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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
41/155

3-10 言葉にできない

     ◆


 夕食前に飲む、という薬包を手に握りながら、僕は自分の部屋でしばらく考えた。

 すでに日が暮れかかり、夕食になろうとしている。例の毒々しい匂いはどこかへ消え去り、美味しそうな匂いがはっきりと漂っていた。今日はハンバーグのようだとわかっている。肉が焼かれる匂い、それから煮込まれる匂いは、涎がどうしても出てしまう。

 つい数時間前のリコの様子をもう一度、想像した。

 平然と「精力」と言っていたけど、あるいは深い意味もなく、ただ「元気になる」という程度のことかもしれない。そう、そう考える方が自然だ。リコが精力云々などというのは、彼女らしくない。

 僕もいつの間にか、変なことを想像するようになったものだ。アールの影響だろうか。いやいや、人のせいにしてもいけない。

 部屋には常に水の入ったボトルとグラスが用意されている。

 ゆっくりとグラスに水を注いで、なかなか踏ん切りがつかずに薬包をいじっていると、ドアをノックする音がして危うく薬包を落としそうになった。

 夕食の時間だと告げる声は、ここ一週間、まるで姿を現さなかったサリースリーの声だ。

 それもあって、僕は慌てて薬包を手で握りこんで隠すと、ドアに飛びついた。

 開けると、何も変わらないサリースリーがいる。

「何だ、その顔は」

 憮然としている少女に安心して、「どこに隠れていたわけ?」と言葉を向けてみると、彼女はあからさまに明後日の方向に視線を逃した。

「言えないってこと?」

「余計な混乱を避けただけだ。妙な客が二人もおるのでな」

「別に厄介でもないと思うけど」

「それは、それぞれの判断だろう」

 まだ苦々しげな表情をしている少女に、ズバリ、踏み込んでみる。

「別にアールさんもリコ殿も、きみのことを特別に気にしないよ。ちょっと変わった人造人間、という程度にしか見ないんじゃないかな。実際、僕もそう見られてるし」

「お前は限りなく人間だ」

「サリースリーだって、まぁ、人間の形をしているじゃないか」

 冗談でもなかったが、露骨に舌打ちされた。申し訳ない。言葉が悪かった。

「サリースリーは人間より上位なんだから、堂々とすればいいじゃないか」

 言い直してみると、今度は大丈夫だったらしい、彼女は鼻を鳴らしてから答えた。

「我らは必要以上に人と関わることはない。クロエスが例外の中の例外なのだ」

 まあ、それはそれでいいのだけど。

「食事が冷めるぞ、早う行くがいい」

 ああ、そうか、サリースリーは話をしに来たわけじゃなかったのだ。夕食の時間を告げに来たのである。

 その視線が僕の手元に向く。

「何だ? 何をその手に握っているのだ?」

 ぎゅっと右手を握りしめていたせいだろう、サリースリーが目を眇める。

「いや、その、きみが嫌がっている客人、リコ殿からもらった、その、えーっと、薬なんだ」

 ますますサリースリーが不可解げな顔になる。

「なんだ、アルカディオ、どこか具合が悪いのか? それならクロエスに報告せよ」

「違う違う、その、病気のための薬じゃない」

「じゃあ、なんのための薬なのだ? 何に効果がある?」

 あー、もう、自分の会話能力が恨めしい。

「元気になる、らしい」

 珍しく、ぽかんとした顔になり、サリースリーは僕の全身を眺めるようにした。

「元気ではないか。どこか元気ではないのか?」

 参った、本当に参った。

「精力が出る、と言われた。正直、僕にも意味がわからない」

 一転して冷ややかな眼差しになり、サリースリーは軽蔑しきった声を発した。

「人間は常に発情期なのだとは聞いていたが、お前もそうだとは思わなかった」

「発情期じゃないよ……。きっと何か、別の目的があるんだと思う」

「しかし、精力が出る薬を、あの娘がお前に渡す以上は目的は一つしかあるまい」

 実に大胆な少女である。

「それはちょっと、困る」

「困るのか? 何故だ? なかなか器量はいいし、若いし、アルカディオくんにも不満はあるまい。では、楽しい夜を満喫したまえよ」

 ポンポンといかにもな感じでサリースリーは僕の腕を叩き、階段を降りて行った。

 もう、なんでこうなるかな……。

 本当に困る。ややこしいことだ。

 僕は部屋に戻り、薬はテーブルに置いて、結局、飲まなかった。

 冷静になること、そして頭の中にある語彙を発掘し、検討し、いつでも最適に使えるように整理して、一歩、一歩と階段を降りて行った。

 食堂に入ると、すでに僕以外の三人は席に着いている。

 クロエス、アール、そしてリコ。

 リコがちらっと僕の方を見たけど、これは薬を飲んだか確認するような眼差しだった。

 反射的に視線を外したのは、僕もまだ経験不足ということか。

 食堂の自分の席に座ると、クロエスと僕、リコが「いただきます」と言葉を発し、アールが一人で十字を切った。

 食事自体はいつも通りだった。

 やっぱり煮込みハンバーグで、揚げたジャガイモが添えられている。どことなくダーモット商業国風の料理である。主食は細い麺で、ベーコンと卵、牛乳などで作られたソースと絡められている。胡椒が効いていてうまい。

 飲み物は酒だった。リコが市場で買ってきた葡萄酒。赤い色をしている。

 僕が断ったものの、リコに勧められたクロエスとアールはそれぞれグラスで一杯、それを飲んだ。

 食事が終わると、この日は紅茶が出てきた。ミルクが添えられている。

 話もおおよそ終わり、それぞれが退室を考えるタイミングに、それは始まった。

 クロエスが咳き込み、唸り声を上げた。

「変な酔い方をしたようだ。久しぶりに葡萄酒を飲んだからかな」

 リコがあくびをしたかと思うと、その額がいきなりテーブルの上に落ち、大きな音がした。クロエスが席を立とうとして、しかし立ち上がれずに姿勢を乱し、椅子を倒しなから床にへたり込む。

 なんだ? 何が起こっている?

 僕は慌てて立ち上がろうとして、しかしその時にはもう両脚に力が入らなかった。椅子から落ちそうになり、テーブルを掴もうとしたけれどその手にさえ力が入らない。

 みっともなく僕も床に倒れていた。

「やれやれ、これでやっと仕事ができる」

 幾重にも反響する声は、アールの声だった。

 僕は目が霞んで、状況がよく見えない。どうしてアールは無事なのか。クロエスとリコは酔ったわけではない。葡萄酒を飲んでいない僕さえも体に不調をきたしている。

 状況は簡単。

 答えははっきりしている。

 アールが毒を盛ったのか。

 しかし何故? 何のために?

 僕はどうにか腕に床を突っ張った。ブルブルと震えて、まるで骨が抜かれてしまったようだ。

 だけど、まさか、寝ているわけにもいかない。

 ぼやけた視界で、アールが腰から剣を抜いたのが見えた。



(続く)

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