2-19 暗澹
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ローガンの苦労は続いたが、思わぬ援護もあった。
アルカディオたちを収容して野戦陣地へ駆けるのは、困難にも思われたが、ついに魔物の群れの先頭がローガン隊の最後尾へ到達するか、というところで、横合いから突っ込んでくる騎馬隊があった。
カスミーユの騎馬隊ではないのは自明だった。ローガンは彼女の麾下をよく知っているが、援護に来た騎馬隊は動きが直線的で、その上でもかなり遅かった。
間に合わないか、という際どいところで先頭の一騎がぐんと速度を上げ、かろうじて魔物の行く先を抑えることに成功したのは、かなり後方に見えたが胸をなで下ろす光景だった。
魔物の群れは乱入した騎馬隊に乱され、足が遅れた。その間にローガン隊は距離を稼ぐことができた。
しばらく進むうちに、後方から例の騎馬隊が戻ってきて、追いついてくる。ローガンは少しだけ隊を遅くしていた。助けてもらったのだから、置き去りにはできない。
追いついてきて、さらにローガンに並んできた指揮官らしい男に礼を言おうとして、ローガンは目を見開いてしまった。相手もそうだ。
「なんだ、ローガンではないか」
「ルーカスか、生きていたか」
二人が言葉を交わし、どちらからともなく安堵の息が漏れた。
二人はかつて剣聖府で学んだ時、幾度か顔を合わせていた。ローガンは元は赤の隊で、ルーカスは黒の隊だったが、剣聖同士の意向で、それぞれの隊に出向いて、その隊の特色を学んだのである。ローガンはベッテンコードから剣技を、ルーカスはカスミーユから馬術と騎馬隊の基礎を学んでいる。
「アルカディオ様は本隊に合流されたか」
無意識にだろう、緊張が滲むルーカスの言葉に、わずかにローガンは答えるのが遅れた。
「先ほど、保護したところだ。イダサ様の緑の隊が守っている」
「保護した? 負傷されたのか?」
いや、と答えたが、それ以上にはどうとも言えないローガンだった。
負傷しているようではなかった。しかし意識は依然、戻っていない。
そんなローガンの迷いを察してか、「生きてはおられるのだな」とルーカスは念を押してきた。詳細は後で聞くから最低限のことは教えろ、という構えである。
「生きておられるのは間違いない。安心しろ」
まさかローガンの言葉に安心したわけでもないだろうが、ルーカスは一度、大きく頷くと後方へ下がっていった。自分の仲間の方へ向かったのだろう。
そのままローガン隊は一息に野戦陣地へ飛び込むことになる。
魔物の群れが押し寄せた影響は甚大だった。なんとか押し返しはしたものの、負傷者が続出し、第六軍は四〇〇名に及ぶ死者を出し、負傷者は三〇〇人に達していた。負傷者の方が少ないのは、魔物の毒で負傷とは即座に死を意味するかである。三〇〇という負傷者も、死者の列に並ぶのが決定されているようなものだった。
ローガン隊が帰還して、イダサと緑の隊のものたちは即座に負傷者の治療へ向かった。彼らも休む間などないのである。ローガンは自分の部下に短いながら休息を与え、報告のためにファルスの元へ向かった。
途中、ルーカスが追いついてきた。すぐ背後にもう一人を連れているが、粗末な具足を身につけていて、どこの所属かはわからない。
指揮所と呼ばれる場所に、ルーカスはいた。髭が伸びており、服も汚れていた。すぐそばに険悪な雰囲気で控えているのは第六軍の参謀で、見覚えがある。
ローガンを見て、次にルーカスを見て、ファルスが息を吐いた。いかにも重い。
「全滅かと思ったぞ、この野郎」
その言葉が端的にファルスの不安と、それからの解放を語っていた。
ルーカスが進み出てファルスに挨拶をして、アルカディオの麾下として自分と他に三名が合流したということを報告した。ローガンは知らなかったが、どうやらファルスとルーカスは既知のようだ。
「ルーカス殿もだが、他の三名も黒の隊のもの、ということですか」
「いいえ、あくまでアルカディオ様の麾下です。私は黒の隊の所属ですが、今、黒の隊はどうなっているのですか」
鋭いファルスの視線がローガンを見る。それに気づいたローガンがルーカスに答えた。
「主力はアルカディオ様と一緒にいた。つまり、ここへ逃げ戻ったものと、ここに残っていたもの、それが黒の隊の全てです」
「指揮官は?」
答えたのはファルスである。
「ストラというものに任せたが、ローガン、奴はどうした?」
「行方不明です」
答えながら、ローガンは暗澹たる気持ちになった。行方不明などと言わなければいけないのは、虚しいものがある。遺体を回収できなかった、誰も死んだ場面を見ていない、ということなのだ。それはあまりにも非情だった。
「いずれ、帰還したものから話を聞くとしよう」
意識的には、ファルスは淡々とした口調で話を先へ進めた。
とりあえずは三人の剣聖は失われずに済んだ。別働隊の半数程度は帰還している。イダサが戻ったことで負傷者の回復のめども立った。
ルーカスが連れていた男が自己紹介し、ウラッススと名乗り、義勇兵と共に参陣したと伝えたが、ファルスは「義勇兵などという修飾はいらん」と素っ気なかった。
「アルカディオ様の指示に従え。黒の隊の指揮官はアルカディオ様だ」
了解です、とウラッススは直立すると、一礼して離れていった。
「問題は何があるか、教えていただけますかね」
本題に入ろう、とローガンが言外に促すと、ファルスは何度か頷いた。
「補給はほとんど断たれている。例のアルカディオ様が連れてきた商人の元へは人は出入りしているが、物資は一向に届かない。騙されているとは思っていないが、結果は出ていないな。第六軍はいよいよ本腰を入れている。お前たちが遠くへ出ていて逆に助かったかもしれん。第六軍の兵士は、倒れた仲間のために必死になっているんだ。何が何でも魔物を滅ぼしてやる、とね」
言葉が過ぎますよ、とローガンは指摘しておいたが、第六軍の参謀は無言を通している。彼には魔物への怒り、憎しみが強くあるようだ。それこそ、ファルスや剣聖騎士団に対する敵意以上のものが。
「中央に掛け合っているが、第五軍の一部をここへ集める予定だ。そして陣地を更に拡張する。できる限り、ここに魔物を引きつけるしかない。もはや魔物を一挙には討ち滅ぼせないという意見は、中央にもあるようだ」
「そのことだが」
唐突な第三者の声に、ファルス、ローガン、ルーカスがそちらを向いた。
「アールか」
ファルスが唸るような声を出した。
「どこかへ消えたと聞いていたが、戻ってきたか」
「ええ、まぁ、ちょっとした大冒険がありまして。死ぬかと思いましたが、この通り、生きております」
おどけたような口調に、ファルスとルーカスが似たような表情に変わる。アールに対する評価では共通するものを持っているのだろう。しかし、そうか、ルーカスとアールは旧知なのだ、アルカディオの麾下として。
「で、アール、何を見てきた」
問いかけは実に軽い調子だったが、ファルスの目は真剣だった。
そしてアールも真剣な口調で応じた。
「少し、闇の峰に登ってきました」
「闇の峰……?」
「伝承の通りでしたよ。死者の峠、冥府の門、そして闇の峰です」
ちょっと待て、とファルスが遮った。
「闇の峰というのは、あの、昔の伝承にある闇の峰か? おとぎ話だろう」
「だと良いんですが、そこで奇妙な剣を見ました」
「まさか、魔剣とでも言うんじゃないだろうな」
「魔剣でしたね」
場に沈黙が降りた。
もし場合が場合なら、誰か一人くらいは笑ったかもしれない。冗談はよせ、などと言いながら。
しかし誰も何も言わない。
重苦しい空気の中で、ファルスが小さくため息を吐いた。
「聖剣が実在するのだ、魔剣が実在していけないわけがない」
「そういうことです」アールが頷く。「闇の峰では、溶けた岩が噴き出しているのですが、その岩から魔物が現れるのも目撃しました。つまり、魔物は地中から湧いて出ているようです。いつまで沸き続けるかは推し量れませんが、ともかく、山が火を噴いている限りは、魔物は増え続けます」
最悪な情報だな、とファルスがつぶやき、腕組みをした。
「闇の峰は、遠すぎる」
ローガンはそう言葉にしてから、当たり前のことを口にしている自分が恥ずかしかった。
闇の峰に突入する部隊は、孤立することが確定している。それも魔物の群れの中で。
決死隊になるだろう。
しかも、かなりの戦力をまとめた決死隊だ。これが壊滅すれば、ソダリア王国は主力を失うも同然になるかもしれない。
決死隊に剣聖が参加するのは、避けては通れないのだから。
ここで戦力を出し惜しみしてはいられない。
当たり前の事実だが、ローガンがそこまで考えるように、ファルスも、ルーカスも考えただろう。ほとんど責任を負う立場にないアールでさえ、思案している気配があった。
「軍議を開いて、決めるとしよう。ここで話し合って結論が出るものでもない。もっとも、ここにいるものはほとんど同じ意見だろうが」
そのファルスの言葉を受け、ローガンとルーカス、アールは指揮所を出た。同時に第六軍の参謀も足早に離れていった。今のやりとり、新しい情報を軍団長以下に説明するのだろう。
ローガンはルーカス、アールとともにアルカディオの様子を見に行った。
小さな幕舎で、アルカディオは横になっていた。すぐそばに二人の女性、ターシャと、リコという人物が控えている。アルカディオのすぐ横には少女が寝ている。この少女はサリースリーというらしい。
「回復していないか」
アールが言いながら、アルカディオの顔を覗き込む。アルカディオは反応しない。
「イダサ様が力を貸してくださいましたが、うまくいかないようです」
冷静な口調で答えたのは、リコだった。ターシャは無言で、唇を噛んでいる。忸怩たる思いがあるのかもしれない。
彼らの一体感が不思議と実感され、ローガンはそそくさとその場を離れた。
部下の様子を確認し、算段をつけておく必要もあった。
決死隊を構築する必要が、あるはずだった。
死地に送る部下を、選ばなくてはいけない、ということだ。
(続く)




