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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
23/155

2-6 三つの太刀

     ◆


 棒を構えて、呼吸を整える。

 目の前には力むでもなく、しかし脱力するでもなく、ベッテンコードが立っている。

 彼の呼吸を読みたい。

 読めない。

 次の動きを知りたい。

 でもどうやって?

 かすかな音。靴の裏が地面を擦る。

 来る。

 横へ踏み込むそぶりを見せ、僕の方から前進。

 ベッテンコードはまっすぐに来る。いや、わずかに斜めに逸れる。

 時間の流れが緩慢になる。

 引き寄せられた棒が僕の胸元を掠める。際どく身を捻って半身になったからだ。

 老人の脚がまるで地面に張り付いたように停止、同時に全身で勢いを宙へ逃がすのが見える。

 鮮やかな方向転換。

 僕はといえばまだ無様に、足を送ったりしている。

 次の棒が来る。

 避けるのは姿勢からして不可能。

 受けに回る。

 棒を手元に引き寄せ、最短距離での迎撃。

 突き出した棒にベッテンコードの棒が絡まってくるのを、より複雑に捻り返す。

 時間の流れがより緩慢に。

 棒と棒がまるで二匹の蛇となり、絡まり合うようなイメージ。

 ここでベッテンコードの棒を自由にさせれば、負ける。

 なら、より複雑に、僕自身の制御を離れるのも構わずに、がむしゃらに棒をめまぐるしく動かしていくのみ。

 唐突に僕の棒が引きずられる。

 ベッテンコードの方も棒を絡ませてきている。

 つんのめりそうになった姿勢さえも利用したのは、とっさの判断だ。

 棒と棒が噛み合うところへ、踏み込んで間合いを消す。二本の棒は横へ流れ、僕とベッテンコードの肩と肩が触れ合った。

 触れ合った次には、二人が同じ行動をとったために、今度は背中合わせ。

 押し合ったのは一瞬、お互いに転がり、間合いを取って棒を構え直す。

 ドッと疲労がのしかかってきた。汗が噴き出し、息が乱れる。

 対するベッテンコードはといえば、全く平然と棒を下げて立っている。

「今の技は」

 急に老人が棒を掲げ、話し始めた。

「「三つの太刀」と呼ばれる基本の三つのうちの一つだ。「捩れの太刀」というものだ」

「捩れの太刀?」

「受けであり、攻めの起点を作る技だ」

 気づくとベッテンコードの瞳はここではないどこかを見ていた。でも言葉は間違いなく、僕に向けられている。

「良いか? 捩れの太刀は相手の攻めに合わせて繰り出す、返し技だ。相手の剣を巻き取り、逸らし、あるいは絡ませるようにして腕を落としたりと、幅が広い。様々な流派が研究を深め、系統を作り、また実戦でそれが有効かを試している」

 よく見ておけ、というと、ベッテンコードは僕が見たことのない構えを見せた。

 違う、僕はそれを見たことがある。

 でも、どこで?

 すっとベッテンコードが棒を動かす。

 次には棒の先が複雑怪奇な模様を宙に描き始め、その軌跡には尾のように棒の残像の帯が続く。

 最初は見えなかった。

 でも、見えてくる。

 ベッテンコードが想定している敵の像が、僕にもうっすらと見えてきた。

 そこにあるベッテンコードが手に取る棒と、想像の中の見えない棒が、せめぎ合う。

 相手の攻めを凌ぎ、逆襲、それもまた防がれ、もう一度、逆襲。

 立っている場所も変わるが、ベッテンコードの足は時には地面を滑るように移動し、時には跳ねる。踏み切った次には、根が生えたように体を支え、しかしその次には宙の羽毛が風に舞うように軽やかに踏み込んでいる。

 一連の動きは、ある種の洗練された舞踏のようだった。

 型、なのだ。

 ついに見える棒と見えない棒の攻防が終わり、姿の見えない敵はベッテンコードの棒で胸から脇腹をなぞられて、それで老人は動きを止めた。

 幻は溶けて、跡形もなく消える。

「くだらん手品だ」

 まるで剣の血を払うように棒を振り、やっとベッテンコードが細く息を吐いた。

 この老人が明らさまに呼吸をするのは、稽古の間では極めて珍しい。普段は呼吸を乱さないのだ。何をしても、どれだけ稽古を続けても。 

 それくらい、あの僕にさえ見える仮想の存在は、ベッテンコードを疲労させたことになる。

「本当の達人というのはな、己と稽古するしかない」

 棒を構え直したベッテンコードはもう僕と正対している。

 慌てて僕も棒を構える。

 ひっそりと、しかし重い響きの声が投げかけられる。

「空想上の敵や、ましてお前などと対等の稽古などできんのだよ。しかし、わしも老いたやもしれんな」

 どういうことですか?

 そう言おうとした瞬間、今までにない強烈な気配が吹き付けて、言葉は飲み込まざるをえなかった。

 呼吸は、無意識に止まった。

 僕は冬というものを経験していないけど、凍りついた空気が吹き荒れているような、そんな感触だった。

「小僧、これからお前に三つの太刀の他の二つを教えよう。「先の太刀」と「固めの太刀」だ。凌げるなら、凌いで見せよ。凌げぬなら、甘んじて打ち倒されるがよい。そもまた、学びだ」

 ……自分の暴力を自分で肯定しているのは、だいぶ人格が破綻していないか?

 結局、それから僕は続けざまに五回ほど気を失うのと引き換えに「先の太刀」のおおよそを叩き込まれ、さらに五回の気絶をもって「固めの太刀」のおおよそを見せてもらえた。

 時間はあっという間に流れ、すでに日が暮れかかり、「ここまでにしよう」とベッテンコードはもう普段通りの様子で、夕日の朱色に染まる館の中に入っていった。

 僕はといえば、館の裏手で、大の字になって地面に寝転がっていた。

 体が熱い。水が欲しいけど、水筒を取りに行くのも無理だ。自分の胸がふいごのように上下して、息を吸う度に夕方の生ぬるい空気が、それでも心地よく胸の奥に染み渡っていく。

「なんだ、大げさな真似などしよって」

 涼しげな声がして、軽い足音の後、空しか見えない僕の視界に少女の顔がヌッと現れる。

「お前がこの程度のことで動けなくなるわけがなかろう」

「少しは休まないと」

 サリースリーに答えた時には、確かに息苦しさはなくなったし、失神を繰り返した具合の悪さも消えている。っていうか、十回も間をおかずに気絶するのは、普通の人間だと生命に関わるんじゃないかな。

 足で反動をつけて起き上がると、サリースリーが水筒を差し出してくれた。

 言っていることとは裏腹に、案外、優しいところがあるのだ。

「ありがとう」

「久しぶりに感じたな、あの老人の本気というのを」

 水を飲みながらサリースリーを見ると、彼女はちょっと顔をしかめて、館の方に目をやっていた。何を思っているかは、測れない。

 しかし声には、少しだけ緊張と、畏怖があった。

「破砕剣などと呼ばれる剣の使い手にふさわしい、強力なあの気迫。さすがに剣聖というだけのことはある」

 気迫か。

 実際に僕は目の当たりにしたわけだけど、実はサリースリーの言葉とは少し違う感想があった。

 ベッテンコードは、まだ何かを隠している。

 まだ本気にはなっていない。

 そんな気がした。

「行くぞ。もう夕食になるから、洗濯は後回しにせよ。今日は豚肉の腸詰が出るそうな。あれはなかなか美味いものだ」

 まったく違う話題を口にするのは、話はここまで、ということだった。

 僕は立ち上がった時、やっぱりちょっとふらついた。でも一度だけだ。

 足が自然と体を支える。そう、不安になるほど、ピタリと姿勢が安定するのだ。自分の足で立っているとは思えないほど、安定している。

「どうした?」

 館の中へ通じる扉を開けようとしているサリースリーが不思議そうに振り返る。

 なんでもないよ、と僕は彼女に歩み寄った。

 姿勢の取り方、歩き方まで変わってきた。

 僕は少しずつ、変わっているらしかった。



(続く)

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