3-14 姉妹
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海を南へ航行する船は夏の日差しのただ中にいた。
アルカディオは甲板で、じっと水平線を眺めている。見渡す限り、海がどこまでも続いている。
すぐそばでは上半身裸のアールが日向に無造作に仰向けで寝転がり、楽しそうにしている。何が楽しいのかはアルカディオには分からない。リコの姿もあった。彼女は同じ船の乗客とボードゲームで遊んでいた。そちらはもちろん、日陰である。
アルカディオのすぐそばにサリースリーが立っている。半袖を着ているので、失われた腕の断面がわずかに覗いている。
彼女の表情は最近、少しずつ柔らかくなっている。アルカディオはその理由を、剣聖府での出来事ではないかと思っていた。
王都を発つ前、ハイネベルグ侯爵がアルカディオ、アールリコ、サリースリーを剣聖府へ案内してくれた。と言っても、建物の中は閑散としていた。活気があるのは事務室で、つまり、剣聖騎士団が未だに東部に布陣しているがために生じる後方での仕事が多くあるのだった。
彼らはアルカディオには大して注意を払わず、むしろハイネベルグ侯爵に苦情をぶつけるほどで、つまり、ここもまた一つの戦場だったのだとアルカディオは理解した。
連れて行かれた先は、緑の隊の実験室、とハイネベルグ侯爵は説明した。イダサの領域に踏み込むことに躊躇いがあったが、ハイネベルグ侯爵は堂々としている。
部屋に入ると、戦場に出なかった緑の隊の少年が出迎えた。彼に侯爵はなんでもないように言った。
「サリーダッシュは元気かな」
サリーダッシュ?
アルカディオが首を傾げる前で、緑の隊の少年が奥へ引っ込み、そして少女を伴ってやってきた。
アルカディオ、サリースリーが絶句する前で、少女も目を丸くしていた。
少女は、サリースリーと瓜二つだった。驚いた顔はまさに同じに見える。
「彼女はサリーダッシュという」ハイネベルグ侯爵が笑い混じりに言った。「イダサの前の剣聖が作った人造人間だ。まぁ、基礎設計は別のものの成果だがね」
その、別のもの、がクロエスのことだとアルカディオには確信が持てた。サリースリーも気づいただろう。
「つまり、姉妹ということになるな」
「親戚、が妥当だろうよ」
サリースリーが訂正した頃には、サリーダッシュは不安そうな顔に変わっている。二人は同じ顔をしているが、そこに含まれる感情はやはり別人である。それだけのことで、二人がそれぞれに唯一無二だと理解できるのは、アルカディオには新鮮だった。
アルカディオは視線を合わせるように膝を折り、サリーダッシュを見た。彼女は怯えているようだ。きっと、それほど多くの人と接した経験がないのだろう。
「サリーダッシュさん。あなたのお父さんが、僕の、その、お父さんです」
「リフヌガード様ですか」
サリーダッシュが口にした名前を、アルカディオはどこかで聞いたことがあった。前の生死剣の使い手である剣聖だ。
「いいえ、リフヌガード様ではなく、あなたを、その……」
言葉がなかった。
生み出した、という表現でさえも残酷に思えた。
リフヌガードを父と思っている人造人間は、哀れかもしれないが、哀れむことは侮辱だろう。
「いいえ、何でもありません。クロエス、という名前の方をご存知ですか」
やはりサリーダッシュは不思議そうな顔をした。
「知りません。どなたですか?」
「いえ、知らなくてもいいことです。でも、あなたのことをよく知っている方です」
理解が追いつかないという顔のサリーダッシュにアルカディオは笑いかけた。
クロエスが王都にいた頃、人造人間の研究をしていたことをアルカディオは聞いていた。サリースリーはその集大成だと思っていたが、こうして王都でサリーダッシュという存在と接してみれば、クロエスの進んだ道からさらに先へ進んだものがいたのだとわかる。
サリーという同じ名を与えられる、姉妹たち。
少しだけサリーダッシュと話をしたが、彼女は終始、落ち着かない様子だった。
別れの挨拶をして部屋を出る時も、サリーダッシュはまだ困惑していた。自分とそっくりの存在が現れたのだから、変な夢でも見ているのか、という心地だったかもしれない。
剣聖府の廊下を歩きながら、ハイネベルグ侯爵は言ったものだ。
「クロエスという男の才能は是非、手元に欲しいものだ。錬金術士どもが賞金をかけているそうだが、なんとかできるだろう」
一方的な言葉だし、アルカディオとしても「伝えておきます」としか言えない。
クロエスは何があってもカル・カラ島から出ないだろうな、という確信がアルカディオにはあった。でもそれは、ハイネベルグ公爵には伝えなかった。伝えてしまえば、今度は島から離れさせるために方策を練るだろう。そういう人物だとわかってきていた。
そのハイネベルグ侯爵自身が、王都を出るアルカディオたちを最後まで見送ったのは、戻って来い、と言っているようなものだった。何せその場所が王都でなく、王都のそばの宿場だったのだ。ハイネベルグ侯爵は地味で、しかしよく見れば高級品だがパッと見ただけではそうとわからない服装だった。
「剣術師範も悪くあるまい。それにまた、どこかで聖剣が見つかるかもしれない」
食堂で卓の向こう側にいる老人は闊達に言う。アルカディオは思わず苦笑いしてしまった。
「その聖剣を僕が抜けるとは限りません」
「だとしても、その新しい剣聖に剣術を教えることはできる」
まったく、ああ言えばこう言う、を地で行く人だ、とアルカディオは呆れてしまった。
もっともその老人は本来なら重要人物であることもあり、王都を離れられないらしく最後は意外にあっさりと去って行った。
最後に「カテリーナが訓練を始めたよ」と衝撃的な言葉を残したが。
ルーカスが命がけで守った従騎士は、生き延びたのだ。
今はいない、カル・カラ島まで自分を探しに来た剣士のことを少し思い出したが、あまり考えないようにした。悲しみは癒えてはいなかった。
そうして旅が始まり、南部の港町から船に乗るのだが、街は賑わっていた。なんでも魔物の騒動で南部は極端に人が増え、さらに避難民が東へ戻ろうとすることもあり、人が自然と集まっているらしい。
アールが町の噂として、魔物はすべて塵に帰り、危険は去った、と言われているという情報を持ってきた。
「事実なんでしょうが、俺たちの苦労はなんだったのやら」
そんな感想のアールに、リコも微笑んでいた。
世界の危機を救った、といえば立派なことにも思えるが、アルカディオにとっては必死に戦っただけで、つまり自分が生き延びるのに終始したようなものだ。
それに多くの犠牲を出した。そのことも、忘れることはできない。
いつか、弔う方法を考えようとアルカディオは喧騒に包まれた旅籠で真剣に思った。
そこからカル・カラ島へ向かう船が来るのを待ち、やっと船に乗った時には夏の盛りになっていたのである。
船の甲板を熱い風が吹き抜けていく。アルカディオとサリースリーの長い髪が揺れた。
「アルスライードは」
不意にサリースリーが言葉を口にしたので、アルカディオは視線を水平線から隣の少女に向けた。
「私とは違う考えを持つだろうと思う」
首を傾げると、別の存在ということだ、とサリースリーが続ける。
「私はアルスライードのもう一つの体だったはずだが、経験を重ねることで、私は私になった。カル・カラ島で、アルスライードは私が自分ではなくなったことに気づくだろうな。さて、私はどうしたらいいのやら」
「どうするって、普通にすればいいんじゃないかな」
素直に言葉を向けるアルカディオに、お前は呑気だな、とサリースリーは笑っている。
「人造人間を逸脱した人造人間で、ついでに龍の力を持つものの普通とはなんだ?」
「人間と同じ生活をすればいいんじゃない?」
「人間はさぞ、私を恐れるだろうな」
恐れているのは、サリースリーも同じだろうとアルカディオは思った。
お互いがお互いを恐れるのは、自然なことのはずだった。人間同士だって、最初はお互いを警戒し、探るものだ。つまり、恐れはいずれ自然と消えるのだ。そのことをサリースリーもいつかは知るのだろうとアルカディオは思ったので、言葉を返さないでおいた。
それから数日後、水平線に何かが見え始め、それは島の形になった。
乗船しているものたちが甲板に並び、言葉を交わしている。
カル・カラ島が、ついにそこまで来た。
アルカディオはじっとその影を見据えていた。
(続く)




