表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
38/155

3-7 見えない剣

      ◆


 曲刀を返すのは、リコの部屋が整ってからになった。

 アールが何をしているかは知らないけど、つい昨日、腰に吊るしたカゴいっぱいに草を採集していたから、それを処理しているのだろう。

 それはそれで重要な仕事だけど、ちょっと手伝って欲しかった。

 もっともそう思ったのも最初だけで、片付けを始めてみるとリコはその長身に見合った力を発揮して、物置として部屋の半ばを埋めていた種々雑多なものを、軽々と二つ隣の部屋に運んで行った。

 ちょっと僕では一人で持ち上げられないものを、リコはひょいと持ち上げたりする。

 上背はあっても細身なのに、よくあれだけの膂力があるものだ、と内心、感心しきりの僕だ。

 そうして予想より早くリコの部屋は整い、僕は自分の部屋から曲刀を持ってくると言おうとしたが、何故か自然と、リコが僕の部屋に来ることになった。

 一応、片付いているけど、どこか気恥ずかしい。

 でも断ることもできず、彼女は僕の部屋に入って、興味深そうに窓の外の光景を見ていた。

「これですよね、どうぞ」

 布でぐるぐる巻きにされている曲刀を差し出すと、彼女は視線を僕の手元にあるものに向けた。

 ゆっくりと、彼女の手が剣を取り、布を解いた。

 僕も鞘代わりの布で巻いた時にはよく見ていなかったから、この時、初めてその刃を確認できた。

 見れば見るほど、吸い込まれるような光り方をしている。なかなかな切れ味を発揮しそうだ。海水に塗れたはずだけど錆など浮いていないのには安心した。バツの悪い思いせずに済んだ。

 光にかざすようにしてから、「鞘はないんですね」とリコはどこかぼんやりとした口調で言った。

「リコさんが身に帯びていなければ、きっと海に沈んだんだと思います。大切な鞘でしたか?」

「いいえ、普通の鞘です。ないと不便だな、というだけで」

 この時にはリコの視線の焦点は現実に戻っていた。

 そのリコに布を手渡し、彼女はそれで曲刀を包んだ。

「失礼ですが」

 彼女は布を巻き終わると、僕を静かな眼差しで見た。

「アルカディオ様は、剣術を使われるのではないですか?」

「ええ」

 どう答えるべきか、すぐに判断ができない。

 別に隠すつもりはないし、隠す必要すらないんだけど、でも僕が身につけたものが剣術かと問われると、それは疑問だった。

 剣をうまく振ること、相手を確実に切ることはできるけど、それは剣術として不完全ではないか、と時折、思うのだ。

 でも剣術以外に、表現する方法がない。

「とある方の、指導を受けました」

「その方はどちらに? この島におられるのですか」

 参ったな。答えづらい問いかけだ。

 うーん、これも隠すことじゃないか。

「実はこの館にいるんです。ベッテンコード先生は今、病気で臥せっています」

 ベッテンコード、という名前に、かすかにリコが反応したようだが、しかし彼女は何かを確認したり、追及することもなく、「そうですか」という一言で話題を変えた。

「私も剣術を学んだ身です。アルカディオ様の剣術というものを、見てみたいと存じます」

「え? 見てみたい?」

 どんどんおかしな方向に話が進んでしまうのに、僕は思考がどんどん複雑に絡まり合うのを感じていた。

 剣術を見せる、ということは今までなかった。

 僕にとっての剣術は、ベッテンコードと刃を向け合って、そのベッテンコードに殺されないようにするものだった。

 演武というものがあるとは聞いているけど、ベッテンコードがそれを見せてくれたことはないし、僕だって学んでいない。

 実践、実戦だけが僕とベッテンコードの間にある剣術というものだった。

「失礼しました」

 僕が黙ってしまったからだろう、リコが僕が断りたがっていると見たようで、深く頭を下げた。これには面食らった。

 どうも僕はひどく混乱していたようだ。

「無理を言ってしまったようですね」

 混乱して、僕は返事をしてしまった。

「見せるほどのものではないですけど」

 少しだけ、リコの顔に喜色が浮かんだ。

「ぜひ、見せていただきたいのです。よろしくお願いいたします」

 僕は自分のお人好しさに呆れながら、数日ぶりにベッテンコードから借り受けたままの剣を剣帯ごと手に取り、リコと一緒に館の裏手へ向かった。

 外へ出ると、かすかに奇妙な匂いがする。何かが煮られているようだけど、普通の料理ではない。草が煮られているような……。

 匂いのことは頭から追い出して、僕は一人で進み出て、まっすぐに立った。

 剣の柄に触れる。

 心に、凪がやってくる。

 静寂。

 世界が動きを止め、色を失い、細かな糸に解れていく。

 剣を乗せるべき筋が、風のように流れ、揺らぎ、砕け、消える。

 呼吸は細くなり、体はわずかに重く、しかしその重さはいつでも重力を無視できると確信できる。

 足の位置をわずかに変える。それだけのことなのに、ゆっくりと変化していた周囲の景色は、唐突に塗り変えられ、そのまま再び、緩慢な変化へと移行する。

 剣は自由だった。

 まだ鞘から抜いていない。それなのに、僕には自分が相手をどこに置いても切れる様子が、はっきりと見えた。

「アルカディオ様」

 声がする。

 ゆっくりと閉じていたまぶたを持ち上げる。

 僕はかすかに両足を少し構え、しかしまだ剣を抜いていない。

 本気で柄を握りしめてさえいなかった。

 自分が立っている場所が遅れて理解できる。

 館の裏手で、リコが立っている。

 いつの間にか彼女は汗にまみれていて、それが太陽の光をキラキラと反射している。

 何故だろう。

「お見それしました」

 うまく舌が回っていないような口調でリコがそう言ったので、彼女が恐怖していることが僕にもやっと理解できた。

 何がそんなに恐ろしい?

 僕は剣を振っていない。抜いてもいない。

 技は何も、見せていないのだ。

「お許しください」

 リコが頭を下げ、それでは足りないというように片膝を折った。

「何もしていませんよ」

 僕はそっと剣の柄に置いたままだった右手を離した。それから安心させるために剣帯を腰から外しさえした。

 途端、自分が何か、酷い仕打ちをしたような気持ちになった。

「立ってください、リコさん。こちらこそすみませんでした。許して欲しいのはこちらです」

 僕はリコの前で膝を折った。二人の視線の位置がほぼ水平になる。

 視線と視線がぶつかる。

 リコの目は涙で潤んでいた。

 彼女はその涙がこぼれるのを防ぐように、目を閉じて、少し上を見た。

「凄まじい剣でした」

 振ってはいない。抜いてもいない。

 しかし見えないはずの僕の剣術を彼女は見たのか。

 リコには、見えたのか。

 なら、彼女は僕に近いということか。

 ゆっくりとリコは瞼を開く。

 もう涙はない。

 僕は笑顔を作った。

 うまく笑えたかは、わからないけれど。

 リコも笑みを見せた。彼女もどこか、強張った笑みだった。

 静かに風が吹いていた。

 ざあっと木々が揺れ、僕はここが現実だと再認識した。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ