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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
57/155

4-11 餞別

     ◆


 旅の準備は順調に進んだ。

 ルーカスが言うには冬は晩夏の次に海が荒れる季節だという。それでもここのところ造船技術も航海術も進歩しており、古い船でなければ難破などしないということだ。

 これには思わずリコの顔を見てしまったが、彼女は少し申し訳なさそうに答えた。

「私が乗っていた船は、それはそれは古い船でございました」

 船に関してはルーカスが主に手配をして、旅に必要なものはアールとリコが手分けして整えていった。

 僕ができることはほとんどなく、館の整理をして時間を過ごすことが多かった。

 尖塔のひとつに部屋を与えられて半年と少し。

 カル・カラ島という狭い世界で生きてきたので、荷物が増えることはなかった。手元にある書籍のうちのいくつかは是非、持って行きたいのだけど、さて、そんな荷物の余裕があるだろうか。

 剣は二振りで、片方はもちろん聖剣である破砕剣、もう一方はベッテンコードが与えてくれたものだ。

 聖剣はどこか手入れするのも躊躇われる。鞘から抜くのも憚られた。

 なので僕は時間があると、ベッテンコードから引き継いだ剣を研いでいた。

 支度はほんの一週間で終わってしまった。

「これがとりあえずの路銀、というか、剣聖の路銀は剣聖騎士団、つまりソダリア王国が払うはずだから、変な表現だけど、私的な路銀、だ」

 食堂での夕食の席で、食事が終わってお茶を飲んでいる最中、そっとクロエスが小さな袋をテーブルに置いた。音からして銀が入っているだろうとわかる。しかも今までに見たことのない量の。

 袋がこちらに押し出されるので、どう応じるか迷ったけど、僕は意を決して「ありがとうございます」と受け取った。僕が正直すぎたのが照れ臭いのか、クロエスがからかうような声を向けてくる。

「間違ってもアールの遊びに使ってはいけないよ」

「それは酷い言葉ですな、クロエス殿」アールが飄々と反論する。「遊びに使う銀には困っておりません」

 リコが冷ややかな声を向ける。

「遊びに夢中になって、本来の目的を忘れては困ったことになる」

「リコ殿、このアール、遊びと仕事の区別ができない男では断じてない。仕事をするように遊び、遊ぶように仕事をする男です」

 変な表現にリコも毒気を抜かれた顔になり、黙ってしまった。それをクロエスとルーカスが笑っている。

 船がカル・カラ島へ到着するのは五日後で、それまでにすぐに荷物を積み込めるように、持っていくものは待機所と呼ばれる倉庫へ運ぶとのことだった。ルーカスがそのための人夫をここへ呼ぶつもりで募集をかけている、と話すと、クロエスが少し思案した後、「館を知られるのはちょっと困る」と発言した。

 結局、クロエスの意見を汲んで、手分けして屋敷から少し下った場所で荷物の受け渡しをすることに決まった。

 ルーカスはどうやらクロエスの事情をぼんやりと察しているようで、この計画に異を唱えなかった。

 クロエスのことが大陸でどれだけ有名かは僕にはわからないけど、ここに身を隠していることは明らかだ。ルーカスがただの剣士ではなく、そういう機微もわかる人物で助かった。

 僕はその日の夜明け前、簡単な置き手紙を残して、館を出た。

 夜の闇は月明かりに薄められている。

 山を下り、未舗装の道を駆け抜け、漁師の集落にたどり着いた。すでに日が出ようとしている時間で、水平線に近いところほど、それは黒から青へと鮮やかさを変えている。

 集落はすでに動き出し、数人が小舟を浜から海へと押し出している。

 僕は歩調を緩めて砂浜へ下り、最後の一艘が海へ出るのを見送った。

 砂浜には冷たい風が吹いている。海上の風はもっと冷たいだろう。

 着てきた服の襟元を合わせて、砂浜に座っているうちに、目の前でついに水平線に太陽が現れた。

 強い光が僕を照らした。

 海が美しい。

 宝石よりも輝き、奇跡を連想させる神秘性が、目の前で解き放たれていく。

 ふぅっと息を吐いて、新しい空気を吸い込む。

 体の中の何かが置き換わって、少しだけ感覚が鋭くなる。

 やがて小舟が浜に戻ってきて、魚の入った荷箱が運ばれていく。数人の漁師がこちらに気づき、手を振ってくるので僕も手を振り返した。

 いつかと同じように、最後の舟でウドが戻ってきた。僕は立ち上がり、彼に歩み寄る。

「おはようございます、ウドさん」

 老人は無愛想に一度、頷くだけだ。

「実は僕が、その、島を出ることになりまして」

 だいぶ思い切ってそう伝えた僕に、ウドはまた頷くだけ。無言。

 それだけ……?

 二人ともが沈黙した後、やっとウドが口を開いた。

「若いものは外へ出るべきだ。世界で生きろ、アルカディオ」

 それがどうやら、ウドなりの激励らしかった。

「ありがとうございます」

「飯を食っていけ。そのつもりで来たのだろう?」

 言葉こそ少ないか、なんでもお見通しみたいだ。実際、館の置き手紙には食事のことを書いてきたのである。

 僕はもう一度、礼を言ってウドの食事に加えてもらった。

 水揚げしたばかりの魚の刺身は、びっくりするほど美味い。飯とよく合う。それほど裕福ではないために、豆や雑穀などいろんなものが混ぜられている飯なのも、今は好もしい。

 食事を食べ終わったところで、ウドが部屋の床の一部を持ち上げ、その下の収納から何かを引っ張り上げた。

 瓶に見えるけど、色付きガラスなので中身はよく見えない。

 その瓶が僕の前に置かれ、「餞別だ」と彼が言った。

「餞別?」

「酒だ。梅が入っている。やや強いから、水で薄めるといい。持っていけ」

「でも僕は、何もお返しができません」

 おかしなことを言うな、とウドが笑みのようなものを見せた。初めて見る表情だけど、そう、笑ったのだ。

 でもそれ以上の言葉はない。

 結局、僕はその瓶を丁寧に礼を言って受け取った。

 後でお礼を何かを届けるべきか、帰り道に考えたけど、そういうものは必要ないんだろう。

 餞別とは、そういうもの。

 それは背中を押す代わりのものだと思う。

 歩く僕が胸に抱えている瓶の中で、液体が小さな音を立てた。

 いつか、何か、僕からウドに贈るものを探そう。そう決めた。



(続く)

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