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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
35/155

3-4 一人目

       ◆


 それはまた、とクロエスが口元に笑みを浮かべる。

 クロエスの館にアールを連れて戻って、クロエスに事情を話したところだ。アールはまだ玄関の外で待ってもらっている。

「僕が言うのもなんだけど」

 クロエスが指先で顎に触れながら、思案しながらの言葉を発する。

「ベッテンコードさんを医術や薬で不死にすることはできない。極論を言えば、短く激しく苦しむか、長く弱く苦しみ続けるか、その差しかない。もっとも、これは病気に限らず、人生もそうかもしれないけどね」

 不穏なことを言う錬金術師に、僕は思わず鋭い視線を向けていた。それが見えたのだろう、慌てたようにクロエスが顔の前で手を振る。

「別にベッテンコードさんが死ぬと言っているわけじゃない。僕としても、なんとか回復してほしい。そのためには長い時間がかかっても、回復の糸口を見つけたい。欲しいのは回復に向かわせるの薬で、市場では手に入らず、君が見つけた薬屋がそれを作れるのは、都合がいいと言える。反対する理由はないよ」

 僕は頭を下げようとしたけど、クロエスがすぐに言葉を続けた。

「しかし、薬は本当に作れるのかい?」

 それは……。

 僕が答えられずにいると、クロエスは「僕が話をしよう」と笑顔で言った。

 部屋を出て、クロエスが言ったことを反芻しながら、僕は玄関へ戻った。アールは腕組みをして遠くを見ていた。彼の視線の先を追っても、僕には木立と空と地面しか見えなかった。

 アールに「館の主人が話をしたいということです」と告げると、彼は嬉しそうに頷いた。

 二人でクロエスの書斎に行き、クロエスは最低限の礼儀を発揮して、椅子から立つと彼の方からアールに歩み寄り、その手を取った。これにはアールも驚いたようだ。クロエスが両目を眼帯で覆っているせいもあるだろう。

 盲目のはずの人物が、まるで全てが見えているように行動するのは、かなりの驚きを伴う。

 二人はそれぞれに自己紹介すると、クロエスはアールを椅子に導いて自分も自分の椅子に座った。人造人間がやってきて、すぐにお茶を用意して、焼き菓子と一緒にアールに手渡す。

「人造人間ですか」

 そのアールの言葉には、わずかに乱れがあるような気がした。震え、と言ってもいい。

 何故だろうか、と思ったけど、気のせいかもしれない。

「人造人間の研究が僕の本来の道でね。医術や薬学も学んだが、それは余技みたいなもので、あまり自信はない」

「ご謙遜を、クロエス殿。錬金術師として、実際に人造人間を生み出して運用し、調整し、整備する技術は、かなり高度な医療技術や薬学が求められます」

「褒めてもらっても、部屋を一つ貸すくらいしかできないよ」

 アールが笑みを浮かべる。

 やっぱり蛇みたいな顔だ。

 こうして館に新しい顔ぶれが加わった。まず僕がやったことはアールと一緒に空いている部屋の一つを片付けて、古い寝台を用意したことだ。この寝台は壊れていたので、なんとか補修してそれらしくした。

 布団は予備がいくつかあるので、それを貸した。

 いつか、僕がそうしてもらったように、食堂の場所、トイレ、お風呂、洗濯場を案内した。

「この館には何人がいるんだ?」

 洗濯場から食堂へ戻る途中で、アールが確認してくる。

「僕と、クロエス先生、ベッテンコード先生、かな」

 サリースリーの名前を挙げなかったのは、彼女がやっぱり特別だからだ。

 人間でもなく、人造人間というわけでもない。

 あまり公にしない方がいいだろう。

 アールは特に気にした様子もなく、何度か頷き、「しかし広い館だなぁ」と感心したように言っただけだった。

 確かに、館の大きさと比べると、住んでいる人間は少ない。

 そもそもこの館は、誰が、何のために建てたんだろう? そんなことを僕は誰にも質問したことがない。

 食堂へ戻ると、もう夕食の用意が済んでいて、久しぶりにクロエスが一番乗りで座についていた。僕が腰を下ろし、アールも席に着く。

 僕とクロエスは「いただきます」と口にしたところで、アールは無言で胸の前で十字を切った。そうか、十字教の信者なのか。

 食事自体は静かに進んだ。さすがにアールがベッテンコードのように雑な作法を使うことはなく、むしろ彼は上流階級を意識させる、クロエスに近い作法で食事をした。

 会話は主にクロエスとアールの間で交わされ、二人は最新の医療技術について意見交換していた。アールは特に気にした様子もなく、ウージェの果樹園で骨折の治療をしたことを話し、それからは二人で骨折の治療方法について議論になった。

 麻酔が万能になれば切開して繋ぐことができる、とか、しかしそうなると切開したその傷が化膿してしまうのでは、とか、そんなやり取りだ。消毒に効果がある液体が大陸で開発された、とアールが言うと、クロエスは興味を持ったようで質問を重ねていた。

 食事の後にお茶が出た。紅茶だけれど、ハーブの匂いがする。

 匂いを確認し、飲んでからアールが身を乗り出した。

「欲しい薬があるそうですが、その話を教えていただけますか?」

「後で一覧を渡すよ」

「このハーブ、この島で採れたものですよね」

 これには僕だけではなく、クロエスも驚きを隠せなかった。

 港のそばの市場には大陸から持ち込まれるものが多くあり、当然、その中にはいくつもの茶葉がある。

 しかし今、僕たちが飲んでいる茶葉は、僕が勉強の一環として館のある山の中で見つけたハーブを集め、それで香りづけしたものだった

 それを匂いの差でアールは理解したのだろうか。あるいは味か。

「薬作りには鼻が重要なんです。あと、舌もね」

 なんでもないように言ってアールがカップを口元へ運ぶ。

 これは意外に、うまくいくんじゃないか? 彼の技能は信頼できそうだ。

 そう思わずにはいられなかった。

 ベッテンコードが回復するかもしれない。

 クロエスも満足したようで、口元を綻ばせていた。

 こうして僕たちは一人目の居候を迎え入れたのだった。



(続く)

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