒涜など、日常だよ」
救いがある、なんてことはなかった。
僕が許されていると感じるわけもなかった。
リフヌガードはあるいは、何らかの強靭さで精神的な負担、重さを無視できるのかもしれないけど、僕にはそんなことはとてもできない。
「いずれ、お前もわかる」
リフヌガードは柔らかい笑みで言った。
「お前の罪も、お前の贖罪も、何もかもがわかるようになる。自分が本当に救いのない人間か、それとも少しは意味のある存在なのかがね。もっとも救いのない人間だろう、意味のある存在だろうと、死ぬまでは生きるものだ」
遠回りだが、リフヌガードは僕に逃走を禁じたようだった。
全てを受け入れ、その中で答えを探し、答えから逃げないこと。
言葉では短く要約できる。感覚としても飲み込める。
しかし実際には、厳しい戦いになるはずだ。
僕はどれだけの苦痛、苦悩にまみれるだろう。
「イダサ」
すっくとリフヌガードが立ち上がった。
おや、と僕は思った。動きに不自然なものがあったからだ。しかしあまりにも些細な違和感なので、どこに違和感を感じたか、わからない。
そんな僕に気づいた様子もなく、リフヌガードは腰にある短剣を鞘ごと抜くと、僕に放ってきた。受け取ってみると、見た目以上に重い。短剣なんて、手にした経験がない。
「馬と剣、どちらを選ぶ?」
馬と、剣……?
(続く)