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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
30/155

2-12 理屈

     ◆


 なんか矛盾する気がするな。

 僕が洗濯をしているそばで、しゃがみ込んだ姿勢でサリースリーが言う。

 手伝うでもなく、頬杖をついて何故か斜め上を見ている。

 手元の泡まみれの稽古着をもみ洗いしつつ、「何が?」と聞いてみる。

「それよ」

 サリースリーの目は僕の洗っている稽古着を見た。

「稽古着を血で汚しているのは、ベッテンコードが切りつけたせいだ。稽古着がボロボロになるのもベッテンコードが切りつけたからだ。だったら半分程度はベッテンコードが洗濯と繕いを受け持ってもいいのではないか」

 ベッテンコードとの稽古でズタズタにされ、その上、血まみれでもある僕の稽古着は、毎日、僕が洗って、それから切れ目を補修していた。

「稽古着を切られるのは僕がまだ未熟だからだし、怪我するのも同じだよ」

「しかしな、あの老人は本当の達人なのだから、加減すればいいのだ。できないわけがなかろうよ」

 かもね、と言って大きなたらいの中の水を入れ替え、稽古着をすすいでいく。

 不意に思いついた。

「例の山の中で追いかけっこした時だけど」

 僕の言葉に、サリースリーが気のない表情をこちらへ向ける。退屈なんだろう。

「きみ、僕を泥水の上で踏みつけたこと、あったよね」

「それが?」

「あの時、僕は汚れた稽古着を自分で洗ったよ。もしさっきのサリースリーの言うことを実践するとなると、あの泥まみれの稽古着はサリースリーが洗うべきだった、ということにならないかな?」

 屁理屈を言うな、とサリースリーは不服げにそっぽを向いた。

 稽古着がおおよそすすげたので、絞って、広げ、洗濯紐に干した。こうしておけば明日には人造人間の担当のものが外に干してくれる。切れ目を繕うのは乾いてからで、明日の仕事。でも今日は、昨日洗った服が乾いているので、それを繕う必要がある。

 時間は夕食になろうとしている。

 サリースリーと洗濯室を出て、食堂へ向かう。

「顔には傷をつけないあたり、手加減はしているのだろうな」

 彼女の視線は僕の首元や半袖で露出している腕に向けられている。

 はっきりと見える皮膚が盛り上がった傷跡もあれば、もうほとんど消えたかすかな痕跡もある。そしてそれ以上に薄く、肌にうっすらと影のように走る線がいくつもあるのは、注視しないとわからない。それも傷跡である。

「ベッテンコードを切るつもりはあるのか、アルカディオ」

 少女の問いかけに、僕はちょっと考えた。

「今のところは、ないかな。っていうか、無理をすれば切れる場面はあるけど、ベッテンコードさんはただの人間だよ。切ったら大怪我は確実だし、酷ければ死んでしまう。それじゃあ稽古にはならない」

 話しながら、ベッテンコードの言葉が脳裏をよぎった。

 殺してもいい稽古。

 彼はそう言ったけど、あれはもしかして、自分が殺されても構わない、ということを暗に言いたかったのだろうか。

 でも、僕はにそんなつもりは毛頭、なかった。

「お前はどこを目指しているのだ、アルカディオ」

 サリースリーの訝しげな口調に苦笑いしてしまうのは、自分で自分の考えが可笑しいからだ。

「何を笑っておる?」

「あのね、僕が目指している局面は、決着がつかない、という局面なんだよ」

「決着がつかない?」

 ますます疑問しかないという表情のサリースリーに、少し言葉を尽くす気になった。

「二人の剣術の腕前が拮抗しても、最後には勝負術のようなもので、純粋な戦いの駆け引きの中で決着はついてしまう。これはつまり、僕が負けるということだね。だから僕が目指すのは、剣術で拮抗して、ベッテンコード先生の駆け引きを受け止め、その上で、自分を守る、ということ。そうすれば決着はつかない」

「……なんというか」

 今度はサリースリーは呆れ顔になった。

「それはもはや、達人の中の達人の境地ではないか……?」

「そうかもね。でも、相手を切り殺す技能を磨くより、相手を殺さずに済む技能を磨く方が健全じゃない?」

「夢物語だな」

 そっけなくサリースリーは切って捨てたけど、僕は肩をすくめるだけにとどめた。

 夢物語を追いかけるのが、人間の本能だと僕は思うことがある。その夢が遠いか近いか、大きいか小さいかの差はあるが、みんな何かしらを明日に重ねて見ている。

 正確には人間ではない僕も、そういう夢を見る権利はあるだろう。

 食堂に入るところでサリースリーと別れた。彼女は食事の席に同席することは滅多にない。何かを食べているようだけど、僕が目覚めて少し経った頃、「人の食事は解せぬ」と呟いたことがあった。

 彼女は彼女で何か食べているんだろうけど、さて、何を食べているんだろう。

 蛙や蛇が好物でもおかしくない、と思っていても、口にしてはいけない。一撃必殺の鉄拳で僕の頭が破裂する未来がありありと幻視できる。

 いや、冗談ではなく。

 食堂に入ると、まだ人造人間たちが配膳の最中だ。僕は自分の席に座り、料理が並ぶのを見物した。魚を捌くのは週に二回ほど、続けてやっている。少しずつ簡単に三枚におろせるようになってきた。

 成長があるというのは楽しいことだ。これは剣術にも言える。

 遅れてベッテンコードがやってきた。服装が稽古着ではない、平服になっていた。もちろん、剣は帯びていない。

 稽古の時、僕の血飛沫が彼の稽古着に飛ぶことはままあるけど、彼の稽古着はどうやら人造人間が洗っている。それほどの汚れでもないし、もちろん、彼の稽古着が裂けることは今まで、一度もない。

「お前の血を見ると食欲が失せるのが問題だな」

 僕の方を見て目を眇めてから呟くと、ベッテンコードはゆっくりと自分の席に着いた。

 クロエスが来る前に老人はさっさと食事を始めていた。食欲が失せると言いながら、両手は次々と料理を口へ、休みなく運んでいる。素早いと言ってもいい動きだ。

 僕がじっと待っていると、クロエスがやってきた。彼はベッテンコードの様子に苦笑いしてから自分の席に着く。こうして、僕とクロエスが「いただきます」と声を合わせるのが常だった。

 食事の間に、クロエスは僕に稽古の様子を確認し、その僕の表現に時折、ベッテンコードが口を挟む。クロエスはそれに質問を返し、そうなるとクロエスとベッテンコードが剣術について議論することになる。

 二人の話を聞いていると、僕が考えていること、僕の中の理屈、感覚を、二人の発想と照らし合わせることが自然とできる。うまく解釈できることもあれば、よく分からないこともあるけど。

 そういう飲み込めない要素が、進歩のきっかけなんじゃないか。

 僕は煮魚を口へ運びながら、じっと錬金術師と老剣士の議論に耳を澄ませた。



(続く)

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