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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
42/155

3-11 企み

      ◆


 倒れているクロエスを、唯一、まっすぐに立っているアールが見下ろす。

「異端の錬金術師クロエス、その賞金は俺がいただく。死体じゃ賞金はもらえないが、例えば指がないとか、あるいは片腕がなくても、賞金はもらえるだろう」

 例のアールの腰にあった使い込まれた短剣の刃が不気味に光を反射する。

 僕は動けない。リコも倒れている。

 つまり誰もクロエスを守れない。

 そうアールは思ったはずだ。

「この下衆め」

 その声に反応できたのも、やはりアールだけだった。

 食堂のドアが薄く開き、それに背を預けて少女が一人、立っている。

 サリースリーだった。

「なんだ? どこから入ってきた?」

 狼狽したアールの問いかけに「元からの住人だ」と応じて、超然とした歩調で彼女は食堂へ入ってきた。

 そこはアールも場数を踏んでいるのだろう、油断なく短剣を構え、強気を向ける。

「悪いがお嬢ちゃん、ここは取り込み中だ。黙って他所へ行っていな。でないと痛い思いをすることになるぜ」

「痛い思いをする?」

 サリースリーが足を止めたのは、怖気づいたわけではなかった。

 ただ驚いただけなのだ。

 たかが人間風情が、自分を如何様にもできるという余裕綽々な態度でいることに。

 それを証明するように、歩調はいっそ軽快になり、彼女はアールとの間合いを詰めていく。

「私が痛い思いをするとは、それはそれで興味がある場面ではあるな。どのような痛めつけ方をするのかえ?」

 ここに至って、アールも目の前にいるただの小柄な少女にしか見えない存在が、異質すぎるとわかってきたのか、ぐっと腰を下ろし、臨戦態勢に変わる。いつでも飛びかかれる姿勢だ。

 それにサリースリーが笑みを深くする。

 嗜虐的な笑みだった。

「なんだ、怖くなったのか、小僧。まだ私は何もしておらんぞ?」

 言いながらも足を止めないサリースリーは、ついにアールの間合いに無造作に入る。

 サリースリーは何も武器を持っていない。服も薄手のもので、刃を止める余地など微塵もない。

 しかし彼女は躊躇しない。

 ただ足を送る。

 この時、たったそれだけのことが、アールの本能を刺激したのだろう。

 わずかに遅かった。

 アールの体が跳ね、少女に襲いかかるのと同時に、サリースリーの姿が霞んでいた。

 短剣が空を切り、跳ね上がり、サリースリーの影を追う。

 切った。

 影だけだ。

「遅いのう」

 彼女の姿はアールのすぐ背後にあり、アールが振り向き様に短剣を横薙ぎにしても、もはや切るのはその影だけだ。

「先ほどの威勢はどうしたのだ、下衆な小僧よ。痛い思いをさせるのではなかったのかえ? それともあれは何かの冗談、言葉遊びだったのかね? ほら、私はここにいるぞ。そのちゃちな刃で切りつけてみせよ、ほら、ほら」

 アールを中心に、サリースリーの声が反響する。

 サリースリーが動き続ける。影だけを残して。

 まるで少女の幻が無数にあるようだった。

「動きを止めろ!」

 叫んだアールの言葉にサリースリーが従ったのは、アールがクロエスの体を引っ張り上げて短剣を突きつけたからだ。切っ先は今にも首筋を抉らんばかりの位置にある。

 しかしサリースリーは足こそ止めたもののまだ笑みを浮かべており、アールはアールで余裕のない表情でびっしょりと冷や汗をかいている。

「両手を上げて、後ろを向け、この小娘!」

「両手を上げて、後ろを向く。こうか?」

 おどけた口調で言いながら、万歳をしたサリースリーがアールに背中を向ける。

 アールは容赦しなかった。腰の帯から小さな投剣を引き抜きざまに、少女の背中の中心に飛ばした。

 サリースリーには本来的に見えない位置だ。

 この時、アールには別の選択肢があった。クロエスを拘束したまま逃げるとか、サリースリーにもっと致命的な一撃を与えるとか。

 だからアールは選択を間違ったというしかない。

 飛翔した投剣はサリースリーの背中に切っ先を食い込ませることもできなかった。

 跳ね返されて軽い音を立てて刃物が床に転がった瞬間、アールの表情は完全に凍っていた。

 この時、同時に幾つかのことが起こった。

 サリースリーが振り返り、それにアールが釘付けにされた。何故、刃物が刺さらなかったのか、この少女は何者なのか、そもそも人間か、人造人間なのか、そういったことを目まぐるしく考えただろう。

 だから彼の背後にリコが立ち上がっているのに気づけなかった。

 リコは全く静かに、まるで影が忍び寄るようにアールに近づき、組みついて短剣を叩き落とすと、小柄な男に抵抗する間を与えない見事な締め技で首を圧迫し、その意識を奪った。

「見事なものではないか、人間の割に」

 サリースリーがそんな感想を述べてから、僕の方を見た。

「いつまで死んだふりをしているつもりだ、アルカディオ」

 いや、死んだふりはしていないんだけど。実際、まだ足が痺れていて、立ち上がれない。

 アールを床に寝かし、リコがクロエスの様子を確認している。

「水をいただけますか」

 静かなリコの声に、「どうして私が」と愚痴っぽく言いながら、それでもサリースリーが足早に食堂を出て行く。水を汲みに行ったようだ。

 僕はといえばどうにか座り込み、まだぼんやりする頭を強く振って、なんとか意識の鮮明さを取り戻そうとしていた。

「薬を飲まなかったのですね」

 リコの声がする。

「ああ、うん、あの薬は飲まなかった」

「あの薬には毒を中和する効果があったのです。クロエス殿も飲まなかったようですが」

 え? あの薬に、そんな意味があったのか。

 想像もしなかった。あの薬をダーカのところでもらう時、すでにリコはアールの目論見に気づいていたのか? でもどうやって? まさか心が読めるわけもないはずだが。

「クロエスには、なんと言って薬を渡したの?」

 何気なく問いかけると、ちょっとだけリコが戸惑ったけど、返事はあった。

「精力がつくと、お話ししました。信じてもらえなかったようですが」

 何か、重大な齟齬があるな。

 最初から、毒を中和する薬です、とか、そもそも、アールが毒を盛ります、とか、そういうことも言えたんじゃないか?

 それからサリースリーが水を持ってきて、リコがクロエスに薬を飲ませた。

 僕も薬をもらったけど、サリースリーに「この軟弱者」と叱られた。

 なんかもう、何もかもがすれ違っている。

 間違いなく、すれ違っている。



(続く)

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