4-3 二人の存在
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市場へ降りるのは早いほうがいいだろうと、リコから剣聖騎士団の話を聞かされた翌日に決めた。
その前の夜、リコから話があった日の夕食の席で、クロエスが軽く講義をしてくれた。
「剣聖騎士団というのは、四つの隊から成り立っていて、それぞれの隊をまとめているのが剣聖なんだ。剣聖騎士団に入団するものを選ぶのも剣聖で、実力主義的な傾向がある。その辺りが、ソダリア王国における近衛騎士団とは違うところになる」
近衛騎士団っていうのはな、と同席しているアールが口を挟んだ。
「近衛騎士団というのは、いわば看板なんだ。大抵は軍人の子弟とか、貴族の子弟だよ。実力よりも肩書きの方が立派で、なんちゃら男爵、なんちゃら子爵、なんちゃら準爵なんてのがうようよいる。剣術だけだったらリコ殿と言わず、俺でさえ手玉に取れる腰抜けばかりだ」
クロエスは少し笑っていたけど、リコはどういう顔をすればいいか、といったところだ。
僕は真面目に聞いていた。
剣聖という立場に、なし崩し的になってしまった以上、ソダリア王国のことは知っておくに越したことはない。
「ともかくね」
食後の紅茶の入ったカップを手に、クロエスが言う。
「剣聖騎士団は、ソダリア王国における武力の一つの象徴なんだね。しかし数はまったく多くない。むしろごく少数だ。一隊が二十五名程度らしい。それぞれの隊によって差はあるけど、僕の知っている範囲ではそうだった」
「俺もそう聞いている。一〇〇〇人とかを相手にしたら、あっという間に散り散りになりそうだがね」
今度ばかりはリコがアールを諌めるように睨みつけ、アールは気まずそうにカップを口元に運んで音を立てて紅茶をすすった。
「ベッテンコードさんは、かつて一つの隊を率いていた」
クロエスが話を再開する。
「剣聖騎士団の四つの隊には色が与えられる。ベッテンコードさんの隊は黒、つまり「黒の隊」ということ。あの老人が僕に伝えたところでは、総勢で二十七名ということだけど、さて、何人がここへ来たのかな」
「申し訳ありません」リコが軽く頭を下げる。「深入りすると目立つだろうと思い、踏み込めませんでした」
気にしていないよ、とクロエスは口元を緩める。
「剣聖騎士団はソダリア王国においては、教導隊の役目を引き受けることが多い。今でもそれはあるだろうから、二十七名が全員ではないはず。その上で、ベッテンコードさんを探すために各地に散っているとなると、数がぐっと少なくなる。五人もいないだろう」
「一騎当千が五人、ですか?」
僕の言葉に、クロエスは真剣な顔でこちらを見据えた。
「そうだね。でもアルカディオ、その強者たちを統べるのが、いずれ、きみが背負う使命の一つになる」
「使命……」
「きみはもう剣聖になってしまった。ベッテンコードさんが選んだだけじゃなく、聖剣がきみを選んでもいる。これは誰にも否定できない評価だよ」
何も言えないでいる間に、話題は最近のソダリア王国の話題になり、これにはアールが答えたり、リコが話題を提供したりした。
ソダリア王国の国王は二年ほど前に崩御し、今は年若い、青年の年頃の王が玉座についているようだ。
「頭は切れるようだし、柔軟に国政に当たってるともっぱらの評判さ。民の間ではすでに名君と認識され始めているものの、一部の権力者や富豪からは権利を奪われると見做されていて、敵視されているってところだな」
「国を治めるというのは、手術のような要素が必ずあるね」
クロエスが何でもないように応じる。
「国というものは一つの循環装置だ。銀も、権限も、地位も循環させないと、国は硬直し、衰退する。ただし循環させるためには銀を持つものからは銀を、権限を持つものからは権限を、地位を持つものからは地位を、それぞれ取り上げる段階が必要になる」
「ベッテンコードからアルカディオに剣聖の立場が移ったように、かい?」
そのアールの一言は完全にクロエスに向けられていたけど、僕の心を少し重く、苦しくさせた。
僕は少しずつ、あるいは一挙に、巨大な流れの中に放り込まれていると理解しないのは、責任の放棄と同義だとわかってきた。
剣聖という立場、聖剣の所持以上に、ベッテンコードという人間が背負っていたものを、今は僕が背負っており、僕はベッテンコードのためにもその重荷を放り出してはいけないのだ。
「最初は偵察だけにしなさい、アルカディオ」
夕食の席での会話はそんなクロエスの言葉で締めくくられた。
偵察、か。それで済めばいいのだけど。
不安とともに翌朝、僕は一人で屋敷を出ようとして、外で待ち構えている人物に思わず足を止めた。
「力になれるかはわかりませんが、お供します」
そこにいるリコがすっと頭を下げる。
「一人で行くつもりです」
そう言った時、急に背中を叩かれて、声を出すほどびっくりした。
背後に忍び寄っていたのはアールだった。蛇でもこの時のアールより静かに動くことはできなかっただろう。
「一人で行く、は無しだぞ、アルカディオ。リコ殿もこうして待っていることだし、俺もいる以上、三人で行こう」
「でも、二人が揉め事に巻き込まれる必要はないですよ……」
なんとか断ろうとしたけど、僕の前でリコが膝を折ったので、何も言えなかった。
アールがどうするかと思うと、彼は初めて、僕の前に膝をついた。
「私はアルカディオ様にお仕えするつもりでございます。お許しいただけますか」
リコがそう言ったのには面食らってしまった。
「お仕えって……」
「剣聖様をお仕えしたいと存じます」
そういうことだ、と膝をついたまま彼女の横にいるアールが僕を見上げた。悪戯小僧の目つきと表情だった。口調もおどけている。
「俺も剣聖殿に興味がある。どうせあんたは俺にかなり大きい貸しがあるんだ、好きに使ってくれ」
参ったなぁ。
でももう、二人は僕の前にいて、言葉を待っている。
誰でもない、僕の言葉を。
「二人を僕は……」
そこまで言って、言葉が途切れる。一度、息を吸って、思い切って言葉を続けた。
「友人だと思っている。だからこれからも、仕えるとかではなく、友人としてそばにいて欲しい」
二人の友人はそっと頭を下げた。
それから二人がまっすぐに立ち上がってくれたことは、僕に計り知れないほどの大きな安堵を与えた。
行こう、と僕たちは石畳の道を歩き出した。
不安は少しだけ、軽くなって、遠ざかったようだった。
(続く)