3-15 聖剣に選ばれしもの
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ベッテンコードは僕を自分の部屋に連れて行った。
階段のところで人が座り込んでいるのにぎょっとしたが、人造人間のうちの一体だった。ベッテンコードはなんでもないようにその横をすり抜けるので、僕も同じようにした。眠っているようにも見える人造人間はクロエスがいずれ、なんとかしてくれるはずだ。
ベッテンコードの部屋は灯りがなく、月明かりだけが頼りだったが、大きく窓が切られているので部屋の中は意外に明るかった。
その明かりの中で、ベッテンコードは壁際に立てかけてあった布に包まれた何かを持ってきた。
僕が見ている前で布が解かれると、出てきたのは一振りの剣だった。
見ただけで背筋が震えるのは、どうしてだろう。まだ鞘に包まれているのに。
真っ黒い鞘で、複雑な意匠の飾りが鍔元から柄にも精密に施されている。
鍔元に真っ黒い石がはめ込まれており、これが不思議な光り方をする。吸い込まれるような、どこまでも焦点が沈んでいってしまうような石だった。
「これが四本しか存在しない聖剣の一振り、破砕剣だ」
まるで自分のペットを紹介するようなベッテンコードの口調だった。なので、言葉の意味を理解するのに一秒ほどが必要だった。
「ベッテンコード先生、それって、つまり……」
言っていいのか、悪いのか。
「先生が、聖剣を持ち逃げしたのは、本当だったんですか?」
言ってから、失敗したな、と気付いた。ベッテンコードは不愉快そのもので堂々と応じた。
「持ち逃げも何も、今は私の所有物だ。私がどこへ持っていくのも、自由だろう」
いや、この剣は私有できる代物ではないのでは……。
「わしの所有物だからな、譲る相手も自分で決めることができる」
なんだって。
「……今、なんて言いました? 先生。譲る相手?」
そうだ、とベッテンコードが傲然と頷く。
「この老人は老い先短い。元来、聖剣はその持ち主を引き寄せるか、あるいは待ち続けるものだが、わしはそんなことは認めないと決めたのだ。老い先短いのなら、自分の後継者を自分で育てよう、とな」
急な話だった。
後継者。
それがつまり……。
「僕がその後継者、ですか?」
「人間の素質を見抜き、その能力を一から育てる余裕はなかった。人造人間を聖剣が認めるかは謎だったが、それはこれから試すとしよう。少なくとも、お前はわしが知っている中で最高の使い手となったのだ」
言葉に多くの要素が含まれていて、僕はまるで暴風に揺さぶられる細い木だった。
僕はベッテンコードが後継者として生み出し。
僕はベッテンコードの後継者としてふさわしい、とされたのか。
「手にとってみよ。そして抜いてみよ。聖剣が認めなければ、その剣は抜けぬ」
差し出された剣を、反射的に受け取っていた。僕の手の中にあるそれは、見た目からするともっと重いかと思っていたけど、ちょうどいい重量に思える。そこは飾り物ではなく、実戦を意識した武器なのだから、当然か。
左手で鞘を握り、右手が柄を握る。
手のひらに痺れるような感覚。しかし不快ではない。
励まされるような錯覚。
自然と力を込め、柄を握りしめた。
剣を抜く動作は、まったく自然にできた。
鞘から美しい白刃が露わになっていく。
月明かりが何倍にも増幅され、部屋の中が真昼のように明るくなった気がした。
その光の中で、ベッテンコードは笑っている。
「わしの見立てに間違いはないな。聖剣はお前を認めた!」
僕は刃を立てて、その光に見入った。
僕はこの剣をかつて、取ったことがある。それは高揚と、悲しみを励起させた。
僕自身の感情ではなく、昔の記憶、僕に焼き付けられたベッテンコードの記憶だ。
剣士として人を切ることに、興奮と同時に悲哀を感じるのは、矛盾だろうか。
それでも剣士とは人であり、人である限りその矛盾に苦しむしかないのか。
僕はいったい、どちらなのか。
人間に近い存在か、それとも剣に近い存在か。
いつの間にか部屋を照らす光は弱くなり、僕は自然と鞘に刃を戻した。
ベッテンコードは安堵したようだ。そして急に、何年もを一瞬で過ごしたように一層、年老いて見えた。
「聖剣とは」
ベッテンコードは話しながら寝台の方へ歩いたけど、不意によろめき、僕はとっさに彼の腕を掴んでその体を支えた。その軽さに、驚いた。腕は細く、枯れ木のようだった。
腕を掴む僕の手を振りほどくでもなく、結局、僕に支えられたままベッテンコードは寝台に腰掛けた。
「聖剣とは、ただの剣ではない。この世界を守護する剣であるとされる。しかし人間たち、特に剣士はその聖剣に惹かれ、命さえも捨てる。アルカディオ、お前は二つのものを守らねばならぬ。一つは世界、一つは聖剣だ。聖剣は持ち主を得てこそ、初めて意味を持つ。決して、使えぬものに委ねてはならん」
「はい」
頷く僕に、絶対にだ、とベッテンコードは念を押した。
「人に仕えてもいい、国に仕えてもいい。しかしお前とその剣は常に分かたれずにいるのだ。そしてもし、世界に闇が訪れたのなら、お前が先頭に立つのだぞ。聖剣を持つもの、剣聖とは、守護者であり、常に最前線にあるものなのだ」
「わかりました」
僕の返事に、ふうっと細く息を吐くと「もう下がれ。用は済んだ」とベッテンコードはちょっとだけ笑みを浮かべた。その顔はやっぱりどこか、いっぺんに年老いたように見える。この部屋に差し込む、弱い、あまりに弱い月明かりがそう見せるのだろうか。
僕は片手に破砕剣を下げて、尖塔の上にある部屋を出て、階段を降りた。人造人間が座っている横を抜け、廊下に出て、そこに至ってやっと不安がやってきた。
僕が剣聖?
僕なんかが?
もっとふさわしい人がいるんじゃないだろうか。だって世界は広いんだし。大陸の、ソダリア王国にはもっと大勢の剣士がいる。ダーモット商業国や汗国まで含めれば、膨大な数の人たちが剣の道を歩いている。
それなのに、ほんの半年の修練しか積んでいない僕が、剣聖なのか?
今からベッテンコードに聖剣を返すべきではないのか。
足を止めていた僕は背後にある階段を振り返った。
かすかな明かりがある螺旋階段は、しかし、どこよりも深い闇に閉ざされているようだった。
まるで僕を拒絶するような闇だ。
僕は強く、聖剣を握りしめた。
ベッテンコードが翌朝、起きてこないことを、まだ誰も知らない。
(続く)