4-9 証明
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食堂へ布に包まれた剣を手にして入ると、それだけで場が緊張した。
アールもリコも聖剣を見たことはないはずだ。そうか、クロエスはベッテンコードさんと僕を生み出すとき、見せてもらったかもしれない。
僕が足を止めたので、四人が自然、席を立って僕を半円で囲むようになった。
僕は片手で剣を保持して、布を解いた。
おぉ、とルーカスが思わずといったように声を漏らす。
「これで間違いないでしょうか?」
悲愴と言ってもいい表情で、ルーカスが頷く。
「はい。まさしく、破砕剣に違いありません」
「抜いてみますか?」
えっ、とルーカスが言葉に詰まったところで横から手が伸び、アールの手が聖剣を掴んでいた。
剣を放そうとしない僕に彼はニヤァっといつもの笑みを見せる。
「選ばれたものしか抜けない、っていう触れ込みだが、まぁ、眉唾だろう。俺が抜いてみるとしよう」
僕はそっと剣をアールに渡したけど、彼は不意に顔をしかめながら「変に重い剣じゃないか」と呟いた。重い? そうだろうか。
彼は右手で柄を握り、ぐっと力を込めた。
しかし剣を抜こうとしない。
表情を見ると急に死人のような青い顔をして、冷や汗さえかいていた。
その様子にリコが挑戦的な笑みを見せる。
「何をしているのです? 威勢のいいことを言いながら、本当に抜けないのかね?」
「そういうリコ殿こそ、抜いて見せてくれ」
真面目な顔で剣を差し出され、リコが困惑しながらそれを受け取ると「失礼」と剣を抜こうとした。
同じだった。リコも強張った表情で、自分が手にしている剣を見ている。
彼女の視線が僕、ルーカス、そしてクロエスと移動した。ルーカスは取り乱しておらず、むしろ得意げですらある。クロエスの方は穏やかそのものだ。答えはそのクロエスから告げられた。
「アールもリコも抜けないはずだ。僕も抜けなかった」
これにはアールもリコも驚きを隠せなかった。
「クロエス殿が抜けないとは、噂は本当か」
アールがバツが悪そうに頭を掻いているのを前に、僕に剣を返したリコが「我らは滑稽よな」と苦笑いしている。
そうして自然、四人の視線が改めて僕に向いた。
抜けるのか、抜けないのか。
僕は左手で鞘を握ると、そっと右手で包み込むように柄を握る。
不思議な感覚だ。心の一部が冷えるようでありながら、体にはぬくもりがある。
ただの剣ではないものが自分の手の中にあるのだと、確信に近いものがどこからか舞い降りてくる。
右手で剣を抜く。
涼しい音を立てて、剣は鞘から解放され、僕はまっすぐに刃を立てた。
あの夜、ベッテンコードに剣を譲られた時のような、不可思議な現象は起きなかった。しかし誰も抜けなかった剣を僕が抜いたのは、事実だった。
すっとクロエスが膝をついて、ルーカスもそれに倣う。リコが膝をつき、アールも膝をついた。「新たなる剣聖殿、おめでとうございます」
クロエスの言葉に「おめでとうございます」と三人が唱和する。
僕はどう答えるべきか、誰に何を聞くべきか、少し考えてからルーカスに声をかけた。
「ルーカスさん、僕はどうするべきでしょうか。ここにいてはいけない、のですよね?」
その言葉に、ルーカスがわずかに頭を下げる。
「その通りです。あなたには剣聖の一人として、ソダリア王国においての職務がございます。黒の隊は再び、あなたの元へ集うことでしょう」
「僕は外の世界を知りません。いきなり、仕事を与えられても困ります。人間の社会、国というものもよく知らないのですから」
「我らがお支えいたします」
ルーカスが口にした、我々、という表現に、短くアールが口笛を吹く。
「私はアルカディオ様について参ります」
まずリコがそう言って、次にアールが「同じく」と簡潔に言葉にした。
僕は自然とクロエスを見ていた。
眼帯で目元を覆った錬金術師は、いつになく真剣な表情で僕の方を見ていた。
「私はここに残りたいと存じます」
「え……」
残る? カル・カラ島に?
「剣聖という方のそばに、汚点しかない人物がいるのは好ましからざること。私はここで隠遁するつもり、元よりそのように生きておりました故、どうか、お捨て置きを」
言葉が見つからないまま、沈黙が降りてくる。
「どうか」
クロエスが繰り返したので「そうする」と僕は答えた。
急に剣を抜いたままなのが滑稽に思えて、僕は素早く鞘に戻した。
「アールくん、リコ殿、ルーカスくんと今後について検討しておくれ」
膝をついていた姿勢から立ち上がりながらクロエスが言う。
「アルカディオは近いうちに、大陸へ行くべきだ。もちろん、船の手配もだし、他にも手配するものは多くあるだろう。幸い、三人とも旅には慣れているだろうから、抜かりはないはずだ。そうだね?」
その言葉に立ち上がった三人が頷く。
「僕はアルカディオと話したいことがある。席を外してくれないかな」
はい、と三人が即座に頷いたのは、いつになくクロエスが発散する空気に緊張したものがあったからだろう。
こうして食堂には僕とクロエスだけになった。
「あの、クロエス先生、お話とはなんですか?」
僕の問いかけに、クロエスはもう普段通りに戻り、いつもの知的な微笑みを向けた。
「もうちょっと待っておくれ。すぐにやってくる」
やってくる?
食堂の扉が開き、その人物がやってきた。
「サリースリー……」
少女は愉快げな表情で僕のそばへ来ると「もう剣聖殿と呼ばなければならんのかな」と、僕の顔を覗き込んでくる。
「いや、僕は僕のままなんだけど……」
「しかしもはや、剣聖の模造品ではあるまい。立派な一人の剣士であり、剣聖の一人なのだから」「うーん、本当に、自覚がないんだ」
馬鹿なことを、とサリースリーは笑ってる。
クロエスはそんな僕たちの様子を眺め、咳払いで注意を自分に向けた。
僕とサリースリーの視線を受けて、クロエスはまずサリースリーを見た。
「サリースリー、きみに新しい使命を与える。アルカディオを守護するんだ」
サリースリーは珍しく、悲しげな顔をして、それから僕を見た。
助けを求めるような眼差しだった。
「クロエス先生、それは……」
僕が言葉にしようとすると、クロエスはこちらに手のひらを向けて遮る。これは普段の彼らしからぬ行動に見えた。
クロエスの声は、静かだった。
「いや、アルカディオ、僕がそばにいられない代わりを、サリースリーに任せるんだ」
部屋には沈黙が降りて、急に空気の冷たさが感じ取れた。
その静寂を破ったのは、サリースリーだった。
「これも定めなのか、クロエス。人の身を借り受けた定めか?」
(続く)