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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
154/155

3-15 島へ


      ◆


 客室でまとめた荷物を前に、アルカディオはじっとしていた。

「もう他の客は降りましたよ」

 アールがそう声を向けてくる。からかっているようでもあり、励ましているようでもあった。

「アルカディオ様」

 リコも言葉を向けてくる。サリースリーだけが自分の荷物を手にとって、しかし無言だった。

「きっと、クロエス殿がお待ちですよ」

 そうだね、と答えてアルカディオは自分の荷物を持ち上げた。

 アルカディオを先頭に四人で甲板に上がる。海の潮の匂いとかすかな土の匂い。

 船は桟橋についており、板が渡されている。

 桟橋に、ローブを着た人物が立っているのが、行き来する人々の中で浮き上がって見えた。

 胸が苦しくなる。

 ゆっくりと板を渡り、桟橋に降りた時には堪えられなかった。

 荷物を投げ出し、アルカディオは駆け出していた。

 相手は真っ直ぐに立って、待ち構えている。

 髪の毛が少し伸びている。でも、目元を覆う眼帯は変わらない。

 そして優しい微笑みも。

「先生!」

 クロエスの胸に飛び込んだアルカディオは、優しく包み込まれていた。

「おかえり、アルカディオ。よく頑張ったな」

 はい、と答える声は震えていた。

 しばらく二人はそのままでいた。

 夏の風が吹き渡っている。


       ◆


 アルカディオたちはクロエスの屋敷へ戻り、身支度を整えると、食堂に集まった。人造人間達が以前と変わらず料理を粛々と用意していた。

 クロエスも交えて、そこで一晩中、大陸であったことを話すことになった。

 魔物のこと、戦いの推移、人々の行動。

 もちろん、共に戦ったものの話題にもなった。二人の剣聖の話をした時、イダサという名前にクロエスが反応した。

「イダサ? その男は錬金術士だろう?」

「ええ、お知り合いなんですよね」

「なんでそう思う?」

 それが、とアルカディオは剣聖府の建物で会った、サリーダッシュの話をした。クロエスは短く相槌を打つ以外は、じっとそれを聞いていた。

 話が終わると、そうか、と彼はちょっとだけ斜め上を見るようなそぶりをした。

「昔の知り合いなんだ。一緒に研究をした。人造人間のね」

 昔、というのが何年前か、アルカディオにはわからないが、王都にいた時のことだろう。

「二人で、人間に近い人造人間を作ったんだ。名前を、サリー、とした。つまり、サリースリーの原型だね」

 その言葉にも、当のサリースリーは気にした様子もない。料理を食べる手を止めようとしない。片腕での食事にも慣れているようだ。

「サリーダッシュも、そうなのですね?」

「推測だが、前の剣聖、リフヌガード殿という方だったが、その方はイダサが僕と共同で研究したことを知っていたんだろう。で、僕がどこかに消えてしまったから、イダサを手元に置いたのかもね。もちろん、サリーに関する情報も集めていて、独自に発展させた。それがサリーダッシュと名付けられた、サリー型人造人間の一つの改良版なんだろう」

 ややこしいことですな、とアールが横槍を入れると、研究者にもいろいろある、とクロエスは笑っている。

「情報を広く共有する研究者もいれば、決して外部に情報を漏らさない研究者もいる」

 話はそれから別のところへ向かい、ルーカスのことに触れるときがきた。

 ルーカスの戦死はまだアルカディオたちには重い事実だった。今も彼の遺体が闇の峰のそばに置き去りにされているだろうことを思うと、胸の奥に形容しがたいものが生まれる。

 クロエスは頷いただけで、ただわずかに顔を伏せた。それだけでも悼んでいるのはわかる。

 悼むことしかできない、ということには辛いものがあるだろうと、アルカディオは考えた。誰もがどこかで辛いものを感じ、重いものを背負う。

 日が昇る前に一度、解散になり、それぞれの部屋に戻った。

 アルカディオが入った部屋は、四角形の館の角にある塔、その上にある部屋だった。

 カル・カラ島を出た時と何も変わっていない。寝台は整えられているし、掃除もされている。人造人間がそうしたのだろう。

 ただただ、懐かしかった。

 寝台に横になり、浅い眠りがやってきた時、不意にベッテンコードの気配がした気がした。

 跳ね起きるが、室内には朝日が差し込んでいるだけ。誰もいない。

 足が自然と床に降り、部屋を出ていた。

 別の塔の上にある部屋に入る。鍵がかけられているのでは、と思ったが、開いていた。

 中はやはり、以前の通りだった。ベッテンコードが生活したままだ。しかし生活感は明らかに失われていた。まるでベッテンコードの部屋を再現した部屋みたいだとアルカディオは思った。

 次に向かったのは屋敷の裏手だった。ベッテンコードとひたすら稽古をした場所。

 やはり誰もいない。朝の強い光が全てを照らし、朝露がキラキラと瞬いている。

 じっとそこに立ってから、アルカディオは館の裏手の山を見た。アルスライードはどうしているだろう。

「眠っているそうだ」

 不意な声に振り返ると、扉の脇にサリースリーが立っていた。

「会いに行ったの?」

「いいや。ただ、直感でわかる。いつ目覚めるかもわからんな」

 そう、と頷いたアルカディオにサリースリーが強烈な視線を向けてきた。

「ここを出て行くつもりだな」

 図星だったこともあり、アルカディオは苦笑いしてしまった。

「そう、ちょっと行ってみたいところがある」

「そうか。いつ、出て行くつもりだ?」

 聞き分けがいいじゃないか、と思いながら、アルカディオは「あと何日かしたら」と答えた。クロエスの他にも会いたい人がいるのだ。

「好きにせよ」

 サリースリーの簡潔な言葉に、アルカディオは確認する気になった。

「サリースリーは来ないんだね?」

「ああ、私はここにいるよ。お前のそばには三人も必要ではあるまい」

「どうして来ないの?」

 個人的な意思だよ、と笑ってサリースリーは館の中へ入っていった。

 アルカディオも館に戻り、風呂に入る気になった。風呂にいくと無人だったが湯が用意されている。実に贅沢な館だな、と思わずにはいられなかった。

 長く風呂に入り、上がったところで人造人間が呼びに来た。そうして昼前に全員が揃い、遅い昼食になる。アールが軽口を飛ばし、リコがたしなめ、クロエスは笑っている。

 まるで時間が巻き戻ったような気がしたが、時間は確かに流れているはずだ。アルカディオは自分に言い聞かせた。

 食事の後、アルカディオは一人で館を出た。山の中の道を下っていき、記憶を頼りに道を進む。

 すると不意に、海が見えた。さらに進むと浜が見えて、漁師たちが過ごす小屋が並んでいるのも見えた。小舟が浜辺へ上げられている。何もかもが以前の通りだった。

 アルカディオは意を決して、一軒の小屋の戸を叩いた。短い声が聞こえる。

「アルカディオです。ウドさん、よろしいですか」

 返事はないが足音がして、戸が軋みながら開いた。

 老人が立っていた。よく日焼けしていて、シワが目立つ。鋭い目つきがアルカディオを見る。

「何の用だ」

 そっけない老人の言葉に、アルカディオ自身、自分の目的を頭の中で再確認してしまった。

「えっと、少し話をしたくて」

「何の話だ」

 取りつく島もない。漁師は朝が早いから早めに寝るだろうけど、まだそれにしても早すぎるから、眠りたいわけではないだろう。

 そういえばこんな人だったな、と思い出しながら、アルカディオは話題を切り出した。

「ちょっと、異国に行こうかなと思いまして、その、挨拶に」

「行けばよかろう」

 うーん、と思わずアルカディオは声を漏らしていた。

「僕にもいろいろありまして、勝手に異国に行っていいものかと、悩んでいるのです」

「この老人に悩みが解決できるわけもない」

 その通りなのだけど……。

「言えることは」

 ウドの方から声を向けてくれたので、アルカディオは顔を上げて彼を見た。

 老人はしかし、海の方を見ていた。

「人間は自由だ、ということだ。何かに束縛される時でさえ、自由を意識しているのに等しい。お前の悩みは、お前が本質的に自由だからこそ、あるのだよ」

 ぽかんとしてしまったアルカディオに「まだ話はあるか」と催促の声が飛び、いえ、とアルカディオは一歩下がっていた。自然と頭を下げることができた。

「ありがとうございました」

「何もしておらん」

「また挨拶に伺います」

 いらん、とは言わずにウドが頷いたことで、アルカディオはホッとした。

 この日、市場の様子を見てから館へ戻った時にはすでに夕方で、夕食が用意されていた。

 アルカディオはその食事の場で、汗国に行ってみたい、という旨のことを口にした。

 アールは「誰も止めませんよ」と言い、「よろしいかと」とリコが続ける。サリースリーは無言。

 クロエスは、いいね、と笑っていた。



(続く)

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