2-13 繋がり
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そういえば、とクロエスがこちらを見た。
僕はデザートにたどり着いて、この日は葡萄のシャーベットだった。上に程よく凍らされた葡萄の粒が二つ、乗っている。
「アルカディオ、少しずつ髪の色が抜けてきたね」
髪の色。
それは僕も気になっていた。
シャーベットをすくおうとした匙を止めて、僕はクロエスの方を見た。彼は目元はもちろん見えないけど、何かを思案するように片手を頬に当てていた。
「何か、体に問題があるんでしょうか?」
こちらからそう問いかけると「いいや」とクロエスは優しい表情になる。
「これは秘密にしたというか、実験の一つだったんだけど、アルカディオ、きみにはベッテンコードさんの記憶と技能を馴染ませるために、ベッテンコードさんの生物としての情報が組み込まれている」
反射的にベッテンコードを見ていた。
彼はまるで話が聞こえていないかのように、シャーベットをザクザク匙で崩して、口へ運んでいた。それほど美味そうな顔をしていないが、まるで子どもが喜んで食べているのに近い印象があり、表情と動きのズレが彼の心情を曖昧にした。
ベッテンコードが不快なのか、それとも照れているのか、うまく誤魔化されている。
いやいや、そんなことではなくて。
「それって」
僕はクロエスに向き直った。
「僕の父親が、ベッテンコード先生、ということですか?」
「父親と表現するべきかは、よくわからない。本当にささやかなものだからね。きみは僕が最も扱い慣れた人造人間を素体にして、そこにアルスライードの神秘の力、ベッテンコードさんの身体的情報、そして記憶と技能を組み込んだ、挑戦的な人造人間なんだよ。だからわからない部分も多い。きみが生きて、行動して、経験していくことが、僕の研究に貢献しているということ」
どう答えるべきかわからず、またベッテンコードさんを見ていた。
けど彼はシャーベットを既に食べつくし、音を立てて椅子から立ち上がるところだった。
僕とクロエスの視線を完全に無視して、老人は迷いのない足運びで食堂を出て行った。勝手に話していろ、と言わんばかりだった。残された食器を人造人間が無言で下げていく。
「あの、クロエス先生。僕の髪の毛と、ベッテンコード先生にどういう関係があるのですか?」
口元を隠しながら短く笑うと、クロエスは真相を教えてくれた。
「今でこそベッテンコードさんは髪の毛が白くなっているが、彼は元は赤い髪の毛をしていた。それは鮮やかな赤だったよ」
赤……。
つまり僕の黒い髪もいずれは色を赤に変えるのか。
若い頃のベッテンコードのように?
それは少し嬉しく、少し申し訳なかった。大半は曖昧で、宙ぶらりんな気持ちである。
ベッテンコードの技でも記憶でもないものを引き継げるのは嬉しい。
ベッテンコードの容姿を引き継ぎながら、不甲斐ない自分が後ろめたい。
相反する感情。
「あまり気にすることはないさ」
クロエスが言い聞かせるような口調で言う。
「きみはきみだし、ベッテンコードさんはベッテンコードさんだ。彼だってそれくらい、割り切れるさ」
そうですよね、と僕がどうにか応じたところで、クロエスは論点を変えてくれた。
「きみは不思議なことを言っていたね。剣を取った時、何か、こう、自分ではなくなったというような」
僕が初めて剣を手に取り、そして暴走した時のことだ。
「あんなことはあれから、ないんだよね?」
「はい、ありません」
今度ははっきりと断言できた。クロエスも軽く頷き返す。
「そしてあれからきみは、急にベッテンコードさんの剣術を使えるようになった。そうだね?」
「自分でも不思議ですけど、その通りです。完全でも完璧でもないですが」
「ふーん、それって、剣を手に取ることが一つの鍵だったのかな」
手で匙を弄りながら、クロエスが頭上を見上げるようにする。彼もすでにシャーベットは食べ終わっていた。今はお茶が用意されている。
「髪の毛もそうだ。最初からずっと、何ヶ月も黒髪のままだった。それが剣を手にして、剣術の稽古をし始めて、急に色が変わり始めた。興味深いな。記録しておこう」
どうやらこれは独り言のようなものらしい。クロエスの癖で、何かに集中すると独り言をもらすことがある。そういう時は大抵、指を動かしながら頭上を見上げる。今も手は匙をくるくると回している。
「首を落とされたことは、関係するのだろうか。死ぬことで何かが開放されるとなると、これは再現が難しい。大前提として、人造人間は生物の枠に収まっているがために、死ねばそれまでだ。アルカディオしか観察対象がないのが悔しいな」
僕は人造人間が用意してくれた湯飲みから緑茶を飲んだ。
あぁ、ほっとするなぁ。
まだクロエスは何か言っていて、目の前で湯気を揺らめかせている湯飲みに気づいていない。
彼が気を取り直すのを待ったけど、なかなか自分の世界から戻ってこないので、僕は先にお茶を飲み干すと足音を消して食堂を出た。クロエスは自分の席についたまま、ブツブツと独り言を続けていた。
尖塔のひとつにある部屋に戻り、稽古着の切れ目を糸で縫い合わせる。さすがにそろそろ、新しい稽古着にしないとダメだろう。
作業が終わって、僕はタオルなどを持ってお風呂へ行った。
脱衣所で下着だけになり、どういうわけか置かれている姿見で自分の体をちょっと確認した。
大きな傷跡は首に一つ、左腕に二つある。あとはもう、数えるのも無駄というもの。
下着も脱いで浴場に入り、汗を流して湯船に入る。
この館のお風呂は都合よく温泉などないので、時間に合わせて人造人間たちが火を起こし、薪で火を大きくし、それで水を温めて湯船に張る仕組みになっている。なので時間によって熱かったりぬるかったり、まちまちなんだけど、この館でお湯の温度にうるさいものはいない。
湯船で手足を伸ばし、何気なく自分の髪の毛に触れる。
少しずつ伸びていて、今では肩に届くほどになっていた。短くしてもいいけど、どんな心理が作用しているのか、もう少し伸ばしてから一つに結ぼうと計画しているところだ。
ちょっとだけ、ベッテンコードが髪を伸ばして高く結っていることが連想された。
別にベッテンコードになりたいわけでもないけど、あるいは僕の中のベッテンコードの因子が、僕の趣味嗜好にまで影響を及ぼしているのだろうか。それは僕は良くても、ベッテンコードからすれば薄気味が悪いかもしれない。
ああ、でも、僕を生み出したのはクロエスでも、それを求めたのはベッテンコードのはずだ。
未だに僕は、ベッテンコード本人に、彼の真意というものを聞いていない。
僕をどうして作ったのだろう。
ただ剣術のためなのか。
それ以外の何かがあるのか。
あるとして、それはなんだろう。
僕は、そのベッテンコードの真意を知った時、傷つくのだろうか。
それとも、満たされるのか。
興味はあっても、尻込みする気持ちもある。
今のまま、師匠と弟子の関係だけでも十分に思える。
何を思っていようと、何を求めていようと、僕とベッテンコードの間で、剣が交わされることには関係がない。
超然とした、技と力と速さと、意志を競うのは、純粋で、美しい。
芸術じみた危険な交流を、終わらせたくない。
何もそこに混ざって欲しくない。
僕は深く息を吸い、吐いた。
僕は知っている。
ずっと続くものなんて、この世に何一つない。
全てが変わっていく。
全てが壊れていく。
そうして全てが、生まれ変わるのだ。
(続く)




