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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
147/155

3-7 明暗


     ◆


 カテリーナは全身が焼かれるような激痛に耐えていた。

 王都で最後に剣聖シンと会った時、彼は気軽に言ったものだ。

「きみを最強の兵士にできる。しかしきみは死ぬ。どうする」

 感情を抑え込むのに慣れきっていたカテリーナは、よろしくお願いします、と普段通りに答えた。それに対して、普段は人を食ったような表情や言葉が多い剣聖が、小さく「惜しいなぁ」と呟くのが聞こえた。

 それだけでカテリーナは満足だった。

 白の隊に入ることになり、やがては従騎士として指揮官を任された。

 部下には徹底的にこだわった。

 どんなに過酷な任務であろうと、淡々とこなす人間。走れと言われたら一日でも三日でも、一週間でも、いいと言われるまで走り続ける人間。死ねと言われれば死ぬ人間。そんな人間が集まって、今の白の隊ができた。

 王者の道と呼ばれるらしい洞窟で道案内を失った時、カテリーナはこれが最後の役目だと思った。白の隊の一人でもいいから出口を見つければ、それで問題ない。白の隊が壊滅しようと、構わなかった。

 カテリーナ自身も死ぬつもりだった。しかし生きて、洞窟を出た。

 剣聖の言っていた時は今なのだと、やっとわかった。

 位相剣の使い手であるシンは、時を超越する。彼は過去の全てを知り、未来の全てを知るという。きっと、カテリーナが死ぬ場面も知っているのだろう。だから最強の兵士云々などと言ったのだ。

 カテリーナは一人で魔人と向き合った。

 そうなっても恐怖は感じなかった。

 周囲の全てがゆっくり動くようになっても、動揺しなかった。

 自分だけが普通に動き、魔人を攻め立てても、高まることはなかった。

 起こるべきことが起こる。

 観測されたことをなぞっていく。

 いつの間にか激しい痛みが全身に走り始め、それを無視するのには集中力が必要だった。

 ベッテンコードという剣聖は、心気なるものを重視したという。魔法のようなものらしいが、カテリーナとは無縁だった。

 カテリーナは、ただ粘り強いだけの、普通の女だった。

 飛び抜けた剣の才はなく、魔法の才もない。錬金術も修めていない。

 ただの人間が今、魔人と、聖剣の力を借りて渡り合っている。

 魔人の背後を取った時、彼女は初めて勝利を思い描いた。

 自分は死なないのではないか。剣聖は嘘を口にしたのではないか。自分を励ますために。思いきり戦えるように。

 短剣を繰り出す。

 地面を踏みしめた左足が滑った気がした。 

 次にこれまでにない激痛が全身を硬直させた。

 足首が砕けた。

 冷静に思いながら、魔人の振り向きざまの一撃を避ける。

 剣聖シンの力による強大な負荷が、カテリーナ自身の肉体を破壊しつつある。

 それでもカテリーナは止まらなかった。

 自分は死ぬのだな、ということだけがわかった。

 二本の短剣のうちの一つで、魔人の剣を受け止めた。短剣を握る手の手首が破裂したような感触があったが、もちろん、繋がっている。だが握力は失われていた。

 片手を犠牲に、魔人の剣を止めた。

 もう一方の手の短剣が走る。

 首筋へ。

 執念のなせる技だろう、魔人が腕を割り込ませた。

 カテリーナの短剣がその腕に食い込み、反動に限界を超えたカテリーナの腕のそこここで骨折が起き、筋が切れていく。

 それでも短剣は魔人の片腕を切り飛ばした。

 誰かが遠くで何か、叫んでいる。

 シンの声だろうか。

 まさか。

 彼は王都の地下墓所のさらに地下に今もいるはずだ。

 魔人が片腕で剣を振り回すのを、避けようとした。しかし両膝が同時に砕ける。

 体が崩れて、防御ができないところへ、魔人の刃が迫ってくるのがゆっくりと見えた。

 そして誰かが割り込んできて。

 カテリーナは本来の時を取り戻し、地面に体が投げ出された。

 衝撃で息がつまり、顔に何かが降りかかった。

 暖かく、粘り気のある液体。

 目の前には大きな背中があり、その中央に剣の切っ先が見える。

 カテリーナは言葉がなかった。

 目の前にいる男は、咆哮を上げながら剣を振るい、魔人の残されていた腕を切り飛ばした。

 よろめき、彼がカテリーナのすぐそばに倒れこむ。

「なぜ……」

 思わずカテリーナが声を漏らす横で、ウラッススという名前の男が魔人に最後の一撃を加えていた。魔人の首が飛ぶのを見てから、カテリーナをかばった男が彼女に視線を向けた。

 その顔は既に死人のそれになっている。

「何故です、ルーカス殿」

 掠れた声しかカテリーナには出せなかった。

 何か、ルーカスが答えた。だが、大量の血と一緒に発せられた声は濁って聞こえない。

 役目です、と言ったようでもあり、定めです、と言ったようでもあった。

 上体を起こそうとしたルーカスが力尽きてゆっくりと倒れこむのを、カテリーナは受け止めることもできなかった。

 周囲で人の声が交錯する。カテリーナは意識が薄れていく中で、ルーカスを見ていた。

 死ぬのは自分一人だけでよかったはずだ。

 何故、私などを助けたのですか?

 言葉を発することもできず、カテリーナは深い闇の中に落ち、ゆっくり、ゆっくりと沈んでいった。

 全ての喧騒が遠く。

 全ての熱は失われ。

 全ての感触が溶けていった。


      ◆


 カスミーユはその決着を見ているしかできなかった。

 カテリーナが人間のそれではない動きを見せたのは、おそらくここにはいない剣聖、シンが持つ位相剣の力だっただろう。

 魔人の超人的な剣術と、カテリーナの超人的な機動力の勝負だった。

 カテリーナはどうやら自身の運動に耐えきれず、肉体が自壊したように見えた。

 それでも魔人の腕を飛ばすところまでは持って行った。

 もしカスミーユが万全なら、援護できただろう。しかしそれができなかった。後悔しても、それは手遅れで、無意味だった。

 カテリーナが死ぬ、という時、カスミーユの目の間で起きたことは、奇跡にさえ思える。

 動けないはずのルーカスが動き、カテリーナと魔人の間に割って入った。

 そして魔人の剣をその身に受けながら、逆にその腕を落とした。

 両腕を失った魔人を倒したのは黒の隊のもののようだが、よくわからない。それよりもルーカスも、カテリーナも倒れたまま動かない。魔人が倒れたのを確認し、カスミーユは重い体を仲間に支えられながら、二人の元へ向かった。

 魔人にとどめを刺した男が、ルーカスを揺すっている。しかしルーカスの体は脱力している。

 カスミーユがその場に着くと、男は泣きじゃくっており、ルーカスはうっすらと目を開いたままで、そこに横になっていた。瞳から光が失われている。

 すぐそばにカテリーナが倒れている。両手も両足も、おかしな方向に折れ曲がっている。想像を絶する痛みだっただろうが、よく耐えられたものだ。

 泣いている男の名前を思い出した。ウラッススだ。

「ウラッスス、部下をまとめろ」

 男が顔を上げ、涙も拭わずに答える。

「ここにる三名です」

 確かにウラッススの周りに同じ具足の三人がいる。

 ついに黒の隊も残り三名か。赤の隊は十名を超えるが、万全のものは一人もいない。

「先へ進むぞ、ウラッスス。アルカディオ殿が心配だ」

 カスミーユの言葉に、ウラッススの赤くなった瞳に強い光が宿る。非難するような、責めるような色だ。ルーカスをここへ置いていくのか、と言いたいのだろう。

 答える気にはなれなかった。

 もう数え切れないほどの仲間を打ち捨ててきたのだ。

 彼らの思いだけを忘れなければいい。

「行くぞ」

 もう一度、カスミーユが繰り返すと、ウラッススが素早く手を伸ばし、ルーカスの目元を撫ぜて目を閉じさせた。

 カスミーユは部下にカテリーナの様子を確認させた。どうやら生きているらしいが、脈は弱いという。専門家の意見ではないが、生き延びるかもしれない。

 結局、部下を三名つけて、カテリーナをなんとか後方へ輸送するように指示した。王者の道の出口付近にファルスが指揮する部隊が今もいるはずで、そこには緑の隊、それに剣聖イダサがいる。瀕死の女を押し付けられても、嫌な顔はすまい。

 すっくとウラッススが立ち上がった。カスミーユは部下から差し出された水筒から水を飲み、それをウラッススに投げてやった。ウラッススも水を飲み、部下へ回していく。

 周囲は燃える岩ばかりだ。ともすると感じなくなるが、真夏に匹敵する空気の温度である。汗が溢れるが、戦いの間は汗など、気にしている余裕はない。

 行こう、とカスミーユは改めて口にした。

 十名で先へ進む。

 周囲の溶岩から、魔物が次々と生まれてくる。

 彼らは力を振り絞り、少しずつ少しずつ、前進していった。




(続く)

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