3-4 一人目
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それはまた、とクロエスが口元に笑みを浮かべる。
クロエスの館にアールを連れて戻って、クロエスに事情を話したところだ。アールはまだ玄関の外で待ってもらっている。
「僕が言うのもなんだけど」
クロエスが指先で顎に触れながら、思案しながらの言葉を発する。
「ベッテンコードさんを医術や薬で不死にすることはできない。極論を言えば、短く激しく苦しむか、長く弱く苦しみ続けるか、その差しかない。もっとも、これは病気に限らず、人生もそうかもしれないけどね」
不穏なことを言う錬金術師に、僕は思わず鋭い視線を向けていた。それが見えたのだろう、慌てたようにクロエスが顔の前で手を振る。
「別にベッテンコードさんが死ぬと言っているわけじゃない。僕としても、なんとか回復してほしい。そのためには長い時間がかかっても、回復の糸口を見つけたい。欲しいのは回復に向かわせるの薬で、市場では手に入らず、君が見つけた薬屋がそれを作れるのは、都合がいいと言える。反対する理由はないよ」
僕は頭を下げようとしたけど、クロエスがすぐに言葉を続けた。
「しかし、薬は本当に作れるのかい?」
それは……。
僕が答えられずにいると、クロエスは「僕が話をしよう」と笑顔で言った。
部屋を出て、クロエスが言ったことを反芻しながら、僕は玄関へ戻った。アールは腕組みをして遠くを見ていた。彼の視線の先を追っても、僕には木立と空と地面しか見えなかった。
アールに「館の主人が話をしたいということです」と告げると、彼は嬉しそうに頷いた。
二人でクロエスの書斎に行き、クロエスは最低限の礼儀を発揮して、椅子から立つと彼の方からアールに歩み寄り、その手を取った。これにはアールも驚いたようだ。クロエスが両目を眼帯で覆っているせいもあるだろう。
盲目のはずの人物が、まるで全てが見えているように行動するのは、かなりの驚きを伴う。
二人はそれぞれに自己紹介すると、クロエスはアールを椅子に導いて自分も自分の椅子に座った。人造人間がやってきて、すぐにお茶を用意して、焼き菓子と一緒にアールに手渡す。
「人造人間ですか」
そのアールの言葉には、わずかに乱れがあるような気がした。震え、と言ってもいい。
何故だろうか、と思ったけど、気のせいかもしれない。
「人造人間の研究が僕の本来の道でね。医術や薬学も学んだが、それは余技みたいなもので、あまり自信はない」
「ご謙遜を、クロエス殿。錬金術師として、実際に人造人間を生み出して運用し、調整し、整備する技術は、かなり高度な医療技術や薬学が求められます」
「褒めてもらっても、部屋を一つ貸すくらいしかできないよ」
アールが笑みを浮かべる。
やっぱり蛇みたいな顔だ。
こうして館に新しい顔ぶれが加わった。まず僕がやったことはアールと一緒に空いている部屋の一つを片付けて、古い寝台を用意したことだ。この寝台は壊れていたので、なんとか補修してそれらしくした。
布団は予備がいくつかあるので、それを貸した。
いつか、僕がそうしてもらったように、食堂の場所、トイレ、お風呂、洗濯場を案内した。
「この館には何人がいるんだ?」
洗濯場から食堂へ戻る途中で、アールが確認してくる。
「僕と、クロエス先生、ベッテンコード先生、かな」
サリースリーの名前を挙げなかったのは、彼女がやっぱり特別だからだ。
人間でもなく、人造人間というわけでもない。
あまり公にしない方がいいだろう。
アールは特に気にした様子もなく、何度か頷き、「しかし広い館だなぁ」と感心したように言っただけだった。
確かに、館の大きさと比べると、住んでいる人間は少ない。
そもそもこの館は、誰が、何のために建てたんだろう? そんなことを僕は誰にも質問したことがない。
食堂へ戻ると、もう夕食の用意が済んでいて、久しぶりにクロエスが一番乗りで座についていた。僕が腰を下ろし、アールも席に着く。
僕とクロエスは「いただきます」と口にしたところで、アールは無言で胸の前で十字を切った。そうか、十字教の信者なのか。
食事自体は静かに進んだ。さすがにアールがベッテンコードのように雑な作法を使うことはなく、むしろ彼は上流階級を意識させる、クロエスに近い作法で食事をした。
会話は主にクロエスとアールの間で交わされ、二人は最新の医療技術について意見交換していた。アールは特に気にした様子もなく、ウージェの果樹園で骨折の治療をしたことを話し、それからは二人で骨折の治療方法について議論になった。
麻酔が万能になれば切開して繋ぐことができる、とか、しかしそうなると切開したその傷が化膿してしまうのでは、とか、そんなやり取りだ。消毒に効果がある液体が大陸で開発された、とアールが言うと、クロエスは興味を持ったようで質問を重ねていた。
食事の後にお茶が出た。紅茶だけれど、ハーブの匂いがする。
匂いを確認し、飲んでからアールが身を乗り出した。
「欲しい薬があるそうですが、その話を教えていただけますか?」
「後で一覧を渡すよ」
「このハーブ、この島で採れたものですよね」
これには僕だけではなく、クロエスも驚きを隠せなかった。
港のそばの市場には大陸から持ち込まれるものが多くあり、当然、その中にはいくつもの茶葉がある。
しかし今、僕たちが飲んでいる茶葉は、僕が勉強の一環として館のある山の中で見つけたハーブを集め、それで香りづけしたものだった
それを匂いの差でアールは理解したのだろうか。あるいは味か。
「薬作りには鼻が重要なんです。あと、舌もね」
なんでもないように言ってアールがカップを口元へ運ぶ。
これは意外に、うまくいくんじゃないか? 彼の技能は信頼できそうだ。
そう思わずにはいられなかった。
ベッテンコードが回復するかもしれない。
クロエスも満足したようで、口元を綻ばせていた。
こうして僕たちは一人目の居候を迎え入れたのだった。
(続く)




