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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
139/155

2-23 月下の三人


      ◆


 こんなものが手に入るとはね。

 そう言いながらカスミーユが月光にガラス瓶をかざした。

 ガラス瓶の中では琥珀色の液体が揺れていた。

「確かに腕のある商人らしい」

 淡い混じりにそう言ったのはファルスで、この場にはイダサを加えた三名しかいない。

 決死隊の編成は完了した。出立は明日の早朝だった。野戦陣地のそここで今頃、似たような別れの杯が交わされているだろう。

 どれ、とカスミーユが瓶を差し出してくるので、イダサは自分の杯でそれを受けた。次にファルスの杯にもなみなみと液体が注がれた。カスミーユは手酌である。

「まさかこんなことになるとは、夢にも思わなかった」

 ぐっと杯を傾けてから、カスミーユが言う。

「お前たちは私とリフヌガードの補佐役のはずだったのだ。うまく成長したらな。それがいつの間にか、イダサは剣聖となり、ファルスは予備隊などを作って指揮官をしていて従騎士ときた。誰がこれを予想できた?」

 誰にも無理でしょう、とファルスが応じる。強気な口調だった。

「俺やイダサが先頭に立つとは、剣聖騎士団の人材の払底は深刻ですよ、カスミーユ様」

「かもしれん」

 二人は密やかに笑いあっている。

 アルカディオは唐突に目覚め、即座に決死隊への参加を了承した。それは手間が省けたという程度の意味しかないのだが、アルカディオの参加が絶対だった以上、志願は必要だった。

 アールというアルカディオの麾下の男からもたらされた情報を信じるなら、イダサたちはどこまでも古からの伝承をなぞるしかなかった。

 死者の峠を越え、冥府の門を抜け、闇の峰で魔剣と決戦を展開する。

 魔剣は実在する、とアールは言った。彼は真剣で、冗談を言っているようではない。

 もし状況が違っていれば、疑問を持ち、より正確な情報の収集を望む声もあったかもしれない。

 ただ、そうはならなかった。

 まず、野戦陣地に展開する第六軍の主力は、別働隊を編成した直後の魔物の大攻勢で、自分たちがそれほど余裕がないと肌身で感じている。

 もう一度の同程度の大攻勢にはおそらく耐えられるだろう。では、さらにもう一度、さらにさらにもう一度と、何度まで防ぎ止められるだろうか。

 第五軍も似たような危機意識を持っている。第六軍ほどではないにせよ、各地に魔物が出没し、手に負えなくなっている。

 そしてもう一つは、黒の隊の生き残りたちが目撃した龍の存在だった。

 龍など、伝説の中の存在だとイダサは思っていたものだ。しかし魔物が復活し、龍が姿を見せ、つまり、伝説や伝承は全くのデタラメではないのだと、誰もが意識せざるをえなかった。

 伝承が事実であるなら、伝承をなぞれば勝利へたどり着ける。

 頼りなく、今にも切れそうな線ではあるが、他に選ぶべき道がない。

 そして可能な限り迅速に、その道を終点まで走るしかない。

 時間を置いていては、野戦陣地は陥落し、魔物の大群がソダリア王国へ浸透してしまう。その時には第六軍のものの大半の命運は決しているだろう。

 第六軍の軍団長であるショウギは、見た目こそ憮然としているが、義勇兵として一〇〇名を用意してくれた。これはルーカスの部下に加わる。つまり黒の隊の補充だが、どれほどの力を発揮するかは未定だ。

 ルーカスが黒の隊の指揮をとる形になることもあり、彼は従騎士に取り立てられた。ルーカスはルーカスで丁寧に拝命したが嬉しそうでもなく、淡白な表情をしていたものだ。

 決死隊のものは皆、まさに決死の覚悟でいる。

 武功をあげようなという発想は微塵もなく、ただ魔剣を葬り去ることだけが頭にある。

「死ぬ者は、何を思うだろうな」

 イダサが物思いから覚めると、カスミーユもファルスも月を見上げていた。

 カスミーユの言葉に、ファルスが軽く応じる。

「戦った、という実感はあるでしょうな。勝った、という実感はないでしょうが」

「勝った、と思いたいものだ」

「不吉なことを言うべきではないでしょう、カスミーユ様」

 からかう調子のファルスに、カスミーユが月光の下で薄く笑った。

「戦っただけでも、私の命には価値があったと思うよ。本当にな。剣聖になって良かったと思ったのは、久しぶりだ。懐かしいとも言える」

「以前はいつ、そう思ったのですか」

 盃を傾けるファルスの言葉に、「騎馬隊を組織した時だ」とカスミーユが答える。

「自分の部下を自由にできる。剣聖の特権だ」

「それは俺への嫌味ですか。予備隊は俺の思い通りにはなりませんでしたよ」

「だから剣聖の特権なのだ」

 不意にカスミーユが立ち上がり、地面に置かれた酒瓶を一瞥した。

「二人で片付けておけ。私は休む」

「え」思わずイダサは声を出していた。「飲まないのですか」

 今度は不敵な笑みで、カスミーユが応じた。

「酒はあまり好きではない。ではな」

 そう言うなり、カスミーユはいっそ颯爽と去ってしまった。

 二人だけになり、イダサもファルスもしばらく無言でいた。

「後を任す」

 イダサがそう言って酒瓶を手に取って差し出すのに、ファルスが一度頷き、すっと杯を差し出した。

 杯にイダサは酒を注いだ。

 液体がキラキラと瞬いている。



(続く)

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