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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
141/155

3-1 攻撃隊

第三部 決戦


      ◆


 決死隊、という表現は縁起が悪い。

 そんなことを言い出したファルスの提案で、剣聖を中心とした闇の峰へ突入する部隊は単に「攻撃隊」と呼ばれることになった。

「本当にうまくいくんでしょうかね」

 こんな時でも軽口を飛ばすアールがアルカディオには羨ましいが、気が立っているルーカスには不愉快の極みだっただろう。

「白の剣聖様を信じなくてどうする」

「白の剣聖と言っても」

 アールが即座にルーカスにやり返す。

「どこにいるかも不明なら、会ったやつだってほとんどいないんでしょう。大丈夫なんでしょうかね、従騎士様」

 あまりからかうな、とリコが横から口を挟んで、いつの間にか視線をぶつけ合っていた男二人はプイと同時にそっぽを向いた。

 それにため息を吐いたリコが、こっそりとアルカディオに耳打ちした。

「アルカディオ様は信じておられるのですね?」

 安心させるつもりでアルカディオは笑みを作ったが、あるいはそれは自分を励ますためだったかもしれない。

「カテリーナ殿がそう言うのです。信じています」

 攻撃隊は隊列を組み、今、合図を待っている。魔物の群れを監視している部隊があり、数が少ない時機を狙って突入するのだ。

 アルカディオたちが話しているのは、その突入を援護するという四人目の剣聖のことだった。

 この日の朝、最後の軍議が開かれ、その場に白の隊の指揮官である従騎士カテリーナが顔を出した。これまでは代理の者が会合に出席していて、場合によっては直接、ファルスに接触していたようだ。

 カテリーナは軍議の途中で「シン様が援護するとのことです」と簡潔に口にした。

「あの男はまだ拘束されているはずだ」

 カスミーユが眉をひそめながら応じた。

「それとも解放されたのか?」

「シン様は囚われたままです、カスミーユ様。しかし位相剣の力にそのようなことは影響を与えません」

「そうかい」

 カスミーユは素っ気なく応じたが、ぐっと視線に気迫が強くなった。

「で、シンは何をしてくれる?」

「死者の峠までの突入を援護するそうです」

「どうやって?」

「時を止めます」

 これにはその場の全員がぽかんとしてしまった。誰も言葉もなく、それぞれの顔を見ていた。落ち着いているのは話した当のカテリーナと、アルカディオだった。

 時が止まることなどありえない。それは魔法の領域を大きく超えている。

 しかしアルカディオはこれまで、あまりにも超常的な現象や存在に触れてきた経験が十分にあった。

 今更、時を止めると聞いても不思議はない。ただの人間がそうするのではない。聖剣の使い手、剣聖が時を止めるのなら、納得できる。

 そんなアルカディオの冷静な思考に気づいたか、カテリーナが視線を向けてきた。

 まるでうまくとりなしてくれ、というような視線にも思えた。

「僕は信じます」

 促されたのが半分、自発的な意思が半分で、アルカディオはそう口にした。すると今度は全員の視線が一斉にアルカディオに向いた。アルカディオは緊張と動揺を即座に御した。

「剣聖の力は皆さんもご存知のはずです。時を止めることも、できるかもしれない」

「もしできなかったら、大惨事だな」

 その言葉はカスミーユの口から出たが、責める色も不満の色もない。信じることにしよう、という意見が言葉の奥に見えた。

 それをきっかけに、軍議の内容はカテリーナが伝えた遠く離れたところにいるらしい剣聖の援護を前提にする方向へ進んだ。

 そうして基本的な計画が共有され、いつでも出撃できる態勢がとられた。

 サバーナの部下の補給がギリギリまで行われて、誰もが新しい武器を手に入れることができた。具足も用意されている。

 何よりも幸運だったのは、高い質の馬がまとまって届けられたことで、これにはアルカディオよりカスミーユの方が本心からの感謝を伝えていた。

 どこから馬を調達したのか、カスミーユが問いかけるのにサバーナはやや胸を張って答えた。

「商人の戦いをしているだけです。物資を調達するのが、私の戦いです」

「気に入った」

 カスミーユが腰から短剣を鞘ごと外すと、ぐっとサバーナに突き出した。

「お前、赤の隊に加われ」

 簡潔で、一方的な言葉だったが、サバーナはすぐにその短剣を押し頂く、ことはなかった。

 そっと押し返し、「誠に申し訳ないのですが」と頭をさげる。

「私はアルカディオ様の麾下です。他の方にお仕えすることは、出来兼ねます」

 これにはカスミーユも虚をつかれた顔になった。そしてすぐそばにいるアルカディオを見て、笑って見せたものだ。

「お前はいい仲間を持ったな。羨ましいことだ」

 それでカスミーユはあっさりと引き下がった。

 こうして攻撃隊には馬も武具も行き渡った。最低限の食料も全員が持っている。輜重隊は連れていけない。もっとも、これは短期決戦である。超短期決戦と言ってもいい。

 あとは、合図の鉦を待つばかりである。

 誰もがじっとしていられない様子だが、話をしているものももういない。身じろぎするのは若い男たちで、緊張しているのだろう。一方、赤の隊の経験豊富な男たちは堂々と前だけを見ている。

 アルカディオのすぐそばで、アールがあくびをかみ殺した。リコは遠くの方を見ている。ルーカスは反対に部下の様子を見ていた。黒の隊をまとめる役目の重さを理解し、それから逃げず、正面から取り組もうとしている気迫が漏れている。

 サリースリーは馬に乗ったまま、しきりに馬の首を撫でていた。彼女に馬術の才能があるとはアルカディオは想像したこともなかった。カル・カラ島では馬術の調練などしなかった。それを言えば、アルカディオも未経験だったが、不思議とすぐに慣れた。もしくはそのあたりに、クロエスか、ベッテンコードか、あるいはアルスライードの何らかの工夫があったかもしれなかった。

 サリースリーに声をかけようと思った時、不意に彼女が顔を上げて、アルカディオと目があった。

 彼女が少しだけ柔らかい表情になった。いつもは憎まれ口が多いので、珍しい表情だ。

「アルカディオよ。私がそばにいてやろう。安心するがいい」

 言葉の内容はいつも通りか、とアルカディオは思わず笑ってしまった。

 言葉を返そうとした時、前触れもなく鉦が打たれた。

 その場の全員が同時に反応し、空気が震えたようだった。

 先頭に赤の隊の隊旗が上がる。それが突撃開始の合図だ。攻撃隊は赤の隊に守られる形で黒の隊、緑の隊、義勇兵が進むことになる。

 野戦陣地の限られた経路から、二〇〇にも満たない攻撃隊が飛び出していく。

 アルカディオの左右にリコとアールがつき、背後にはサリースリーとターシャがいる。ルーカスは先を行っている。

 すぐに攻撃隊の進路上に魔物が見えた。二十はいるだろう。

 前方で魔法が炸裂し、魔物が跳ね飛ばされていく。

 シンという剣聖の援護はいつあるのか、とアルカディオは目を凝らした。

 最初の魔物の群れを突破してすぐ、すぐには数のわからない魔物の群れが立ちふさがってきた。そこへ攻撃隊が切り込み、突っ切って行く。

 しかし魔物の密度が減ることはない。このままでは、いずれ魔物の海にのみ込まれそうだった。

 変化は少しずつ始まったので、ある程度まで進行するまで、アルカディオにはそれが見えなかった。実際、咄嗟には誰にも気づけなかったのだ。

 しかしある段階を過ぎると、それは如実だった。

「信じられん……」

 アールが馬を走らせながら呻くように声を漏らす。

 まさに時が、止まっていた。

 攻撃隊は突き進んでいくが、周囲にいる魔物たちがピクリとも動かない。

 魔物の時間が、止まっているとしか表現できなかった。

 赤の隊がぐんと加速し、他のものもそれに続く。もはや魔法を行使する必要もなかった。動かない魔物を蹄にかけて蹴散らしていけばいいのだ。

 向かう先は第六軍が事前に製作した地図が途中までは出来上がっている。その先はアールと白の隊のものが目印を覚えており、それで死の峠までは確実にたどり着ける。アールが言うには、そこまで行けば冥府の門を見落とすわけがない、とのことだ。

 攻撃隊はひたすら進んだ。短い休息も前進しながら取り、その丸一日の間、ひたすら魔物たちは時を忘れていたことになる。

「死の峠です」

 不意にアールが低い声でアルカディオに言った。

 攻撃隊が駆け登っていく斜面が急な断崖となり、そのさらに先に切り通しのような空間がある。そこにも魔物が群れで陣取っているが、彼らはやはり動かない。

 突破できる、と誰もが思っただろう。

 しかしゆっくりと魔物が動き出した。

 時間が再び動き始めつつある。

 それでも攻撃隊は突き進んだが、ついに魔物たちは元の時間を取り戻し、一斉に襲い掛かってきた。

「防御態勢!」

 カスミーユの声が聞こえ、すぐに十人隊の隊長たちがそれに応じる。

 攻撃隊は死者の峠にわずかに入ったところで、魔物に完全に包囲されていた。

 馬は捨てろ、という声が飛び交っている。もはや機動力が必要な段階ではない。

 しかし、とアルカディオ自身も馬から降り、破砕剣を抜きながら状況を確認した。

 極めてまずいことに、魔物に完全に包囲されつつある。死者の峠の上から押してくる魔物がいるのと同様、下から向かってくる魔物がみるみる増えている。

 このままで押し潰されてしまう。

 撤退を考える余地はないが、突破も至難に思えた。

 ルーカスが怒号を上げ、隊の後方について守りを固め始める。

 守りに入っても勝てないが、今は守らなければいけない。守らなければ殲滅されてしまう。

 汗が滲むのを感じながら、アルカディオも後方へ向かった。前方は赤の隊に任せれば問題ないだろう。アールとリコがアルカディオの左右についてくる。

「結局はこうなるわけですか」

 アールがぼやくのに、さすがにリコも口を挟まなかった。

 アルカディオたちは防御に徹し、魔物を次々と切り捨てて行くが、魔物の圧力は増すばかりだった。

 このままではまずい、と誰もが思った時だった。

 魔物たちの動きが再び鈍くなっていく。やがて彼らは完全に停止し、攻撃隊は一息をつくことができた。

「再び進むべきでしょうかね」

 剣を払ってからアールが声にするのに、「あなたという人は」とリコが舌打ちまじりに言う。

 ただ、すぐに彼らの目に入るものがあった。

 こちらへ向かってくる少数の騎馬隊があるのだ。斜面の下からだ。魔物が停止しているので、彼らはまっすぐに、ひた駆けてくる。

「ファルス殿……?」

 やってくるのはファルスだった。連れているのは二人だけで、一人は彼の部下だがもう一人は知らない人物のようだった。遠目にも高齢に見えるが、近づくにつれて、本当に高齢だとわかった。馬にしがみつくようにしている。

 アルカディオたちが見ている前で、彼らは攻撃隊の元へたどり着いた。老人が転げるように地面に降り、それをファルスの部下が支える。

 ファルスはまっすぐにアルカディオの元へ来ると、ちょっと笑いながら「俺は護衛だよ」と言った。

「ええ、それは」アルカディオは老人へ目をやった。「あちらの方は?」

 それがな、とファルスが顔をしかめる。

「安全に闇の峰へ行く道筋を知っているというのだ」

 安全? 道筋?



(続く)

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