3-3 闇に閉ざされた迷宮
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洞窟の中は完全な闇だった。
先頭を赤の隊の二人が歩き、その後ろにスクナ翁ともう一人、さらにファルスがつき、その後ろにアルカディオたちだった。その後ろがルーカスたち黒の隊で、魔物が洞窟に入ってくるのを警戒して、最後尾はカスミーユの率いる赤の隊だった。
攻撃隊から多くの犠牲者を出し、すでに一〇〇名を割っているようだった。もしジューラが駆けつけなければ全滅を覚悟する必要があっただろう。ルーカスの部下からも脱落者が多く出ている。ウラッススは健在だが、すでに指揮するというほどの人数ではない。十人隊が二つだった。
ルーカスとしてはアルカディオを守るのが第一だが、その次には緑の隊を守る必要がある。緑の隊が健在なら、負傷者の治療により戦いを継続する望みが残る。それにアルカディオを助けられるのも、おそらく黒の隊だろう。
本当に死ぬまで戦い続ける。それがルーカスから見える黒の隊だった。
イダサも最後まで譲らないつもりだろう。今も部下に負傷者を背負わせたまま、移動しながら治療を続けている。
アルカディオは死なない、もしくは死にづらいとルーカスも聞いている。緑の隊も同様だと、実は内心、思っていた。緑の隊は負傷と治癒、治療を繰り返す、ある意味ではどの隊よりも残酷な作戦を担える。
緑の隊にその色を強く持たせようとしたのが、先々代の剣聖だとルーカスはベッテンコードから聞いたことがあった。しかしその剣聖は何故か若くして死去し、次を継いだのはリフヌガードだった。
リフヌガードは緑の隊を兵士の集団ではなく、医者の集団に変えていった。そのことに関して、ベッテンコードは特別に言わなかったが、ふと漏らしたことがある。
緑の隊の狂気は、ないに越したことはない。
そして今、ルーカスが実際に魔物との戦場に立って感じるのは、狂気の隊も場合によっては必要なのではないかという発想だった。口に出すことはできないが、この戦場においては甘いことは言えなかった。
そうこうしている間にだいぶ洞窟の奥へ踏み込んでいる。退くことが難しい距離ができたということだ。
部下に注意を伝えようとした時、前方でか細い悲鳴のようなものが聞こえた。
なんだ、と思う間も無く怒号が飛び交い、激しく光が瞬く。
「ウラッスス、ここを任せる」
短く言ってルーカスは前へ進もうとした。
全く同時に、背後で悲鳴が上がったことで、ルーカスは進みかけた足を止めた。舌打ちをして、ウラッススを振り返る。赤の隊のものが生み出した炎の光の中で、ウラッススが不安そうな顔をしている。
「後ろを守っておけ。様子を見てくる」
攻撃隊はまだ混乱しているが、しかし何者かの攻勢を受けているのは理解していた。こんなところに人間が潜んでいるわけがない。襲ってくるとしたら魔物だけだ。
しかしどこから湧いて出た? 洞窟を進む途中でいくつも脇道があり、道案内がいるから迷わないのだと思っていたが、迂闊だったか。脇道に魔物がいないという決めつけは、都合が良すぎたかもしれない。
ルーカスがアルカディオの元へたどり着いた時、ファルスとアルカディオの前に一人の女性が立っていた。
誰かと思えば、カテリーナである。
そのカテリーナがルーカスをチラッと見てから、ファルスに向き直った。
「ここから先の道筋は、白の隊のものが探し出して見せます」
ここから先の道筋? 白の隊のものが?
道案内はどうした?
ルーカスは彼らの足元を見た。
バカな……。
倒れているのは案内役のはずのスクナ翁で、首がちぎれていた。
道案内が死んで、それでどうなる?
まさか攻撃隊全部が迷うということか。この闇に閉ざされた迷宮で?
愕然とするルーカスにアルカディオが振り返った。
「時間を稼がなくてはいけません。ルーカスさんに後方は任せます。前方は僕たちが」
普段と何も変わらない冷静な口調に、ルーカスは無言で頷いていた。
部下の元へ引き返しながら、アルカディオの覚悟に恐怖に近いものを感じていた。
彼はすでに生死を、超越したのではないか。
自分の生死だけではなく、仲間の生死さえも。
ここで全滅することを、受け入れている。
部下の元へ戻り、ルーカスは隊の後方を固めるように指示した。この狭い空間では下手な魔法は逆に危険だ。落盤が起きるかもしれない。
黒の隊の優れた剣術の方が都合がいい。もっともすでに二十名しかいないが。
魔物の鳴き声が幾重にも反響する中で、誰もが恐怖と戦っていた。
すでに退くことも進むことも、容易ではなかった。
◆
突然に現れた魔物がスクナ翁を即死させてしまった時、アルカディオは反射的に顔をしかめ、自然とその魔物を切り捨てていた。
魔物は次々と出てきたが、地上ほどではない。すぐに赤の隊の数人が防御を始めた。
ファルスは動けなくなっており、ただスクナ翁の遺体を見ていた。生き返らない、ということを確認するように。
退くか、とアルカディオは思った。
しかしそこへ、不意に女性の影がそばに立ち上がった。悲鳴をあげなかったのは、他のことを考えていたからで、もし攻撃されていたら危なかっただろう。それくらいアルカディオも動揺していた。
女性はカテリーナだった。今までどこにいたのか、不思議だった。だが、間違いなくカテリーナである。
彼女は感情のこもらない声で言った。
「ここから先の道筋は、白の隊のものが探し出して見せます」
その一言で、アルカディオは退くことを考えないことにした。
カテリーナが言っていることは、白の隊が消滅することを覚悟での提案だった。それを無駄にすることはできなかった。
ここまでに倒れたもののためにも、下がるべきではない。
愚かであろうと。傲慢であろうと。無謀であろうと。
アルカディオはいつの間にかそばに来ていたルーカスに指示を出し、アール、リコと、赤の隊の数名とともに隊の前方で魔物と戦い始めた。赤の隊の魔法による攻撃が至難な場所で、今は剣だけが頼りだった。
どれくらいの魔物を倒したか、洞窟の中の空気が激しい腐臭に満たされた時、前方から一人の男が転げるようにやってきた。腕に白い布を巻いているが、アルカディオの知らない顔だ。だが、白の隊のものだろう。
男はアルカディオの前へ来ると「ご案内します」と短く言った。息が乱れ、声は擦れていた。
「道筋が見つかったのですか?」
「私が当たりを引きました。お早く」
アルカディオは迷いなく、全隊に前進の指示を出した。
当たりを引いた、という言葉は不吉だった。つまりカテリーナは白の隊のもので人海戦術を取ったのだろう。一人か、二人一組で、全ての間道を隈なく当たったのだ。
極めて危険だった。犠牲者が多く出たのも間違いない。
しかしそれ以外にアルカディオたちが進むべき道を見出す術はなかった。白の隊は命を投げ出して、アルカディオたちを救ったのだ。
また犠牲者が出た。
もう数え切れないほどのものを、後に残してきている。
彼らのためにできることは何もなかった。
仮に敵に勝利したとしても、彼らが蘇ることはない。故郷をその目で見ることもないのだ。友人や恋人、家族と再会することも、ない。
自分が全てを背負うと、いつの間にか思っていた。
アルカディオのための攻撃隊なのだ。
アルカディオを最後の戦場に立たせるための部隊。
先を赤の隊のものが魔法で照らしながら駆ける。白の隊のものはその少し先を走りながら、鮮やかな剣技で魔物を倒していく。討ち漏らした魔物はファルス、アルカディオ、アール、リコで倒す。
もうずっと、時間の感覚がおかしくなっている。野戦陣地を出て、どれくらいが過ぎただろうか。長い間、戦い続けているような気がする。
まるで何年も、戦っているような。
前方に小さな明かりが見えた。赤い光が差し込んでいる。
「あちらです」
白の隊のものが足を止めるのを、アルカディオたちが追い抜く。彼はきっと、仲間を助けに行くのだろう。カテリーナも戻ってきていない。彼女は無事だろうか、と思ったが、彼女だけは死なない、などということはないのだ。
アルカディオたちは光を目指した。
光が赤く染まっているのが見て取れるようになった。
血のように、明るい赤。
まだ終着ではない。
戦いはまだ終わらない。
これからのために犠牲を積み重ねてきた。
犠牲となったもののためにも、敗北は許されなかった。
洞窟を出る。
眼前に広がる光景に、アルカディオは息を飲んだ。他のものもそうだっただろう。
山が燃えている。
違う、溢れ出した融けた岩が周囲に広がっているのだ。岩は泡立ち、赤熱し、強烈な熱波をアルカディオたちに叩きつけている。
そしてこうしている間にも、その岩から魔物たちが生まれている。
次第に魔物たちがアルカディオたちに気づき、向かってくる。
「ファルス殿、魔物の相手を任せます」
アルカディオは熱い空気を吸い込む。胸が内側から焼かれるようだった。
「魔人がおそらく、出てくるでしょう。それは、カスミーユさんとルーカスさんが相手をするということにします」
「アルカディオ様、俺たちだって戦えます」
珍しくファルスが咎めるような口調で言ったが、アルカディオは首を横に振った。
「ファルスさん、生きているものをこれ以上、無駄に死なせる必要はありません。それに、力のあるものには責任があります」
反論は、なかった。
アルカディオは歩を進めていく。左右にアールとリコが並び、背後にサリースリー、そしてターシャがついた。
カスミーユの直下の赤の隊のものと、ルーカスの直下の黒の隊がそれに続く。
さらにその背後で、魔物たちとファルスの指揮のもとで兵士たちが戦い始めた。
決戦がついに来たのだと、誰もが思った。
そしてアルカディオたちを迎えるように、三体の人間に近い姿をした魔物、魔人が進み出てきた。
人と、人ではないものは、灼熱の溶岩に囲まれた地で、相対した。
(続く)




