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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
137/155

2-21 作戦

      ◆


 誰かが短く言った。

 バカな。

 別の誰かも呟く。

 ありえない。

 ルーカスは声の主の方を見なかった。そもそも彼は目を閉じ、腕組みをして、発言する気がなかった。

 野戦陣地の指揮所は人が大勢集まって狭苦しく感じる。

 大きな輪の中心をなす小さな円陣はいつもの顔ぶれだ。

 カスミーユ、イダサの二人の剣聖、従騎士であり予備隊隊長のファルスと、副隊長のローガン。それと向かい合うのは第六軍の軍団長ショウギと彼の部下たち、そして第五軍の参謀である。

「馬鹿げていても、ありえなくても、やらないわけにはいかないでしょう」

 ファルスが露骨に作った落ち着き払った声で言ったが、彼の腸は煮えくり返っているだろう。

 カスミーユが代表して第六軍、第五軍のものへ進言したのは、魔物が生まれ出るという闇の峰を直撃する、という作戦だった。

 そのために剣聖騎士団を中心に、決死隊を編成する。

「しかしだね」

 第五軍の参謀が躊躇いがちの発言する。

「きみの話だと、剣聖がここを出払ってしまうということになる。我々はどうしたらいい」

 これにはカスミーユが小さく鼻を鳴らしたが、彼女は発言しなかった。短い沈黙の後、ファルスがやはり彼らしからぬ落ち着き払った口調で言った。

「剣聖でなければ敵の中心を叩けません。それともあなた方が、その役目を負ってもらえるのですか?」

 口調はできていても、言葉の内容は苛烈だった。

 そして言外に、軍隊なのだから仕事をしろ、敵と戦え、という意思が如実だった。

 第五軍の参謀たちは顔を見合わせているようだが、やはりルーカスは無視した。

 この議論の終着点はわかりきっている。問題になっているのは責任の所在に過ぎないのだ。

 剣聖騎士団が仮に敗北し、剣聖と聖剣を失った時、誰がどのように責任を取るかが彼らの頭にはある。第五軍から兵を集めて闇の峰に向かったとしても、その時も同じ問題がある。第五軍の部隊が壊滅すれば、発案者は責任を問われる。

 第六軍にせよ、第五軍にせよ、ただ敵と戦うだけの装置ではなくなっている。職業であり、失敗を避ける性質が染み込んでいる。

 失敗を恐れるのは良い。どうしたら失敗に終わるか、何が失敗に繋がるかを検討するには、最初に失敗を恐れる気持ちが必要になる。失敗を恐れないものは、先を見通そうとしたり、もしもの時に何が起こるかを想像したり、これからの展開を検証したり、そういう準備を怠る。

 失敗を恐れないのは兵士の段階では有意義かもしれない。自分の安全など考えず、恐怖を無視して突撃する兵は強力なはずだ。

 しかし、将校が失敗を恐れなくなったら、おしまいだ。兵だけが損耗し、敗北に突き進むことになる。

 ルーカスからすれば正規軍のこの慎重さはある意味では救いであり、同時に不安でもあった。

 慎重が打算に結びつけば、ルーカスたちは確実に孤立するだろう。

 何故なら、ルーカスたち剣聖騎士団のものはただ戦うことにのみ専心しており、勝利のみを求めている異質な集団だからである。

 武器としては威力がある。うまく使えば上のものは自分たちの武勲にできる。剣聖騎士団が失敗しそうなら、知らぬ存ぜぬという態度で、剣聖騎士団の独断専行とでもして放り出せば良い。

 捨て石になるのはごめんだが、もはや他に道はない。これはルーカスの前でカスミーユたちが出した答えだった。

「死ぬ気かね、剣聖たちは」

 不意にショウギが発言した。ルーカスはゆっくりと顔を上げ、声を発した男を見た。

 壮年で、がっしりとした体つき。口元には皮肉げな笑みがあるが、目は真剣だった。

「必要とあれば」

 ファルスが短く応じるのに、ショウギは頷いて、一同を見回した。

「剣聖騎士団の要望を聞き入れよう。差し出せるものは大してないが、提供することとする。第五軍の軍団長にもその旨を伝えるように。決行はいつにする?」

 ファルスは感心した様子で、三日後にしましょう、時間が惜しい、と応じるのに、ショウギも頷き返した。

「部隊の編成を急ぐといい。第六軍からも志願者を募っておく。もっとも、どれほど役に立つかは知らないがね」

 その発言で、ルーカスはショウギという軍団長が急遽、その地位についたという話を思い出した。元は参謀だったそうだが、あるいは軍のあり方、その力に不満があったのかもしれない。

 個人的な感情を見せるショウギのその様子は、もしかしたら謝罪だったかもしれない。

 指揮所から第五軍のものがまず出て行き、ショウギたちも引き上げて行った。

 その場に残った面々は、しばらく黙っていた。

「黒の隊は」

 ルーカスは思い切って沈黙を破った。

「数が少ないが、全隊で参加しよう」

「アルカディオ様は」

 ファルスの確認にルーカスは首を左右に振った。まだ目覚めたという話は聞いていないが、しかしアルカディオでも全隊での参加を提案しただろう。

「緑の隊は全部というわけにはいかない」

 イダサがファルスの機先を制する形で言葉を発したので、ファルスはルーカスを問い詰めるのをやめたようだった。もっとも、イダサもルーカスを助けたというそぶりは見せず、静かな口調で言葉を続ける。

「この陣地での医療活動をするものを置いていかなくてはいけない。同行できるのは、十名程だろう」

 おおよそ半数か、とルーカスは計算したが、そもそも決死隊に緑の隊の半数が同行するのは、無謀だった。緑の隊の隊員も一流の剣術を使うが、黒の隊、赤の隊には劣る。

 それでもイダサはそれだけを出すといい、「僕自身も出よう」と口にした。

「生死剣の力があれば、こちらに有利なはずだ」

「私も行くしかあるまいな」

 カスミーユが発言した。

「赤の隊の騎馬隊なら、目的地までの護衛にはちょうどいいだろう。魔法も役立つはずだ。緑の隊のような制限もないから全隊で行くぞ」

 助かります、とイダサが答えたが、ファルスは無言だった。

 これで決死隊の中核は決まった。黒の隊、赤の隊、緑の隊の半数。

「予備隊からも人を出しましょう」

 発言したのはローガンだったが、途端にファルスが強烈な視線で睨みつけた。

「力のある奴だけだ。お前も俺も、ここへ残る」

 何故です、とローガンが声を返すところへ、なんでもだ、とファルスが強い口調で言葉をぶつけ、ローガンも抵抗をやめた。

 ルーカスから見れば、ローガンより、ファルスの方が戦場へ出たいように見えた。しかし野戦陣地で剣聖騎士団予備隊の指揮をとるものが必要で、ファルスはおそらくいざという時の自分の代わりとしてローガンを手元に置こうと考えたのだろう。

 別働隊による攻撃が失敗した最大の理由は、魔物がこちらの呼吸を読んだことにある、と会議の末に結論付けられた。

 奇妙なことだが、そうとしか考えられない。

 魔物は別働隊の動きを察知した上で、野戦陣地に不意打ちを仕掛け、さらに別働隊を殲滅しようとした。そこには間違いなく知性がある。人間の発想を読み取り、理解し、対応してくる。

 今回の決死隊の動きも、もしかしたら読まれるかもしれない。

 そうなった時、野戦陣地は間違いなく激しい攻撃にさらされる。

 ファルスは別働隊を送り出した後、一人きりで野戦陣地の剣聖騎士団をまとめ、戦い続けた。その時と同じ場面が出来することを想定すれば、手元に使える指揮官が欲しいだろう。

 ローガンを手元に残すの理由は、そこにありそうだった。

「ファルス、お前を頼るしかない私たちを許せよ」

 普段はあまり見せないカスミーユの感情に、その場のものが揃って彼女を見遣った。

 女傑と言ってもいい剣聖は、眉間に皺を刻んでファルスを見ていた。元々、ファルスは剣聖騎士団の赤の隊の一員だったはずだ。そこで頭角を現し、瞬く間に剣聖騎士団予備隊の隊長、そして従騎士となったと聞いている。

 カスミーユとファルスの間には上官と部下、指導者と生徒のように明確にはならない関係があるのかもしれない。戦友同士であり、カスミーユはファルスにとっては尊敬の対象であり、ファルスはカスミーユにとって後継者なのかもしれなかった。

 ルーカスの胸に去来するのは、ベッテンコードのことだった。

 ベッテンコードは多くの弟子を持ったが、本当の後継者には、アルカディオを選んだ。選んだというより、アルカディオという存在を生み出し、自分の技や経験を流し込んだ。

 ルーカスが時折、考えてしまうのは、ベッテンコードは多くの弟子の誰一人にさえ満足を感じなかったのか、ということだ。

 不甲斐ない、とも思うし、腹立たしくもある。

 もっと技を教えてくれれば、剣を交えさせてもらえれば、ベッテンコードを満足させられたかもしれない。

 それももう、叶わぬ願いだった。

 ベッテンコードはこの世にはいない。

 不意に指揮所に一人の兵士が駆け込んできた。ルーカスの知っている顔だ。ウラッススが連れてきた義勇兵の一人だった。

 血相を変えているので、不吉なことでも起こったかと誰もが身構えた。

「剣聖様が、目を覚まされました」

 誰からともなく安堵の息が漏れた。

 様子を見てきます、とルーカスは一礼し、指揮所を離れた。

 アルカディオはまだ戦えるだろうか、ということを進みながら考えていた。

 人間も剣と同じように、折れることがある。

 アルカディオにももしかしたら、その時がやってくるかもしれない。

 今でなければいいのだが。



(続く)

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