3-5 剣聖を倒した剣聖
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ソダリア王国における剣聖の一人は、天地剣の使い手である。
カスミーユがその剣を手にするに至る経緯に、隠されている事実がある。
剣聖との立ち合いにより、剣聖を倒したことで剣聖になった少女。
あまりのことに誰も口にしようとしない、もはや事実かどうかもすでにあやふやな事実。
何故、天地剣の使い手が敗れたのか。天地剣の使い手というのは、間違いなく最高位、最強の魔法使いである。それがただの少女に敗北するわけがない。誰も剣聖の敗北を信じることができず、作り話であるという言説も一時は飛び交った。
ともかく、カスミーユという女性は二十歳にならずにいきなり、天地剣の使い手となった。
彼女自身も語ることはない。
赤の隊のものでさえも、詳細は知らない。
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カスミーユは自分の体に満ちる力に満足していた。
まったく、天地剣というのは便利なものだが、面倒でもある。
誰にも話さなかったが、カスミーユにとって天地剣とは力を高めるものではなく、力を抑え込む道具なのだ。
些細な力の解放を天地剣で増幅することはある。
それ以上に力の暴走を防ぐことに天地剣を使うことが多い。
しかし今はもう、その必要はない。
「お前は」
魔人が初めて口を聞いた。だいぶ怯えているようで、カスミーユにはやや不憫だった。
自分が相手にしているのがちょっとは使えるだけの人間だったはずなのに、化け物だとわかってしまうとは、全く不憫だ。同情してしまう。
「お前は、なんだ?」
魔人の言葉に、カスミーユは肩をすくめた。
「人間を逸脱した人間だろうね」
さっと手を振ると、真っ白い雷光が魔人に襲いかかる。
人間を超越する魔法破壊の力によって雷光がより一層、激しく瞬き、そして、防御を突破する。
魔人の剣が打ち振るわれ、雷光を四散させるが、魔人の両手からは煙が上がっている。
完全には防ぐことができていない。
信じられない、という顔から、憤怒の表情に変化した魔人は、大きく剣を振りかぶった。剣がひび割れ、その内側から光が漏れる。魔力の密度が高まりすぎて、剣が存在を維持できなくなっている。
最大の攻撃が来るのはわかる。
カスミーユはそれを正面から迎え撃つことに決めた。
勝てるだろう。
もし勝てなければ、誰もこの魔人には勝てない。
手をまっすぐに前に伸ばし、魔人に人差し指を突きつける。
魔人が裂帛の気合いとともに剣を振り下ろす。
カスミーユには世界が二つに分断されていくのがはっきりと見て取れた。
天が裂け、空間は断裂し、今、その力がカスミーユに一直線に向かってくる。
フッと彼女は息を吐いた。
指先で、見えない絶対の刃を受け止める。
音を立てて爪が割れる。
それだけのこと。
両者は完全に拮抗した。
魔物は必死の形相で剣を押し込もうとするが、刃がどうしても人間の細い指を折ることができない。
カスミーユは涼しい表情で、ただ自分の指先に全てを集中させていた。
全てを放出することに、躊躇いはない。
ここで自分が倒れれば、仲間が死ぬ。
剣聖になったのだ、とカスミーユはこの時、初めて実感した。
ただの暴力装置ではなく、誰かを救う存在でもいられる。
あの先代の剣聖の怯えた顔。
同席したものたちの慄く顔。
それらとはまるで違う顔が、背後にはある。
カスミーユの力を求めている。
カスミーユのために願い、祈っている。
なら、勝たなければ。
指先に小さな切り傷ができる。血が場違いなほどゆっくりと雫を作り、滴り落ちる。
その血が、燃え上がる。
カスミーユは目を閉じた。
口から息が漏れた。
圧力が不意に消える。
魔人が目を見開き、よろめき、剣を取り落とした。剣はあまりの過負荷に耐えきれず、地面に触れた瞬間に粉々に砕け散る。
魔人は自分の胸に手を当てている。
穴が空いていた。カスミーユからは魔人の向こうがそこから見えた。
「こんなものか」
言いながら、カスミーユはまっすぐに伸ばしていた腕を下げ、改めて人差し指を見た。切り傷からは血が流れている。
どっと疲れが押し寄せてきた。膝をつきそうになるのをこらえている彼女の前で、絶命した魔人が倒れこむ。体はすぐに塵へと変わり、少しずつ風にさらわれていった。
聖剣は、とカスミーユは視線を巡らせ、すぐそばの地面につきたっているのが目に見えた。聖剣はその手で触れていなくても剣聖に影響する。本来のカスミーユの力への呪縛が強くなり、それが一層、彼女の意識を曖昧にさせている。
不愉快な武器だ。
さっきまでも高揚など忘れて、カスミーユは聖剣に歩み寄り、掴んだ。
そうしてから彼女は膝をつき、駆け寄ってきた仲間たちに囲まれた。
「私はいい。向こうはどうなった」
目が霞む中で、カスミーユはもう一方の戦場を見た。
その時、ルーカスが魔人の剣を受けて倒れるのが目に映った。
(続く)




