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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
136/155

2-20 夢幻

      ◆


 夢を見ていた。

 魔物と人間が戦っている。

 魔物は平原を埋めるほどの大群で、ひたすらに押し寄せてくる。

 人間たちは陣を組み、押し出していく。

 人々は恐怖にとらわれ、今にも崩れそうになるが、それを隣に並ぶ戦友が支えている。隣のものが隣を、その隣をと、お互いを鼓舞している。

 頭上を巨大な生物が飛んでいる。

 龍だ。

 一頭や二頭ではない、十を超える巨体が旋回し、その口から吐き出される光の波濤は、魔物を粉砕していく。

 人々が喚声を上げ、駈け出す。

 地響きと雄叫びが交錯し、ついに人間の軍と魔物の群れが衝突する。

 死が無数に折り重なる。

 ここで退いてはいけない、と兵士たちは考えている。

 ここで敗退すれば、背後に置いてきた女や子供、老人、病人が蹂躙される。

 自分の死を受け入れながら、守るべきものたちの死は断固として拒絶する意志。

 強い意志が、彼らから恐怖をぬぐい去り、敵を倒すこと、暴力を振るうことに躊躇いが失われていく。

 いいことか、悪いことか、見当がつかなかった。

 人間たちが、あまりに人間を逸脱していたから。

 激しい攻防の末、ついに魔物は倒されるが、人間たちに休む暇はない。隊列を整えているうちに、次なる魔物の群れがやってくる。まるで魔物は無尽蔵かと思わせるその光景に、人間たちは再びの恐怖を感じ、同時に獰猛な攻撃性を喚起される。

 繰り返される戦い。

 魔物も人も、倒れ、その場に残されていく。

 人間たちは龍の援護を受けながら、山脈に分け入って行く。一層、魔物の数が増えるが、人間たちはもはや怯まなかった。

 剣で、槍で、斧で、魔物たちを追い詰めていく。

 武装した人々の先頭に立つものたちは、奇跡のような力をふるっている。

 虚空から劫火が、雷撃が、氷が、この世のものではない生物が、溢れ出して、魔物を蹂躙する。

 彼らの手にはそれぞれ、光を放つ剣がある。

 聖剣だった。

 この時代にはまだ無数の聖剣が存在しているのだ。

 魔物たちに対する兵器として。

 やがて兵士の戦闘が山の頂上へと辿り着く。そこでは炎が吹き荒れ、溶けて赤熱する岩が流れている。その流れから魔物が這い出てくる光景が見て取れた。

 そして宙に浮いている、一振りの剣も。

 聖剣を手にした男、女が進み出ていく。

 宙に浮いている剣は何で構成されているのか、真っ黒い刃をしている。光を飲み込むほど深い闇だが、輪郭には光の筋が走る。

「これがかつての戦争の最後である」

 不意な声と同時に、攻め入ろうとしていた人々が停止し、そして溶けた岩から生まれる魔物もやはり停止した。

「人間の力も弱まったものだ」

 声の主を探すが、どこにもいない。

 頭上を振り仰ぐ。

 地上が燃える岩の光で照らされていたから気づかなかったが、満天の夜空だった。

 そのはるかに高い場所を光の点が動いている。円を描くように、ゆっくり、ゆっくりと旋回しているのだ。

「こちらへ来い、アルカディオ」

 呼びかけを聞いた瞬間、アルカディオは自分が自分であることを理解した。

 今まで存在しなかった自分の肉体が生み出され、五感が戻った。

 しかしここは、どこだ? 自分はどこにいる?

 体が自然と宙に浮かび、高度を上げていく。

 頭上を飛んでいる存在が見て取れるようになった。

 巨大な龍だった。一対の翼で風を切っている。全身が白く発光し、美しい。

 その龍の眼が、アルカディオを捉える。

 龍の名前が、思考の中に浮かび上がった。

「アルスライード」

 そのアルカディオの声は、確かに声として響いた。ただ、本来的な響きとは違うようだった。そう、声ではなく、まるで思念が響いたようだった。

 何も気にした様子もなく、龍が、アルスライードが眼を細める。

「人間は敵を許せぬものだ。そして、敵がいなくなっても、どこかに敵を探す。だから力を失う。バラバラに砕け、争い合い、自滅するのだ」

 龍の言葉に応じる言葉を、アルカディオは持たなかった。

「この時代の戦争に、人間は勝利する」アルスライードは続ける。「しかし次には、我ら龍を敵視した。だから我らは、争いを避けるために地に潜り、眠りについた。人間たちはそれでも、結局は身内で争い、統一を失って今がある。どう思うか、アルカディオ。龍と人の間にあるものよ」

 やはり、答える言葉は見つからなかった。

 人間は弱い。だからこそ、暴力に走る。

 そして団結できるはずだ。

 それが一時のことだからいけないのか。

 いずれ来る未来において争うとしても、今は、この時だけは、同じ方向を向けるなら、いいのではないか。

 欺瞞だろうか。傲慢だろうか。言い逃れに過ぎないのか。

「人間は愚かだ。だからこそ、滅びへの道を進んでいる」

 遥かな高みからの龍の言葉に、アルカディオはわずかに首を垂れた。

 滅びへの道を進んでいることは、アルカディオにもわからないわけではない。

 人間が未来永劫、発展を続け、全てを自由にし、増え続けることなどありえない。魔物が出現しなくても、どこかでは人間同士の争いがあり、血が流れ、憎しみが膨れ上がり、少しずつ人間全体は欠け落ちていくように小さくなっただろう。

 もしかしたらそれは、最後の最後まで続いていくのかもしれない。

 誰かのために誰かを犠牲にする、という理屈があるとしても、誰かのために自分を犠牲にすることを選べるかは、誰にもわからない。

「龍は人間に手を貸すことはない。人間のことを理解しているからだ」

 アルスライードの低い声に、アルカディオは応じることができなかった。

 助けてくれ、と乞い願うことはできたかもしれない。

 しかし龍の答えは決まっている。

 アルスライード自身が言っている。手を貸すことはない、と。それは決して翻らない、確定した意志なのだ。涙を流しても、わめいても、平伏しても、龍はもう力を貸さない。

 この問題、魔物との戦いとその先を、龍は人間に任せている。

 それが本来的なことなのだ。

 でも、とアルカディオは思う。

 でも人間は、あまりにも多く、その全てがそれぞれの思いを持っている。

 あるものは魔物を恨まず龍を恨むかもしれない。それを否定することはできない。間違っているとしても、人間が本来持つ、個性の一つなのだ。

 人間の無数の意思は、決して統一されない。

 それもまた人間の愚かさだ。反目とは、この不統一がもつ宿命でもある。

 アルカディオの思考は巡る。

 アルスライードはどのような回答を求めているのか。自分は目の前にいる龍に、何を伝えればいいのか。

 眼下に視線を向ける。

 無数の人が倒れている。その犠牲の上で、この時代の魔剣との戦いは終わったのだろう。

 人間は龍とは違う。あっけなく死んでしまう。怪我や病気でも死ぬし、寿命はあまりにも短い。龍が数百年、数千年を生きるとしても、人間は一〇〇年も生きられない。

 人間は何もかもを失い、忘れるのに、憎しみだけは、攻撃性だけは失われない。

 常に憎しみを持て余し、他人を攻撃して、それで安堵している。憎まれても、攻撃されても、憎しみを返し、暴力を返すことで、安堵するのだ。

 終わりのない破滅の連鎖。

「アルカディオ。お前の答えを教えろ。私がお前を送り出した理由の一つが、それなのだから」

 問いかけられたアルカディオは、言葉を探し、一つの表現にたどり着いた。

「人間は、あなたの言う通り、滅びます」

 龍は答えない。言葉を続けるように促すように。

「龍から見れば滑稽でしょう。人間はどこまでいっても愚かです。愚かだと自覚する者もいますが、決して龍のようにはなれない。人間だからです」

 人間は、人間をやめられない。

「龍の助けを請うことも、いたしません。人間には、愚かであるのと同時に、賢明さが残されてもいるからです。その知性、知恵が足りにずに滅びるとしても、それは宿命です。誰が決めたにせよ、人間には滅びが用意されていた、ということでしょう。どれだけの知性をもってしても、どれだけの才能を持っていても、足りなくなる事態がきっと来る。今ではなくとも、いずれ、必ず」

 アルカディオは改めて地上を見た。

 魔剣と対峙するものたちは時が静止した世界で、しかし必死だった。

 守るべき存在がいるのだ。

 それを守ろうとすることは、愚かではない。

 間違ってはいない。

「人間にもきっと、正しいことを選んでいる場面がある。そう思います。かつての時代にも、未来の時間にも、そして今、この時にも」

 詭弁だな、とアルスライードは応じた。

 詭弁だが、と龍は言葉を続ける。

「共感できないこともない。愚かなだけの存在なら、我らも力など貸さなかっただろう。それでは我らもまた、愚かということだからな」

 アルカディオは少しだけ、笑みを浮かべることができた。

 龍が譲歩する程度のものが、人間にはあったのだ。かつての時代にあったのなら、今もあるはずだ。

 衝動的に、助けていただけますか、と問いたい衝動が湧いたが、アルカディオはそれを飲み込んだ。

 龍は助けないと明言した。なら助けはない。

 これは人間が打破するべき問題なのだ。人間だけで、である。

 目覚めるがよかろう。

 アルスライードがその言葉とともに気配を薄れさせていく。周囲の光景も輪郭を失い、溶けていく。

 古の時代の魔剣との戦いがどのような結末だったかを見ることは、できなかった。

 アルスライードの記憶が消えていく光景を眺めながら、アルカディオは自分がこの夢から目覚める感覚を意識した。

 頭上から光が差す。

 光はアルカディオを包み込み、その光には優しい温もりが感じられた。



(続く)

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