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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
34/155

3-3 流れ者

     ◆


 果樹園では林檎がよく実っていた。

 使用人たちに話を聞くと、使用人の一人がはしごから落ちたらしい。それで足の骨が折れたのだそうだ。

 ウージェは港へ人を走らせたが、ダーカは手が離せず、結局、流れ者の医者か薬屋かもわからないものが引っ張ってこられた。

 果樹園のそばにウージェの家があるので、そちらへ向かう。ウージェが作業を任せる使用人がこの果樹園には六人いて、その六人はウージェ夫妻と同じ建物で暮らしていると聞いたことがある。

 家が見えてくる。二階建ての立派なものだ。

 しかしさすがにくぐもった悲鳴が聞こえてくるのを耳にしてしまうと、背筋が冷える。

 玄関のところで顔見知りの使用人の一人が不安そうに室内をうかがっている背中が見えた。今日は休みなのに、建物の中で悲鳴を聞くのに耐えられなかった、という雰囲気に見える。彼は僕に気づくと「アルカディオ!」と声を上げて足早に歩み寄ってきた。

「とんでもないことになった。兄貴の脚が落とされちまうかもしれん」

「え? そんなに重傷なの?」

 僕が驚いて聞き返すけど、別に皮膚を突き破って骨が飛び出している、などということはなく、ただ悲鳴に怯えたようだ。

 クロエスから医術についての講義を受けている中で、骨折に対する処置もあった。折れた骨の断面同士がおおよそ噛み合うようにして、固定するという処置が有効らしい。

 ただ、その骨と骨とを合わせる段階で、強烈な痛みが患者を襲う。

 また悲鳴が聞こえる。何かを噛ませているようで、くぐもって、大きな呻き声といったところだ。

「見たこともない医者だが、大丈夫なのか?」

 使用人の問いかけに、どうかな、としか答えられない。僕も流れの薬屋の話を聞いたばかりで、その人物の顔も名前も、もちろん技能も、何も知らない。

 入ってもいいか確認すると、「度胸があるなぁ」と使用人は場所を空けてくれた。

 屋敷には何度か招かれたことがある。果物を定期的に買っているのだけど、一度、人手が欲しいと頼まれて作業を手伝った。その時から、何かの折に招待してくれる。

 入ってすぐにある応接間が悲鳴の出どころだった。

 そっと扉を開けると、難しい顔をしたウージェとその夫人がこちらを振り返った。

 彼らの隙間から、床に使用人の一人が寝かされ、小柄な男の背中がすぐそばに見えた。

 声をかけようとすると、一際、大きい悲鳴が空気を震わせ、よし、と少し高い声がした。

「これでいい。固定してくれ」

 助手を務めているらしい使用人と小柄な男が協力して、怪我人の足に添え木を当て、布で縛り付けていく。なかなか男の技術は確かに見える。

「だいぶ苦しんでいたようですが」

 僕の言葉に、ウージェが苦り切った顔をする。

「骨がただ折れたのではなく、縦にも割れたそうだ。医術について私は、よくわからんがね」

 五十代の果樹園の主人は、表面上こそやや機嫌が悪いという程度だが、内心、不満が爆発しそうなようだ。

 怪我人の足が固定され、小柄な男がそばにいた家政婦に「水でも飲ませてやってください」と声をかけて立ち上がった。僕は上背がある方ではないけど、その僕と同程度の身長だとわかる。

 ただ彼の身のこなしに常に余裕があるのが、ウージェの前に立つだけでわかる。

「報酬を頂いてもよろしいかな」

 ちらっと男は僕の顔を見た。油断のない光り方をしている視線だ。僕はこの件に関しては第三者なので、黙っておく。ウージェの使用人の一件が片付いてからが本番だ。

 ウージェとの間でやり取りがあり、今後も定期的に診察することも含めて、報酬がウージェの手から男の手に渡る。

 口出ししなかったけど、ウージェはだいぶ値切っていて、それはダーカが手にする報酬の七割程度だ。ウージェらしからぬ狭量だったけど、自分の使用人が悲鳴を上げ続けるのを目の当たりにして、男の技量を評価する気になれなかったとしてもおかしくはない。

 負かされていることに気づいていないのか、男は深く頭を下げ、静かに部屋を出て行った。

「どこの馬の骨ともしれないものに頼み事をしなくてはならんとは、困ったものだ。この島は流れものが多いといえな」

 それがウージェの感想だった。

 おっと、僕はウージェではなく、さっきの男に用事があるんだった。それでもとウージェと世間話をして、丁寧に挨拶をして屋敷を出た。足早に港へ戻る。来た道を戻るわけだけれど、やや下へ下がる傾斜があり、自然、歩調が早くなる。

 例の男は明らかにゆっくりと歩いていた。

 まるで僕を待っているようだ。何かを感づいたのかもしれないし、自分に用があるのかないのか、確認したいようでもある。もし僕が彼に追いつかなかったり、追い抜いたりすれば、それでもう彼としては僕を警戒する意味はほぼ消えることになる。

 でも、僕は声をかけるわけだけど。

「失礼ですが」

 足早に追い越し、僕は彼に向き直って声をかけた。

 やっと男の顔をちゃんと見た。頭が小さく、顔の作りも端正だ。もし上背があれば、役者になれるかもしれない。服装は特別なものはなく、今は背中に小さな木箱を背負っている。仕事道具が入っているような、そんな趣の使い込まれた箱だった。

 あとは、腰に剣がある。刃渡の短い、短剣に分類される程度のものだった。柄は木製で、薄汚れていた。その点で短剣が飾りではなく、実用しているものだと見て取れた。

 男はちょっと微笑むが、薄い唇が横に広がるように開くので、それはどこか蛇を連想させた。

「どちら様かな。いや、あの屋敷にいたな」

「アルカディオというものです。お名前を存じませんが、薬を商っていると聞きました」

 男がちょっと目を細める。ますます蛇のようだ。

「薬を商うというのは、誤解だ。今はほとんど在庫がなく、売る薬がないのだからな。作れば別だが。そういうわけで、当分は医者の真似事をするしかないという立場だ。薬なら他を当たってくれ」

「今、薬を作るとおっしゃいましたよね?」

 僕が踏み込んでいくと、少しうんざりしたように男が雑に頷く。

「当たり前だ。薬屋はそもそも、薬を作るのが仕事だ。いつの間にか、薬を作るものと売るものに分かれてしまったがね」

「薬を作る知識をお持ちなんですね?」

「おい、兄さん。しつこいぞ。俺に薬を作らせる気かい? 高くつくぜ」

 僕は急いで懐の財布から、銀の粒を取り出す。三つほど、手渡す。

「これだけかい。ケチだなぁ。この島のものは景気が悪い」

 さっき、ウージェが値切ったことを、どうやらこの男は知っているらしい。

 さっきは何も知らないふり、大人しいふりをしていたってことになる。

 どういう来歴か知らないけど、強かではある。

「これでどうかな」

 僕は思い切って、更に銀を三つ、彼の手のひらに置いた。

 ニィッと口元に笑みを浮かべると「毎度」と彼は六つの銀の粒を懐に無造作に突っ込んだ。

「俺の名前はアール。よろしくな、アルカディオ」

「アールさん、是非、知恵を貸してください。よろしくお願いします」

「アルカディオ、これは是非にも頼みたいのだが」

 急にかしこまった態度になったアールに、僕も思わず姿勢を正す。

「なんでしょうか?」

「住む場所がない。食事はどうとでもなるが、とにかく、住む場所がないんだ」

 ……それって、つまり。

「お前さんの家に泊めちゃくれないかね。薬が必要な患者もそこにいるんだろう」

 その通りなんだけど。

「お前の親父さんの家だろう? ちょっと頼んでみてくれないか」

 ……断れる流れじゃない。

 しかしまったく、図々しいなぁ。

 そうは思いながら、僕はこの男がちょっと好きになっていた。

 きっと彼が、あまりにもあけすけで、悪びれないせいだろう。



(続く)

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