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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
54/155

4-8 残滓

      ◆


 クロエスの館に戻り、そこで剣聖騎士団の男は治療を受けた。

 治療したのはクロエスで、遅れてやってきたアールは「クロエス殿の治療とは、僥倖だな」とだけその件に触れた。自分が治療せずに済んだことを言っているのか、自分だったら仕返ししてやるところだと言いたいのか、そこはわからない。

 剣聖騎士団の彼の名前はルーカスというのだと、僕はだいぶ経って思い出した。

 それより前にいくつかの出来事があった。

 一つはリコがやってきて「殺さなかった理由を聞かせていただけますか」と訊ねてきたことだ。

 これに僕は即答することができなかった。

「殺す必要はなかった」

 やっと僕がそう答えると、しかしリコは頷いただけで言葉はなかった。表情も、珍しく感情を欠いていて、彼女の内心は推し量るのも難しい。

 もう一つは、黒装束を宿に放り込んでからやってきたアールが、僕に詰め寄ってきたところから始まる。

 僕はクロエスがルーカスの治療をしている間に、一人で館の裏に出ていた。どうやって僕の居場所を知ったのか、やってきたアールは勢いよく間合いを詰めたかと思うと、その手が僕の服の襟首を掴んだ。

 すぐそばにあるアールの双眸にはいつになく真剣で、鋭角なものがあった。

「あの男はきっと、死にたかった、と思うようになるぞ。あんな惨めな立場に立たされればな」

 僕はぐっと力強く引き寄せられていて、至近距離でアールに睨まれたわけだけど、やっぱり答えられなかった。

 死にたかった、という試練を僕はルーカスに与えた。試練というには絶望と紙一重であり、ともすると奈落へ飛び込む方が楽だと思えるような、際どいところへ彼を押しやったのだ。

 そう。意図的に、だ。

 僕はただアールを見た。

 沈黙の後、強く僕を突き飛ばすと、アールは館の中に大股に歩いて戻っていった。彼が僥倖について発言したのは夕食の席で、僕に掴みかかった時の彼は、その時にはいなくなっていたことになる。

 僕は夕食の時まで、一人で館の裏に立って、思案していた。

 ルーカスに対処したのは僕だ。それは間違いない。

 でも僕は、ベッテンコードとしてルーカスを育てようとしたのではないか、という疑問があった。

 僕の中には、ベッテンコードの一部が確かにあるのだろう。

 夕食に僕を呼びに来たのはサリースリーで、彼女だけがいつも通りだった。市場での出来事を知らないわけもないだろうけど、我関せず、ということらしい。

 夕食の席には最初、僕とアール、リコだけで、クロエスを待つことになった。もうアールもリコもいつも通りで、昼間の黒装束の三人について話していた。主にアールが。

 しばらくするとクロエスがやってきた。彼が席に着き、「いただきます」と声を合わせ、アールは普段通り、素早く十字を切った。

「彼の傷は見た目ほどひどくはない。額に傷跡が残るだろうが、何の支障もない。鮮やかな切り方だから、残るとしてもうっすらとした傷跡だよ」

 食事の途中でクロエスはそう教えてくれた。

 それから彼は、ルーカスから聞いたという話を始めた。

「ルーカスくんは間違いなく、剣聖騎士団の黒の隊の一員だ。しかし他の三人は、見習いらしい。どうやら剣聖騎士団の黒の隊は、指揮官たるベッテンコードさんの脱走のせいで、弱体化してしまったそうだ。技量のあるものは他の隊に吸収され、ベッテンコードさんを慕う者は、懲罰のようにベッテンコードさんの捜索に動員されということらしい。その捜索のために、黒の隊の再建のために、見習いを見つけては同行させ、旅をしながら鍛えてるとルーカスくんは言っていたよ」

 これにはアールとリコが視線を交わし、どちらからともなく苦笑していた。

 あの三人が剣聖騎士団の正規団員とは思えない、とは二人の間で意見が一致していたのだ。今、それが証明されたことになる。

 クロエスは淡々と話を進める。

「とにかく、ルーカスくんは幸運にもカル・カラ島に目をつけ、捜索はほとんど成功だったが、最後の最後で間に合わなかった。僕の口からベッテンコードさんの死を伝えた時、彼は信じようとしなかった。死んだとは思えない、とね。証明が難しくてね、方法は一つしか思いつかないんだが、三人には何か考えがあるかな?」

 問いかけに、アールは「一つしかないな」と答え、リコは無言で頷いた。

 そうして三人が一斉に僕を見た。

 えーっと、それってつまり……。

「彼に聖剣を見せろ、ということですか?」

「そういうこと」クロエスが微笑を浮かべる。「彼はベッテンコードさんのすぐそばに長くいたらしい。だから聖剣を見たことが何度もあると、そう主張している。その自分が聖剣を見間違うはずがないから、ぜひ、確認したいそうだ。ベッテンコードさんが聖剣を蔑ろにするはずもなく、常に身に帯びていたはずだ、と、まぁ、とにかく熱意だけは凄い」

 冗談にアールもリコも笑っているけど、僕は気が気ではない。

 確かに聖剣は僕の手元にあるけど、正直、あれはベッテンコードが聖剣と言っただけで、本当に聖剣だと証明する方法はない。この島にいる人は誰も聖剣を実際に目にしたことはない。いや、でもクロエスはあるのかもしれない。あるいは王都にいたという時に。

「というわけでアルカディオ、後で彼に聖剣を見せてやってくれ。今日は出血が酷いこともあって、寝かしておくことにするから、明日だね。さっきの様子だと、明日の朝には元気になるだろうし、一刻も早く聖剣を確認したいと言い出すことは間違いない。僕としては、彼が聖剣を見た時にベッテンコードさんがいないことを本当に理解することになるのは、申し訳ないところだけど」

 ちょっとだけ空気がしんみりとしたものになった。

 その日は早めに休み、翌朝、朝食の席にはルーカスもやってきた。食堂のテーブルに四人が同時につく場面を僕は初めて見た。

 ルーカスは礼儀正しいけれど、瞳の奥にかすかな怯えがあり、それが僕を少し緊張させた。それに彼の頭に包帯が巻かれているのも、僕を後ろめたくさせる効果があった。

「アルカディオ」

 食事が終わってお茶を飲んでいるところで、クロエスがおもむろに僕に声をかけた。

 来る時が来たわけだ。

「ベッテンコードさんから受け取ったものを、持っておいで」

 はい、と僕は答えて席を立った。

 アールは退屈そうに、リコは真剣に、ルーカスは緊張した眼差しで、僕を見ていた。

 僕は呼吸を整えながら、歩を進めて食堂を出た。

 尖塔にある自分の部屋に入り、布で包まれている一振りの剣を手に取った。

 体に馴染む重さと、不思議な暖かさ。

 すぐそばにベッテンコードの気配を感じた。

 もう彼はいないのに。



(続く)

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