1-4 器に名前をつける
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水を吐くためのタライも用意され、なんとか口の中を綺麗にできた。
食堂の椅子に座り直し、しかし今度はクロエスは僕のすぐ横に座った。
「もうあのご老人が暴露してしまったから、正直に話そう。近いうちに話すべきだったし、いつかは話すことになるんだしね」
彼は今回は頬杖をつきもせず、姿勢正しく、気品のある姿勢をとった。
「きみは僕が作った人造人間だ。ただ、だいぶ特殊な人造人間で、そこはいずれ、明らかになると思う」
……正直に話す、って言ったような気がしたけど、もう先送りなのか……。
僕の中の疑問に気づかないはずもないが、クロエスは話を先へ進めた。
「きみが記憶障害を起こしているのは、まず錯覚だ。そもそも人造人間は記憶を持たないからね。持つとしても擬似自我が起動した瞬間以降の記録が、記憶と認識される」
「えっと……」
どういうことだろうか……。
「つまり、あの寝台の上で目覚める前の記憶は、そもそもないはずだ、ということですか?」
「あるわけがない。きみが普通の人造人間ならね」
給仕の人造人間がグラスを持ってきた。今度はさっきの食事の時に出た苺のジュースだった。礼も言わずにグラスを受け取ったクロエスが、それを傾け、話を再開するまでが酷く長く感じられた。
「きみには、あの老人、ベッテンコード翁の記憶と技能が焼き付けられているんだよ」
「記憶と、技能……?」
なんのことだろう。
クロエスがグラスを揺らす。
「それこそが、情報の転写、と表現していることで、言ってみれば、きみはベッテンコードさんの生まれ変わりだ。中身はベッテンコードさんだと言ってもいい」
もう一度、さっきの老人を思い浮かべた。
彼が、僕……?
ありえないことだ。
今、僕は僕自身を僕だと認識し、彼は彼だと認識している。
当然、とクロエスが話を続ける。
「記憶と技能が継承されても、きみはきみだよ。ただ、あの老人の記憶と技能は特殊で、容易に失われていいものじゃない。その利害が、僕とあの人との間で共有されたから、きみは生み出された」
「いったい、あの人はどういう人なんですか……?」
率直でも、どうしても聞いておくべき質問だった。
クロエスもいずれは話すつもりだろうけど、僕は早く、今すぐにそれを知りたかった。
ひどく、重く、巨大なものが僕の肩にのしかかっているような、そんな感覚があったから。
少し、クロエスは沈黙し、細く息を吐いた。
「大陸には、今、三つの国がある。そのうちの一つに、剣聖という立場の人物が四人いる」
剣聖……。
「剣聖は国の中でも最高峰の使い手であり、同時に聖剣の担い手でもある。それは覚えている?」
僕は首を左右に振った。
思い出せない。全く。
ちょっと落胆したようだったが、クロエスは説明を続けてくれた。
「この世界には四本の聖剣があり、これはいずれ起こるであろう破滅を回避するのに、必須な剣とされる。それぞれに特徴があるが、ともかく、聖剣を持つにふさわしいものは一本につき当代に一人らしい」
「それが何か、僕と関係があるんですか?」
「数年前、剣聖の一人が失踪した」
……こういう時に、嫌な予感がする、という表現を使うんだろうな。
僕が事の次第に勘付いているのを補強するように、クロエスの言葉が解答を口にした。
「その剣聖が、ベッテンコードさんだ」
やっぱりそうだ。
つまり僕は、剣聖の記憶と技能を継承した人造人間ってこと?
しかし、そんな馬鹿な。
無謀だ。何もかもが。
「どうしてあの老人が、そんなことを考えたかはまだ知らない」
僕の疑問、問いかけに先回りするように、クロエスが少し楽しそうに言う。この時、きっとクロエスの錬金術師としての本性が覗いたんだろう。
「僕としても剣聖と同等の能力を持つ人造人間っていうものに興味があってね、色々と高いハードルはあったものの要請を受け入れて、きみを作った。結果としては、まぁ、ちょっと不具合があるようだけど、ほぼ成功だ」
「ほ、ほぼ成功って、記憶がないんですよ……!」
反射的に食ってかかろうとしてしまったが、クロエスは口元を隠しながら笑っている。
「きみ、さっき自分が何をしたのか、覚えていないのかい?」
「さっきって、僕が投げ捨てられたのを、見ていなかったんですか?」
「そう、きみは投げ捨てられた。僕が言っているのは、その直前のことだよ」
指摘されて、そのことにやっと意識が向いた。
僕はベッテンコードの腕に力を込められた時、反射的に彼を投げようとした。
何も知らないはずの僕が、技を繰り出したのだ。
ピタリとクロエスが人差し指を僕の額に向ける。
「そう、きみには間違い無く、何かしらが転写できている。あの老人のほんの一部か、それとも全てかはこれからわかってくるだろう。ベッテンコードさんもきみに興味を持ったようだったからね。明日から、忙しくなるよ」
ウキウキとした口調の錬金術師に文句の一つも言いたかったけど、それよりも気になることがある。
「あの、クロエスさん、一つ、いいですか?」
「ん? なんだい?」
僕は眼帯を睨みつけ、しかし目を逸らしてしまった。
とてもまっすぐに相手を見据えて、問いをぶつけられなかった。
「僕と同じ立場の人造人間を、他にも作ったんですか?」
沈黙。
視線をゆっくりと目の前にいる錬金術師に向け直すと、彼は口をぽかんと開けていた。もし目があれば、見開いていただろうな、と僕は想像した。
そんなことはどうでもいい。
本能的な恐怖を励起させる疑念を拭えない僕に、クロエスはまったく平然と頷いてみせた。
「気にすることはない。他には作っていない。きみが試作品の、一体目だ」
気にすることはない、か。
僕は少しも安心しなかった。
錬金術師は人造人間を作り、捨てるものだ。そう決まっている。
そんなことを考える人造人間もいない気がしたが、そう、僕は他とは違うのだ。
その違いが僕を苦しめる予感がした。
クロエスは黙って、苺のジュースを飲んでいた。
僕の分も用意されていたけど、それは手がつけられることなく、テーブルの上でこの時も温くなっていく。
「きみには名前が必要だな」
そう言って空になったグラスをテーブルに置くと、クロエスが少し頭上を見てから、僕の方に顔を向けた。
そこにない瞳が輝いている気がした。
「きみの名前は、アルカディオだ」
アルカディオ。
こうして僕は生を与えられ、名前を与えられた。
歪な人造人間である僕が、最初に与えられたものだった。
(続く)