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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
31/155

2-13 繋がり

      ◆


 そういえば、とクロエスがこちらを見た。

 僕はデザートにたどり着いて、この日は葡萄のシャーベットだった。上に程よく凍らされた葡萄の粒が二つ、乗っている。

「アルカディオ、少しずつ髪の色が抜けてきたね」

 髪の色。

 それは僕も気になっていた。

 シャーベットをすくおうとした匙を止めて、僕はクロエスの方を見た。彼は目元はもちろん見えないけど、何かを思案するように片手を頬に当てていた。

「何か、体に問題があるんでしょうか?」

 こちらからそう問いかけると「いいや」とクロエスは優しい表情になる。

「これは秘密にしたというか、実験の一つだったんだけど、アルカディオ、きみにはベッテンコードさんの記憶と技能を馴染ませるために、ベッテンコードさんの生物としての情報が組み込まれている」

 反射的にベッテンコードを見ていた。

 彼はまるで話が聞こえていないかのように、シャーベットをザクザク匙で崩して、口へ運んでいた。それほど美味そうな顔をしていないが、まるで子どもが喜んで食べているのに近い印象があり、表情と動きのズレが彼の心情を曖昧にした。

 ベッテンコードが不快なのか、それとも照れているのか、うまく誤魔化されている。

 いやいや、そんなことではなくて。

「それって」

 僕はクロエスに向き直った。

「僕の父親が、ベッテンコード先生、ということですか?」

「父親と表現するべきかは、よくわからない。本当にささやかなものだからね。きみは僕が最も扱い慣れた人造人間を素体にして、そこにアルスライードの神秘の力、ベッテンコードさんの身体的情報、そして記憶と技能を組み込んだ、挑戦的な人造人間なんだよ。だからわからない部分も多い。きみが生きて、行動して、経験していくことが、僕の研究に貢献しているということ」

 どう答えるべきかわからず、またベッテンコードさんを見ていた。

 けど彼はシャーベットを既に食べつくし、音を立てて椅子から立ち上がるところだった。

 僕とクロエスの視線を完全に無視して、老人は迷いのない足運びで食堂を出て行った。勝手に話していろ、と言わんばかりだった。残された食器を人造人間が無言で下げていく。

「あの、クロエス先生。僕の髪の毛と、ベッテンコード先生にどういう関係があるのですか?」

 口元を隠しながら短く笑うと、クロエスは真相を教えてくれた。

「今でこそベッテンコードさんは髪の毛が白くなっているが、彼は元は赤い髪の毛をしていた。それは鮮やかな赤だったよ」

 赤……。

 つまり僕の黒い髪もいずれは色を赤に変えるのか。

 若い頃のベッテンコードのように?

 それは少し嬉しく、少し申し訳なかった。大半は曖昧で、宙ぶらりんな気持ちである。

 ベッテンコードの技でも記憶でもないものを引き継げるのは嬉しい。

 ベッテンコードの容姿を引き継ぎながら、不甲斐ない自分が後ろめたい。

 相反する感情。

「あまり気にすることはないさ」

 クロエスが言い聞かせるような口調で言う。

「きみはきみだし、ベッテンコードさんはベッテンコードさんだ。彼だってそれくらい、割り切れるさ」

 そうですよね、と僕がどうにか応じたところで、クロエスは論点を変えてくれた。

「きみは不思議なことを言っていたね。剣を取った時、何か、こう、自分ではなくなったというような」

 僕が初めて剣を手に取り、そして暴走した時のことだ。

「あんなことはあれから、ないんだよね?」

「はい、ありません」

 今度ははっきりと断言できた。クロエスも軽く頷き返す。

「そしてあれからきみは、急にベッテンコードさんの剣術を使えるようになった。そうだね?」

「自分でも不思議ですけど、その通りです。完全でも完璧でもないですが」

「ふーん、それって、剣を手に取ることが一つの鍵だったのかな」

 手で匙を弄りながら、クロエスが頭上を見上げるようにする。彼もすでにシャーベットは食べ終わっていた。今はお茶が用意されている。

「髪の毛もそうだ。最初からずっと、何ヶ月も黒髪のままだった。それが剣を手にして、剣術の稽古をし始めて、急に色が変わり始めた。興味深いな。記録しておこう」

 どうやらこれは独り言のようなものらしい。クロエスの癖で、何かに集中すると独り言をもらすことがある。そういう時は大抵、指を動かしながら頭上を見上げる。今も手は匙をくるくると回している。

「首を落とされたことは、関係するのだろうか。死ぬことで何かが開放されるとなると、これは再現が難しい。大前提として、人造人間は生物の枠に収まっているがために、死ねばそれまでだ。アルカディオしか観察対象がないのが悔しいな」

 僕は人造人間が用意してくれた湯飲みから緑茶を飲んだ。

 あぁ、ほっとするなぁ。

 まだクロエスは何か言っていて、目の前で湯気を揺らめかせている湯飲みに気づいていない。

 彼が気を取り直すのを待ったけど、なかなか自分の世界から戻ってこないので、僕は先にお茶を飲み干すと足音を消して食堂を出た。クロエスは自分の席についたまま、ブツブツと独り言を続けていた。

 尖塔のひとつにある部屋に戻り、稽古着の切れ目を糸で縫い合わせる。さすがにそろそろ、新しい稽古着にしないとダメだろう。

 作業が終わって、僕はタオルなどを持ってお風呂へ行った。

 脱衣所で下着だけになり、どういうわけか置かれている姿見で自分の体をちょっと確認した。

 大きな傷跡は首に一つ、左腕に二つある。あとはもう、数えるのも無駄というもの。

 下着も脱いで浴場に入り、汗を流して湯船に入る。

 この館のお風呂は都合よく温泉などないので、時間に合わせて人造人間たちが火を起こし、薪で火を大きくし、それで水を温めて湯船に張る仕組みになっている。なので時間によって熱かったりぬるかったり、まちまちなんだけど、この館でお湯の温度にうるさいものはいない。

 湯船で手足を伸ばし、何気なく自分の髪の毛に触れる。

 少しずつ伸びていて、今では肩に届くほどになっていた。短くしてもいいけど、どんな心理が作用しているのか、もう少し伸ばしてから一つに結ぼうと計画しているところだ。

 ちょっとだけ、ベッテンコードが髪を伸ばして高く結っていることが連想された。

 別にベッテンコードになりたいわけでもないけど、あるいは僕の中のベッテンコードの因子が、僕の趣味嗜好にまで影響を及ぼしているのだろうか。それは僕は良くても、ベッテンコードからすれば薄気味が悪いかもしれない。

 ああ、でも、僕を生み出したのはクロエスでも、それを求めたのはベッテンコードのはずだ。

 未だに僕は、ベッテンコード本人に、彼の真意というものを聞いていない。

 僕をどうして作ったのだろう。

 ただ剣術のためなのか。

 それ以外の何かがあるのか。

 あるとして、それはなんだろう。

 僕は、そのベッテンコードの真意を知った時、傷つくのだろうか。

 それとも、満たされるのか。

 興味はあっても、尻込みする気持ちもある。

 今のまま、師匠と弟子の関係だけでも十分に思える。

 何を思っていようと、何を求めていようと、僕とベッテンコードの間で、剣が交わされることには関係がない。

 超然とした、技と力と速さと、意志を競うのは、純粋で、美しい。

 芸術じみた危険な交流を、終わらせたくない。

 何もそこに混ざって欲しくない。

 僕は深く息を吸い、吐いた。

 僕は知っている。

 ずっと続くものなんて、この世に何一つない。

 全てが変わっていく。

 全てが壊れていく。

 そうして全てが、生まれ変わるのだ。



(続く)

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