2-3 遠くからの言葉
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目を覚ますという感覚の中で、最も最悪なのは活を入れられることだ。
というか、そもそも寝ているわけではなく、肉体の不調で気を失っているのだし、それを無理矢理に回復させるのは自然に反する。
誰がそんな方法に気づき、編み出し、発展させたのか。
この苦痛を味わって欲しい。
ともかく、僕は例の如く、ベッテンコードに気絶させられ、次には胸の中心を棒で突かれて意識を取り戻した。
息ができないのに、咳は出る。咳と言っていいのか、喘ぎというべきなのかは議論の対象にできそうだ。
どちらにせよ、ベッテンコードという人物はそこまで優しくない。
正確には、優しさは微塵もない。
意識が回復したばかりの僕に棒が繰り出される。こめかみを打つような動作で、言ってみればこれは挨拶だ。今まで、回復した次にこめかみを打たれてまた意識を失うのを、十回ほどやっている。
跳ね起きて、首を反らして棒の先を避ける。
しかし毎回、少しずつ深く踏み込んでくるので僕が逃れるのとベッテンコードが当てに来る棒の先の間に、そこまでの余裕はない。
地面を転がり、取り落とさずに持っていた棒を構える。
気を失っても棒を手放さないのは異常だし、気を取り戻した時から棒を持ち続けるのも異常だ。
でもそうしないと僕はベッテンコードに酷い目にあわされる。
それはそれは、筆舌に尽くしがたい、悲惨なことになる。
最初の最初、それがあった。
だから僕は、決して棒だけは手放すまい、と決めたのだった。
ベッテンコードはそんな僕の悲惨さなどどこ吹く風で、悠然と棒を構えている。
構えなんてどうでもいい。
実際に目の当たりにしてきたベッテンコードの剣術は、まさしく変幻自在だった。
どんな風に構えていても、どこへでも棒を繰り出せる。
棒は必ず物体としてそこにある。
例えば魔法は離れたところに炎を起こすが、剣術、剣にはそれができないのが大原則だ。少なくともベッテンコードの剣術は、その原則の上にある。
それが意味するところは、棒が動き始めるのも視認できるはずだし、それが動く軌道を見極め、先読みさえできれば防ぐことができる。あるいは、反撃もできるかもしれない、という理屈も展開できる。
でも今、僕にそれはできていない。
動き始めは見える。棒が消えるからだ。
軌道は見えなくても、棒はベッテンコードの手の先、腕の先にあるから、その体を見れば少しは先が見える。
しかしそこからが難しい。
ベッテンコードはまるで棒の動きを僕に悟らせない。変幻というより、これは緩急の問題だった。まるでベッテンコードは時間を操作しているように、棒の振りを加減できる。
ある時には極端に遅くなり、ある時には想定外に速くなる。
防御を抜かれること、意表をつかれること、そればっかりだ。
もちろん、遅さが極まればそれは停止だし、速さは必ず上限がある。
なのにその幅が未だに僕には見極められない。
棒を構え、備え、しかし打たれる。
この時もそうだった。
ゆらりとベッテンコードの姿が揺らいだ次には、その体が滑るように間合いを詰めてくる。
棒が来る。
しかしいつ、どこに?
反射的に棒を掲げたのは、見えたというより、感じたからだった。
殺気と言うには弱いけど、少なくとも攻撃の意思はあった。
棒と棒が噛み合う。歯を噛み締め、瞬間的に棒に力を込めた直後、即座に受け流す。
目と鼻の先にベッテンコードが立っていて。
その体が旋回し。
横薙ぎ。
だがしかし予想と逆だ。
わずかな身の捻り、それだけの牽制につられた!
棒による防御は間に合わない。いや、振り下ろせば間に合うか。
必死の思いでベッテンコードの振りを上から撃ち落そうと棒を振る。
成功したかに見えた。
僕を打ち据える寸前の棒が消える。ベッテンコードはそこにいるのに。
何もない空間に棒を繰り出す僕のすぐそばで、ベッテンコードは無表情に、一度繰り出すと見せて腕をたたむことで引き戻した棒を、今度こそ繰り出してきた。
僕の姿勢は乱れている。
何せ全力で棒を振り下ろしたのだから。
地面を蹴りつけ、体を反らしながらそのまま地面に投げ出そうとしたのは、最後のあがきだった。
だけどそれさえもベッテンコードの予想のうちだったようだ。
的確に棒は僕の肩の辺りを打ち据え、強烈な衝撃に僕の足が地面を離れる。
転がり、跳ね起き、打たれた右肩に力が入らないのに気づく。
無意識に棒を握ろうとして、しかし雷が走ったような痛みが指先まで駆け抜けて、逆にとり落としかけた。
左手だけで棒を構える。
「あまり見え透いた罠に飛び込むな」
ゆっくりとベッテンコードがこちらに歩み寄ってくるが、そのゆったりとした歩調とは裏腹に、圧倒的な覇気が放射されている。
「剣術は速さ比べてもないし、力比べでもない。まず第一に隙を見よ。どんな剣士にも、必ず隙が生じる。隙を作れなどということを言うものもいるが、相手に隙を作る動きは大概、反対にこちらが隙を与えている。一流の剣士は、その隙を逃すことはない。わかるか?」
僕の頭の中では、その言葉が何故か、遠い過去からの言葉のように響く。
聞いたことがある。
その言葉が意味するものを、試行錯誤し、身につけてさえいるような気がする。
なのに、僕自身とは隔たりがある。
分かっていても、実際には形にならない。
歯がゆい。もどかしい。
だけどこれが現実なんだ。
ベッテンコードはもう僕を間合いに捉えている。
次が来る。
さっきまで息ができないほどだった、ベッテンコードがまとっていた強い気迫が、不意に無くなる。
これも前に教わったことだ。
一流の使い手は、気配を自在に操る。
攻める前に、今から攻めますよと告げるような気配は決して見せないものだ。
気配が消えることで攻撃を予期しても、それは予期でもなんでもない。
本当の予期とは、気配のない攻撃を読むことだ。
そうベッテンコードは僕に言い聞かせたこともある。
この発想もまた、僕の中にあったものを刺激する。
いつかの言葉、誰かの言葉。
知らない誰かの技と、僕の体ではない僕の体が習得した技。
右肩の痛みが少しずつ引いていく。
力は完全には戻らない。まだ使えない。
でももう攻撃が来る。
片腕で対処できる技を検索。何かがあったはずなのに、遥かに遠い。
老人の姿が消え、僕は本能のまま地を蹴っていた。
ただ打ち据えられるのを防ぐために。
本能のままに。
いずれにせよ打ち据えられるとしても。
(続く)