4-2 変化
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ベッテンコードとの別れは、僕に何度も涙を流させた。
荼毘にふすように、とクロエスに言い残していたのと、島の住民に余計な詮索をさせないために、彼は館から山に入ったところにある広場のような場所で火葬されることになった。
以前、クロエスとベッテンコードがこの広場を発見し、いざという時は、ということまで話したとも聞かされた。
広場はそれほど広くないが、地面にかろうじて石畳が見え隠れして、古い時代には集会場か何かだったのかもしれない。
ともかく、そこに僕とクロエス、リコ、さらにアールも加わって、木材を森の中から調達した。
「剣聖でも死んじまうとは、人の世と儚いものだなぁ」
アールは軽口の数がグッと増えたけど、僕が苛立ちに任せてそれを止めようと彼を睨みつけたら、彼も応じるように睨み返して、わずかに硬い口調で応じた。
「そんな目をするな。俺だって助けるはずの病人が死んで、頭に来ているんだ」
そうなのだ。アールはクロエスの館に来て、ベッテンコードの治療をしていた。ベッテンコード自身もクロエスも、患者であるベッテンコードが剣聖だなどと最後まで口にしなかったので、アールは何も知らずにただ老人の治療をしたことになる。
アールは賞金稼ぎであり、毒薬に精通した暗殺者で、おそらく剣術も使う剣士だけど、そういう全てでありながら、医者でもあるのだ。
殺すだけ、害するだけの立場ではない。癒し、救う立場でもある。
木材はあっという間に集まり、組み上げられて、そしてベッテンコードの遺体が運ばれた。僕も手伝ったけど、これが人一人の重さかというほど、軽かった。その軽さが、僕をまた悲しく、切なくさせた。
よく晴れた秋の日の早朝、朝日が差し込む時間帯にベッテンコードの肉体はこの世からなくなった。
僕は山の中の広場を翌日も、その翌日も訪ねて、祈りを捧げた。方法はなんでもいいと割り切って、汗国風だと聞いている両手を合わせる形にした。
聖剣は館の僕の部屋に置いてあり、はっきり言って扱いに困っていた。
ベッテンコードは自分の部屋の壁に何気ないように立てかけていたようだけど、さすがに僕はそこまで雑には扱えない。アールが盗み出すかもしれない、とはさすがに考えていないけど、それでももっと厳重に保管するとか、あるいは持ち歩くとか、するべきなのだろうか。
昼前には僕は館へ戻り、普段通りの生活に戻った。
アールはもう拘束されることはなく、出て行っていいとまで言われているのに、クロエスにまとわりついている。それもあって、アールは僕と一緒にクロエスの講義を聞いたり、逆にクロエスと一緒になって僕に指導することもあった。
リコもやはり滞在し、館の掃除や料理などを手伝っている。掃除は人造人間たちも十分にこなしていたけど、料理に関してはリコの方が優れていて、その上、様々な国の料理が出てくるので食卓の雰囲気がガラリと変わった。
アールとリコはそれほど仲良くしようとしないけど、たまに二人で山に分け入り、野草か、自生している香辛料を採集している姿もあった。
違うのは僕がひとりきりで館の裏で剣を構える時間だった。
もっとも、様子自体は以前と変わらない。
周りには誰もいないところで、剣を腰に帯びて、まっすぐに立っている。
それだけだ。
でももう、ここへ師たる人物がやってきて、僕に棒を向けたり、真剣を向けたりすることはない。
ずっとこのまま一人で、ここで剣の技のその先を探し続けるのかと思うと、自分がたった今も底の見えない奈落へ落ちているような気がする。どこまでもどこまでも、僕は落ちていって、それで、どうなるのだろう。
足元が急に不安になっても、僕の足は地面を踏みしめている。
それでも不安はやってくる。
背筋に力を込め、重心を意識し、呼吸を整える。
腰にある剣はベッテンコードが僕に訓練で与えた剣で、でももう、当分は抜くこともないはずだ。すでに僕は稽古でも滅多に剣を抜かなくなっていたし、剣で切る相手がそもそもいない。
稽古の相手は、空想の敵は、瞼を閉じれば目の前にいる。
僕の思考の中に、それははっきり見える。
身体も、剣も、その技も、何もかもが想定できた。
それはどことなくベッテンコードに似ていて、僕に似ていて、でもどこか違う。
僕の空想が生み出す剣術は、僕自身によって破られ、僕自身の剣術は、時に空想の剣術に敗北した。
勝ったり負けたりを繰り返しても、僕は誰かを切ることはなく、また切られることもない。
なのに汗だけはかいた。呼吸が乱れることもある。
一歩も動いていないのに、そういうことがあるものか、と感慨深い思いもする。
ぐっと冷え込んだその日も、僕は館の裏手で一人で立っていた。
目は半ば閉じ、ぼんやりと地面が見える。
「アルカディオ様」
声をかけられる前から、背後にリコが立っているのには気づいていた。彼女は新しい鞘を調達した曲刀を腰に帯びるようになっていたけど、この時も必要以上の間合いをちゃんと作っていた。
張り詰めていた気持ちを即座に解いで、僕は振り返った。
リコは微笑みと同時に、困惑を口元に浮かべていた。
「今、市場から戻ったのですが、妙な噂を耳にしました」
「噂? どんな噂?」
それが、と珍しく言い淀んでから、リコは告げた。
「剣聖騎士団の小隊がカル・カラ島に来ている、というのです」
僕は反射的に館の尖塔の一つを見ていた。
そこに僕の部屋があり、そこには聖剣があるのだ。
剣聖騎士団が、ここへやってくる理由がそう多くないのは自明だった。それだけ必死に探しているということか。
剣聖と聖剣を。
「どこにいるかは聞いている?」
僕はリコに問いかけてみたけど、彼女は目元を険しくさせた。
「黙っていれば、やり過ごせるかと思います。アルカディオ様は、ここを動かれなければよろしいかと」
「でもきっと、彼らは来るよ。クロエスのことをいずれは知るだろうしね。それだけでも気をひくには十分だ」
「隠れていればよろしいのです」
意外に子どもっぽいことを言うリコに思わず笑ってしまった。
「僕としては、聖剣を彼らに渡してもいいと思っているんだけど」
「聖剣は剣聖という立場のお方がお持ちになるべきかと存じます」
「僕が剣聖だって言いたい?」
リコは無言で頷く。
僕自身、僕が本当に剣聖かどうかを、知りたい。
それには剣聖騎士団のものと対面するのが早い。
しかし、もしかしたら、それは流血に結びつくのだろうか。
僕はこの時、ただ頷いて、館へ戻ろうとした。思い直して、リコの横を抜ける時に「ありがとう」とだけ僕は伝えることができた。
僕の決意はそれだけで伝わったはずだけど、リコはやはり無言のまま、ただわずかに頭を下げただけだった。
僕の愚かさを、彼女はその時に受け入れたようでもあった。
僕という存在の、頼りなさも。
(続く)




