2-4 矛盾
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「みっともないったらないじゃないか、ええ?」
僕の背後でサリースリーがぼやくけど、ちゃんと相手をする余裕はない。
僕は泥まみれの服を洗っているところだった。洗濯場で、僕とサリースリーしかいない。
「あんな老人に良いようにやられて、恥ずかしくないのか?」
「恥ずかしいとか、恥ずかしくないとか、そういうんじゃないんだよ。僕の力不足。それだけ」
「聞き分けが良いことを言うでない、この未熟者の愚か者が」
まさにその通り。ぐうの音も出ない。
僕は未熟で愚かだ。
でもいつか、ここを脱出できるような気がする。
昼間にまずサリースリーの手で泥に沈められ、その後にはベッテンコードに散々に打ち据えられて、気を失っては取り戻し、また気を失うを繰り返した。
這々の体で稽古を終えたら、今度は洗濯だ。
どうして自分がこんなに困難なことをしているのか、自分自身で不思議に思う。
やや被虐趣味的すぎるけど、何故か、これが必要なことだと思える。
サリースリーはともかく、ベッテンコードは普通の人間だ。最初に生まれた時は、非力な赤ん坊で、技なんて知るはずもなかった。それは間違いないことだし、人間の必然だ。
でもベッテンコードは成長しながら、技を身につけた。そして技を磨き、極め、今、老境に達しても圧倒的な戦闘力を保持している。
僕はといえば、記憶が何もないとはいえ、人間とは比べ物にならない頑丈な体がある。それだけでもベッテンコードよりは有利なところから始まっている。
ついでに頭の中には、おそらくベッテンコードと同等の技能に関する知識があるはずなのだ。
まだそれは開封されていないようだけど。あるとすれば、並ではない使い手になれる。あるとすれば……。
いや、最悪、ないかもしれないけど……。
そもそもからして、クロエスが言うには僕は異常だという。
人造人間であっても、意識を覚醒させてからほんの数ヶ月で信じられないほどの運動能力を身につけているという。実際の人造人間はもっと限られたことしかできず、そもそも思考や知性そのものに限定されるものがあるというのだ。
クロエスは笑って言っていた。
「きみは限りなく人間に近い人造人間として作ったけど、それ以上の何かがありそうだ。僕にもわからない、想定外の何かがね」
その言葉を聞いて、僕はどういう顔をすればいいか、わからなかった。
僕には僕という存在が、どんどんわからなくなる。
人間ではないけど、人造人間とも違う。
ベッテンコードの技を知っているはずだけど、知らない。
僕という人間はベッテンコードの代替品なのか。
クロエスにとって僕は何なのだろう。観察対象なのか。では観察する価値がなくなれば、僕はどうなる? 何らかの理由でクロエスが僕を、例えば危険な存在だと判断すれば、僕を処分するだろうか。
これもクロエスが言っていた。
「錬金術師には責任がある。自分が作ったものを管理する責任だ。それを怠るのが最大の罪なんだ」
いつか聞いた、一人の錬金術師の破滅の話が思い出された。
もし僕がクロエスの立場だったら、実験として生み出した存在には、暴走しないように安全装置を組み込むだろう。
ほんの短い合図で、その生命活動を停止させるような、そんな安全装置。
そうでなければ、少しずつ、本人も気づかないうちに進行する毒のようなもの。これは寿命に近い。
僕には僕という存在がやはりわからないのは、ちぐはぐだからでもある。
ベッテンコードの代わりとして、経験を更に積ませるなら僕に短い寿命を与えるのは矛盾する。
古の龍であるアルスライードの力をあたえられた人造人間に、安全装置を組み込まないものだろうか。しかしこの龍の力を組み込んだのは、不死存在の成立のためであり、安全装置を組み込むのは矛盾するのではないか。死ぬことのある不死存在は、あり得るのか。
僕自身は、自分が不死だと知ったらどうなるのか、想像もできない。
この精神、意識のようなものが狂いそうな予感がするけど、でも、終わりは終わりが来なければ感じ取れない。つまり少なくとも僕が観察した人間は、寿命があろうとなかろうと、体感的には無限の中に生きているのに近い。
今がずっと続くとどこかで思いながら、いつかは終わるとやはりどこかで思っている。
それなら僕の感覚と何も変わるところはない。
いつの間にか思考に没入しており、手はほとんど勝手に洗濯物を絞っていた。
水場から立ち上がり、絞ってあった稽古着を次々と洗濯紐に干していく。サリースリーは退屈そうに洗濯場の入り口のところに体をもたれさせていた。
「人間の考えることはわからぬ。おっと、お前は人間ではなかったか」
そんなことを言われたけど、僕は笑うしかなかった。
人間と人造人間の間にあるものは、議論の種にはなるだろうけど、結局、誰がどうやって作ったか、というところに行き着きそうだ。人間の男女の間で生まれたか、錬金術師が生み出したか。その程度の差しかない。
もっとも、今の一般的な人造人間はその知性や思考、行動をだいぶ限定されているけど。
クロエスが世間話の中で教えてくれたけど、大陸において錬金術師たちをまとめている錬金術師組合は、人造人間の性能に関していくつもの取り決めを交わして、決して人造人間に人間らしさを与えないようにしているという。
では僕はどうなのか、といえば、僕を生み出した錬金術師は茶目っ気たっぷりに片目をつむって言ったものだ。
「きみを作った錬金術師は、組合なんて気にしない、自由奔放な、異端の錬金術師なのさ」
なるほど、と思ったけど、だいぶ危険だとも思った。
その人物に生み出された人造人間が心配するのも変だけど。
洗濯が終わると、もう夕飯時に近い。
僕が調理場へ行こうとすると、サリースリーが後をついてくる。
「今日も魚を包丁とやらで切り刻むのか? 別に二つに裂いて焼けばよかろう」
背後の言葉に、「切り刻むんじゃなくて、おろす、という表現をするんだよ」と教えるけど、少女は気にした様子もない。
「おろすなどと言葉を飾っても、切り刻むことに変わりはない」
まぁ、そうなんだけど……。
興味がないふりをしても、この少女が僕がやることを観察しているのを、僕は知っている。
この日もちゃんと調理場まで付いてきて、僕が魚を三枚におろすのを見ていた。
そして真ん中の骨と薄い身しか残っていないぺらぺらの一枚を見て、「手品の類か」と呟いていた。
(続く)




