4-10 守護者
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サリースリーの言葉に含まれた感情は、不快と、悲しみだろうか。
いつになく明るさを曇らせている少女を前に、クロエスはしかしはっきりと頷いた。
「サリースリー、いや、アルスライード、これより先は僕ではなく、アルカディオを守ってほしい。僕はこの通り、隠棲している錬金術師であり、もはや使命は何もない。でもアルカディオは違う」
僕もサリースリーのことは聞いていた。
あの山奥で対面した古の龍、アルスライードのもう一つの肉体がサリースリーであり、彼女は人造人間の体を仮初の肉体とした龍そのものなのだ。
どういう事情があったかは、僕は知らない。誰も教えてくれないからだ。
しかしクロエス、ベッテンコード、そしてアルスライードの間で、何かしらの契約があり、そうして僕が生まれ、またサリースリーも生み出された。
サリースリーとは、龍が錬金術師を監視するための存在だったかもしれないし、もっと素朴に龍が人を見守るための端末なのかもしれない。
そう、クロエスという異端の錬金術師、倫理も人道も外れた発想を持ち、それを実際の形にしてしまう異常者を、龍は見守ったのだ。
それに、人を知り、同時に、自分の一部が組み込まれた、人間でも人造人間でもない僕という存在を知るためにも、サリースリーは必要だったはずだ。
クロエスは今、僕にサリースリーをつけることを決めた。
そのことは、サリースリーに僕を支えさせるのと同時に、僕が暴走した時には処分せよ、と言っているのだと僕は解釈した。
それが当然だ、とも思う。
僕という存在は、どうやらあまりにも大きな逸脱を生んでしまった。
人造人間ではなく、また一般的な剣士でもない。
サリースリー、龍の力でなければ僕を止めること、あるいは倒すことも不可能だ。
「お前はここに残って、何をするのだ? クロエス」
僕が思考に沈んでいる間に、サリースリーはクロエスに歩み寄り、その顔を見上げていた。
今まで見せたことのない、小動物のような仕草でクロエスに詰め寄る彼女の両手が、クロエスのローブを握りしめる。
「お前が私を作った。私にはお前が必要だ。アルスライードが私でもあるが、私は私だ。お前には恩義があり、親愛の情もある。それをお前は、拒絶するのか」
実に奇妙な論法で、それが彼女が人間らしからぬ思考、発想の持ち主だと示している。
クロエスはしかし、わずかに動揺も狼狽もせず、平静の通りだった。
「サリースリー、きみもまた僕が作った人造人間だ。アルカディオとはまた違うけど、きみもまたある種の僕の娘だよ。これでも寂しいという気持ちはあるんだ。どうか、それを察しておくれ」
「嫌だ」
「嫌でもこれは決めたことだ。きみも分かってるはずだよ。違うかい? 今、本当に仲間を欲しているのは僕ではなく、アルカディオだって」
「嫌だ、嫌だ!」
サリースリーが首を振る。アルカディオは口元を緩めて、それを見ている。
いっそ、残酷だった。見ている僕の方が胸が引き裂かれそうな光景だった。
「アルカディオ」
不意にクロエスが黙ってた僕の方へ顔を向けた。困ったな、という笑みが口元にある。
「アルカディオ、きみにはサリースリーが必要だろう?」
こんなに答えづらい質問もない。
でも答えは一つしかない。
もしかしたらクロエスは、僕がこれから下していく身を切るような決断の、最初の一つを今、この場でさせようとしているのかもしれない。
逃れることのできない決断の、最初の一つ。
「サリースリー」
声は暗くなった。でも言わないではいられない。使命感のようなものが、僕に続きの言葉を口にさせた。
「僕にはきみが必要だ」
僕の言葉に、サリースリーが悲壮な顔になり、僕とクロエスに視線を行き来させ、最後には力なく俯いた。
龍でも涙するのか、と思ったが、彼女は涙をこぼすことはなかった。
キッと僕を睨みつけ、それから今度はクロエスを睨みつけた。
「クロエス、いつか必ず、またここへ戻ってくることとする。私は必ず、ここへ戻ってくるぞ、いいな、クロエス」
いいよ、とクロエスは頷くと、サリースリーの頭に手を置いて髪の毛をかき回した。最初こそ黙ってされるがままになっていたサリースリーが、クロエスがいつまで経ってもやめないので「やめよ!」と怒声とともについに荒々しく彼の手を振り払った。
そうして空気は普段通りに戻った。
日常の空気に。
そっぽを向いたまま、サリースリーが唸るように声にする。
「私はお前が心配なのだ、クロエス」
「気にしない、気にしない。サリースリー、それを杞憂というのだよ。僕のことは気にしないで、自分のことを考えなさい。大陸で生活するのだよ? 大勢の人がいる場所でね」
「誰も私のことなど気にも留めまい」
「かもね。でもそれはそれで、きみには思うところがあるはずだよ」
「どうだかな」
サリースリーは強気に鼻を鳴らして、やっと僕の方を振り返った。強気な視線が僕に据えられる。
「アルカディオ、お前を私が守護することになった。クロエスには折に触れて、常識がない、と言われた私だが、力だけはあるつもりだ。聖剣の持ち主に守護者など不要だろうが、そばに置いてくれ」
僕は思わず笑ってしまったけど、それもサリースリーには不服なようだ。取り繕うように、頭を下げる。
「こちらこそ、頼りにしているよ、サリースリー」
こうして妙な感じで、僕はまた一人、信頼できる仲間を得ることができた。
クロエスは僕にサリースリーの食事について説明し、形の上で食事もできるが、実際には虚空から力を得ているため、食事は必要ないという。
「もっとも、剣聖のそばに仕えるものが食事の席に絶対に同席しない、というのはさすがに目立つ。サリースリー、きみもこれからは食事の席に同席しなさい」
「無駄なことだが、しかし人というものは実に狭量だな。食事をしない程度のことにうるさいことだ」
拗ねたようなサリースリーの言葉に「何事も経験だよ」とクロエスは笑い混じりに応じている。それにサリースリーが目を光らせる。
「私の主人はクロエスではなく、アルカディオになったのでな、異端の錬金術師殿の言葉を真面目に聞く必要もないわけだ」
クロエスがちょっと口を開き、噴き出すように笑い出した。
「それもそうだけど、さっき、必ず戻ってくると言ったのはきみだよ」
「それとこれとは話が別、と人間だったら言うだろうな」
いや、言わないよ、と思ったけど僕も言葉にしなかったし、クロエスもしなかった。
ひとしきり笑ってからクロエスは僕を見て肩をすくめる。
「この通りじゃじゃ馬で扱いが難しいが、まぁ、東方の諺で、苦労は買ってでもしろ、と言うから、アルカディオ、うまく使ってやってくれ」
素早くサリースリーが口を挟む。
「私は物ではないぞ、クロエス」
「それは失礼。アルカディオ、あまり考え詰めないように、気楽に扱うといい」
物ではないというのに、とサリースリーがクロエスの足を蹴りつけるが、ものすごく加減したんだろう、クロエスは悲鳴一つ上げなかった。
そんな光景を前に、じわじわと僕の心に切なさが広がっていくのは、この三人の空間の空気は当分、僕とは無縁になるという事実のせいだろう。クロエスとは別れなくてはいけない。死ぬわけじゃないけど、しかしそう簡単には会えなくなる。
ちょっとだけサリースリーが駄々をこねた理由がわかった気がした。
聞き分けのいいフリして、平然としている自分がどこか冷たく感じられる僕だった。
でももう、僕は、ここを離れないといけないのだ。
(続く)