3-12 賞金稼ぎ
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食堂であっという間にアールは縛り上げられ、一応の措置としてテーブルの脚に固定された。
「貴方様のお名前をお聞きしてもよろしいですか」
膝を折って自分の前にいるリコに、サリースリーは居心地が悪そうだったが「サリースリーだ」とやっと答えた。答えてから傲然と腕組みすると言い放った。
「膝を折るな! 子ども扱いするな! 私を誰だと思っている!」
「高貴なお方だと思いますが」
単刀直入なリコの言葉に、サリースリーが目を丸くする。リコにかかってはこの少女も形無しだ。
「ともかく、クロエスを医者に見せた方がいいのか、そこが気になるけど」
僕が口を挟むと、サリースリーはホッとした顔で、しかし次には不安そうに足元に寝かされているクロエスを見ている。
給仕代わりの人造人間がいるはずだったのが、彼らは皆、眠らされていた。どうやら事前にアールが手を打ったらしい。周到で大胆で器用な人物である。
「薬を飲ませましたから、自然と目を覚まされるはずですが」リコが控えめな口調で言う。「それでも医者を呼ぶべきでしょう。ダーカさんを呼んできましょうか」
「じゃあ、僕が行くよ」
そう提案したみたが、サリースリーが顔をしかめ、リコも困ったような表情になる。
しかし他に人はいない。
「俺の懐に」
急な声に勢いよく振り向く、という即座に反応したのは僕だけだった。女性陣二人はといえば、少女はほとんど傲慢そのもので、若い女性は優雅と言っていい動作で、声の主を見た。
テーブルに縛り付けられたアールは首をしきりに捻りながら、もう一度、言った。
「俺の懐に、もしものための解毒薬がある。それを使えよ」
「信じる理由がないであろうが」
サリースリーの言葉に、アールは不服げだが、しかし何も言わない。その瞳には怒りよりも恐怖の方が色濃い。先ほどのサリースリーを見てしまえば、恐怖しない方がおかしいけど。
「正直に話しなさい」
リコがまた膝を折り、アールと視線の位置を合わせた。礼儀正しいけれど、丁寧な言葉には恫喝の色が濃かった。さすがのアールもこうなっては観念したのか、はっきりと答えた。
「正直に話している。もしものための解毒薬で、俺自身のためにある。仕事をする中で相手を油断させるために、俺も毒を飲まなくちゃいけない場面は何度もあるんだ。その時のための備えだよ」
「どうやって証明できるのですか?」
「証明だって? 今まで俺が生きているのが証明だよ。嘘だと思うなら、飲ませなければいい。しかしそこの錬金術師がどうなるかは、知らんが」
そこまで言ったところで、リコの手が一閃する。
頬を張られたアールが食ってかかるようにリコに近づこうとしたが、その頬をもう一度、リコの手のひらが打ち据えた。
「恥を知りなさい。卑怯者が勝手なことを言わないで」
いいぞもっとやれ、と小さな声でサリースリーが呟いた途端、リコの目が彼女の方を見る。どういう視線だったかは僕からは運よく見えなかったが、サリースリーをたじろがせる威力はあった。
「本当のことを言っているんだ。信じろと言っても無理だろうが……」
アールの苦々しげな答えの後、誰も何も言わない時間があったが、いきなりリコがアールの懐を探り始めた。信じる気になったのだろう。僕としても、アールの様子から真実を話しているだろうとは思っていたところだ。サリースリーは棄権するように窓の方を見ていた。すでに日が暮れて何も見えない方をだ。
三つの薬包が出てきて、リコの確認にアールが頷く。
最終確認するようにリコが僕を見たので、黙って頷き返した。
リコがクロエスに薬を飲ませ、さて、あとは様子を見るしかない。
「あなたは賞金稼ぎなんですね?」
僕の方からアールに質問すると、彼は例の蛇のような笑みを浮かべた。
「そうだよ。クロエスという錬金術師には、組合と一部の人間が安くない賞金を懸けている。だいぶ悪どい事をしたようだな、こんな辺鄙な土地へ逃げるほどに」
ペラペラと喋っていたのが、リコの一暼でピタリと止まる。二発の平手打ちでこれだけの効果を生み出す女性も珍しいだろう。見た目は麗しいが、心には男顔負けの強いものがある。
まあまあ、と僕がリコをなだめて、質問を再開する。
「それでアールさん、あなたは例えば、誰かの依頼とか、そういうものを受けてここへ来たのですか?」
「いや……」
急にもごもごとアールが言葉を濁した。
「言えないことでも?」
「まぁ、別に後ろめたくもないのだがね、賞金首を派手に捕まえすぎて、恨みを買ったな。買いすぎるほど、買ったかもしれない」
「だからあなたもここへ逃げてきた?」
そのつもりだったんだがねぇ、とアールが嘆かわしげに頭上を見上げた。
「本当はこの島でのんびり過ごすつもりだった。銀はそれなりにあるし、知り合いはいないし、追っ手もこないだろうし、言うことなしのはずだった。それが何故か、目の前に噂の賞金首が平然と生活している。その上、その賞金首の館で生活できるときたもんだ」
フルフルと首を振って、力なくアールが笑みを浮かべた。
「ここまでお膳立てされてちゃあ、仕事をしろって神に言われていると思ったんだが、失敗だったよ。何もせずにいるべきだったと、今更、後悔している」
阿呆が、とサリースリーが吐き捨て、またリコに鋭く睨まれていた。平手打ち程度で済ませているリコからすれば、アールは犯罪者に限りなく近く、しかしそのアールに対しても守るべき不文律があるということなのだろう。
高潔といえば高潔。
やや美しすぎる気もするけど。
その点では、僕自身がアールに怒りを抱かないのは、おかしい気もする。
ただ、クロエスがこの程度で死ぬはずがない、という確信があった。解毒薬を飲んだこともあるけど、そもそも彼は、錬金術士なのだ。それも凄腕の。天才の錬金術士と言ってもいい。
「何をしている……?」
僕でもリコでもアールでもサリースリーでも、クロエスでもない声が食堂に流れた。
全くの予想外だったので、この時ばかりは全員がそちらを見た。アールが身を捻ろうとしてテーブルに邪魔され、そのテーブルが激しく揺れて音を立てた。
僕たちの視線の先には、鞘に収まった剣を杖のようにして立つ老人がいた。
「ベッテンコード先生!」
僕自身でもびっくりする声量に「うるさいな」とベッテンコードは不愉快そのものに顔を歪めると、手近な椅子に腰掛けて掠れた声で言った。
「水をくれ。喉が渇いた」
僕は一目散に調理場へ向かった。
他の面々は、それぞれの表情だっただろうけど、僕にはそれを確認する余裕はなかった。
この夜は、本当にいろんなことが起こる夜だった。
(続く)




