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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
152/155

3-12 謁見

        ◆


 巌玉宮に入るのはもちろん、アルカディオには初めての経験だった。

 これほど巨大な建物が実在するのか、と思った次には屋内に入って、今度は自分がどこにいるのかわからないことに呆気に取られた。カル・カラ島のクロエスの屋敷も大きかったが、まるで比較できなほど巌玉宮は巨大だ。

 ハイネベルグ侯爵は途中で立派な服装の男性にアルカディオたちを委ね、去ってしまった。アルカディオはリコとアール、サリースリーがいるからと少し安堵していたが、すぐに三人も別室に入ってしまい、アルカディオは所属も名前も不明の男性と二人きりになった。

 長い廊下を抜けていくうちに、どういう部屋かわからない場所に通された。

 中に女性が二人控えており、「お支度をさせていただきます」としずしずと頭を下げながら言った。

 支度、という言葉でアルカディオは自分の服装を見た。

 野戦陣地を出る時、ファルスが用意してくれた服装を身につけたが、それはここまで案内した男性のそれより地味で、つまり実用品だった。

 会うべき人物に相応しい格好をせよ、ということらしかった。

 よろしくお願いします、とアルカディオが頷いて上着を脱ごうとすると、女性たちが手を出して服を脱がせ始める。さすがに慌てたが、女性陣が全く動揺せず、また淡々と手を動かすので、言葉を発することができなかった。

 結局、下着も含めて全部、身につけていたものは別のものになった。

 女性たちはアルカディオの肌にある無数の傷跡に気付いた時だけ手を止めたけれど、他は全く淀みなかった。

 こうして正装というより、礼装に着替えたアルカディオは廊下に控えていた例の男性に導かれ、さらに奥へと進んだ。

 大きな扉が見えてきて、左右に二人ずつ、飾りが多い服装を身につけた兵士が立っている。兵士とわかるのは姿勢が如実に稽古をうかがわせるからだが、武器は実用品ではなさそうだ。近衛兵だろうと見当はつくが、あの腰にある装飾過多な剣でどれだけ戦えるのだろう、とアルカディオは想像した。

 不意に、ここまでアルカディオを連れてきた男が一礼して数歩下がった。

 扉を前にどうすればいいのか、と思ったところで、扉が奥に開き始めた。どういう合図があったか、扉の向こうにいる誰かが大きな戸を開けている。

 完全に扉が開いたところで、室内にいた男性、こちらは若い男性が、身振りでアルカディオを促した。

 声を発する空気ではない。足音さえも殺すようにして、アルカディオは先へ進んだ。

 真っ白い絨毯が敷かれている中に赤い帯のようにやや毛足の長い絨毯がまっすぐに伸びている。

 広い空間だが、人の数は少ない。左右にそれぞれ二十名ほどが並んでいるのが見て取れるが、それよりも、彼ら全員が礼装なのが気になった。そして、もしかしてアルカディオを出迎えるためだけに彼らはここにいるのかも、という想像もアルカディオを不安にさせる。

 いつにない緊張と重圧の中でアルカディオはさらに進み、先に立つ男性が、ここで、というような身振りをしたので、足を止めた。男性はやはり一礼して、下がっていく。

 誰も一言も声を発さず、誰も身じろぎひとつしない。

 不意にどこからか、甲高い声が響いた。

 国王陛下の御なり。そういったようだ。

 一斉に左右に控える人々が拝礼したので、アルカディオも同じ姿勢をとった。

 かすかなきぬ擦れの後、聞いたことのない音がした。銅鑼の音、だろうか。

「楽にせよ」

 反響する音に続いたのは小さな声だったが、同時に全員が姿勢を戻した。

 アルカディオも姿勢を戻し、やっと前方に現れたものに気付いた。

 御簾だ。御簾の左右にそれを支えるものが二人いる。実に変なやり方だな、と思ったが、誰も疑問は持っていないらしい。その御簾の向こうにうっすらと誰かがいるのが見える。椅子に座っている。いつ、椅子を用意したのだろう。

 御簾の奥から、声が投げかけられた。

「アルカディオ。復活した魔剣を破壊したと聞いている。大儀であった」

「はっ」

 そう答えてから、言葉が足りないかと思い直した。

「恐悦至極です、いえ、ございます」

 空気に鋭いものが混ざる。同席しているものの一部が、アルカディオの場違いな態度に苛立っているようだ。

 それから御簾の向こうからは、いくつかの質問があった。年齢は、出身地は、というような質問だ。

 そして、答えづらい質問が来た。

「師は誰か」

 ここまでの質問、どれも調べればわかることだった。だから御簾の向こうにいる人物は、全てを知っているはずだ。

 ベッテンコードが師であることも。

 アルカディオは急にバカバカしくなり、開き直って堂々と答えた。

「ベッテンコード様です」

 短いが、ひときわ大きいざわめきが起きた。

 それでも言葉は誰も発さない。

「わかった。アルカディオ、聖剣を失ったとのことだが、間違いないか」

 その御簾からの声で、再び場が静まり返った。誰もが息を詰めていた。

「間違いございません。破砕剣は失われました」

 ふむ、と短い声があった。

「では、剣聖という表現は適切ではあるまい。アルカディオ、剣術師範としてこの国に仕える気はあるか」

 剣術師範?

「考えておいてくれ、アルカディオ。失うには惜しい、と口にするものが多い」

 失うには惜しい、か。

「陛下」

 アルカディオはいつの間にか緊張を感じなくなっていた。

「一度、帰りたいところがございます」

 どこか、という問いかけはなかった。アルカディオは一方的に口にした。

「カル・カラ島へ戻り、自分の身の処し方を、吟味したいと存じます」

 静かだった。

 やはり誰も何も口にしない。

「好きにせよ」

 御簾の向こうから、先ほどよりはどこか人間らしい、柔らかい声が向かってきた。

 アルカディオは深く頭を下げた。

 衣擦れの音がして、一斉に周囲にいるものが再び拝礼した。慌ててアルカディオもこうべを垂れる。

 音が途絶えると、唐突に周囲で人の声があふれた。二十名なりが急に喋り始めたのだ。彼ら同士で何か言い合いながら、一斉に扉の方へ向かっていく。

 呆気にとられたアルカディオに声を向けるものは、しかし一人もいなかった。

 最後まで残っていると、扉の方からここへ連れてきた若い男性が足早に近づいてくる。

「アルカディオ様、お連れの皆様がお待ちです」

 ああ、アールとリコのことか。すっかり忘れていたアルカディオだった。

 それにしても、自分はどういう立場になったのだろう。

「あの、すみませんが」

 先ほどよりも緊張している自分に気づきながら、訊ねてみた。

「僕はもう自由ということですか。陛下は、どのようなお考えなのでしょうか」

 あまりに素朴な言葉だったからか、男性が少し微笑んだ。

「陛下は好きにせよと仰せになったと聞いております。アルカディオ様は自由ということかと」

「聞いていたのですね。では、剣術師範とはなんですか? 聞いたことがないのですが……」

 男性は軽く頷いた。

「アルカディオ様を手放したくない、ということではないかと。ハイネベルグ侯爵がそのようなことを提案された、とすでに噂になっております」

 あの老侯爵がアルカディオの身分をとりあえずは用意してくれた、ということのようだ。

 カル・カラ島へ帰りたい、と口にしたのはアルカディオの紛れもない本心だった。そのことをハイネベルグ侯爵はどう解釈するだろう。いずれ王都へ戻る、と考えているのか。いや、そうだろうから先に剣術師範という立場を捻り出したとアルカディオには思える。

 参ったなぁ、と思わず声を漏らすアルカディオに男性は優しい微笑みを返し、こちらへ、と手で示した。そう、まだこれから礼装を返さないといけない。それにどこかに申告しなくては、カル・カラ島へ戻ることもできないだろう。

 礼装を解いてもらい、別室で待機していた三人と顔を合わせた時には、室内には外からの夕日が差し込んでいた。アールなどは「王城に宿泊とは夢がありますな」などと楽しそうに話していたが、アルカディオはもちろん、リコも落ち着かない様子だった。

 誰かがアールの発言を聞いていたわけでもないだろうが、本当にこの日は王城の中に部屋が用意され、泊まることになってしまった。一人一部屋である。しかも世話係が一人に一人、ついていたようだ。

 翌日、ハイネベルグ侯爵と話し合う機会があった。侯爵はアルカディオの御前での発言を知っていたはずだが、不愉快でもないようで「いつ、帰るのかね」と言葉を向けてきた。カル・カラ島へ、ということだ。

「ま、いつでもよかろうよ。路銀は都合する。日取りは好きに決めてくれていい」

 そう言ってから、ハイネベルグ侯爵は同席していたサリースリーに不意に視線を向けた。

 それから何か意味ありげな視線で、アルカディオを見た。

「少し、剣聖府に寄れるかな」

「剣聖府、剣司館のことですか?」

 うん、と侯爵は気軽に頷く。

「会って欲しいものがいるのだ。四人で構わないよ」

 どういうことだろう、と思ったが、どことなく聞ける雰囲気ではない。

「では、そのようにいたします」

 悪いな、とハイネベルグ侯爵は笑っている。さっきまでのどことなく後ろめたそうな気配は、綺麗になくなっていた。

剣聖府に誰がいるのだろう?



(続く)

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