2-16 圧倒
◆
協議はあっという間に終わった。
そもそも時間がなかった。この戦場から遠く離れた地点にいては、何もできないの等しい。
まずは駆け戻ることだ。
一番早いのは間違い無く赤の隊。次が黒の隊になる。緑の隊は現時点で発生している負傷者を治療する必要があり、身動きが取れなかった。それをローガンが指揮する予備隊からの選抜部隊が守護するのが選び得る手段だった。
「どうも嫌な予感がする」
カスミーユが馬にまたがる寸前にそんな言葉を漏らした。
ローガンは答えなかったが、彼女と同感だった。実にまずい予感がする。
そもそもからして、魔物に知性がないというのは、すでに古い認識、誤った認識になりつつある。それはカスミーユやアルカディオが相手をした魔人の存在による。
魔人には間違いなく知性があり、つまり、策を巡らせてくる。
倒せることはわかっているが、厄介だった。指揮官、大将を討つのは戦の常道だが、魔人の所在がわからない。ついでに無数の魔物に守られてもいるはずだった。
仮に魔人が魔物を意のままに操れるとすれば、それは脅威以外の何物でもない。人間たちが一挙に窮地に陥るほどの、巨大な脅威だ。
「時間がない」
馬上のカスミーユがローガンを見下ろしている。不機嫌の極みにあるようで、目つきは味方を見るようなものではない。我知らずローガンは緊張した。
「イダサはお前が守れ、ローガン。無事に戻れよ」
答えを聞く前に、カスミーユは馬首を返した。アルカディオが「お気をつけて、ローガンさん」と空気に反した穏やかな言葉をかけてくれたが、ローガンはただ頷くしかない。
場所はぽっかりと広がる荒野。すぐそばには畑が見えるが、季節柄、何も生えていない。もちろん、人気はない。皆、遠くへ逃げているのだ。魔物の姿もほとんどないが、安心はできない。
周囲に視線を巡らせてみると、心細いものがあった。
陣地が構築されているわけでもなければ、大勢の味方がすぐそばにいるわけでもない。
カスミーユを先頭に赤の隊が駆けていき、黒の隊が続き、その馬蹄が地面を蹴り砕く音が遠ざかると、静寂がやってきた。昼過ぎの穏やかな日差しの下を、風だけがいやに強く吹いている。
のんびりしている暇はなかった。即席でもいいと、緑の隊を守る陣地の構築を予備隊に命じた。装備としては弓矢があるし、魔法を使えるものも含まれている。少しの敵なら持ちこたえるだろう。馬も回復させる時間がある。
どれくらいを過ごしたか、「来た」と誰かが言葉を口にした。
遠くに魔物の群れが見始めた。ありがたいことに五十体ほどに見える。陣地にいる予備隊と緑の隊の総数は四十だった。
いい勝負になりそうだ、と我知らずローガンは呟いていた。軽口を飛ばさずにはいられない心境だった。
「イダサ様、あとどれくらいの時間が必要かな」
すぐそばで負傷者を治療中の剣聖は「半時間です」と答えた。
「悪くない」
唇を舐めてから、ローガンは部下に防御態勢をとるように指示した。
◆
アルカディオは馬で駆けながら、何かがおかしいのを感じていた。
この別働隊を用意しての攻撃は魔物の側にしても予想外だったはずだ。それにこうも即応してくるとはどういうことか。陣地の様子が観察されていた、ということはあるかもしれない。魔物は無数に野戦陣地に押し寄せていたのだから。
ただ、別の疑問もあった。
別働隊が最も離れた地点で野戦陣地を攻略しようとするのは筋が通る。では、別働隊をそのまま放っておくだろうか。
自分だったら、とアルカディオは考えた。
野戦陣地を攻め落とすまで、横槍が入らないように別働隊は押さえておく。時間稼ぎをして、到着を遅らせる。
もしそれと同じ発想でくるなら、今、アルカディオたちは敵が計算した通りに動いていることになる。それで、自分たちはこれから攻撃を受ける?
カスミーユにそのことを問いかけるべきか、とアルカディオは考えたが、先を行く彼女の背中を見るとどうやら気付いている気配があった。
思考を進めれば、カスミーユはおそらく、敵がこちらを押し留めようとしても強行突破すればいい、と踏んでいるのではないか。赤の隊にはそれができる。魔法による圧倒的な攻撃力と、高い水準の騎馬隊としての機動力があれば、可能だ。
では黒の隊はどうすればいいか。
そこまで考えて、アルカディオは自分の役目のようなものに気付いた。
黒の隊は赤の隊への敵の追撃を引きつけることになるだろう。そして場合によってはローガンが指揮する緑の隊と予備隊の混成部隊が追いついてくるのを待つような形になる。剣聖であるイダサを捨て置くことはできない。
あるいは黒の隊も混成豚もろともに立ち往生するかもしれないが、赤の隊が野戦陣地に到達し、敵を退けてから救援に来る算段かもしれなかった。アルカディオもまた、容易に見捨てられる存在ではない。
最悪なことに、別働隊はイダサとアルカディオ、二人の剣聖の存在により自由な選択を失いつつある。
こうなっては、最大の課題は野戦陣地を陥されないことであり、そのためには赤の隊が必要だった。赤の隊のために、他の隊は動くしかない。
不合理、不条理な上に、非情、冷酷、どんな表現でも足りないほどの悲惨な決断である。
負けてはいけない、負けは許されないが故に、選ばざるをえなかった道だった。
「アルカディオ」
前方で声がする。馬の脚をわずかに早め、呼びかけてきたカスミーユの斜め後ろに着く。
「敵が来たぞ、右手前方だ、見えるか」
言われた方向にアルカディオは視線を向けた。地面がうねっているように見えたが、違う。数百程度の魔物の群れが押してきているのだ。
「左手にもいる。こちらは数は少なそうだ」
素早く反対側を確認。こちらにも魔物がいる。方角としては西なので、魔物のこれまでの動きでは東進しかしないはずが、今はこうして東に位置するアルカディオたちへ向かってきているのだから、変な前提条件を信じ過ぎていたようだ。
「赤の隊は敵中を突破していくから、あとは任せた」
どこまでもカスミーユは簡潔だった。赤の隊を追撃から守れ、と言っているのだ。
わかりました、というアルカディオの言葉にも返答はない。一層、速度を増したカスミーユに、赤の隊が続いていく。あっという間に一列縦隊に変わると、そのまま東西から挟もうとしてくる魔物の間を抜けようとする。
アルカディオはそれにやや遅れて続きながら、手で部下に信号を送り、左手側、西寄りに進路を変えた。まず数の少ない方を相手にすると決めたのである。
赤の隊がどうなったのかを確認する間もなく、黒の隊はアルカディオを先頭に魔物の群れに衝突した。魔物が轢き倒され、群れが散らばる。
あとは混戦だった。
黒の隊の剣士たちはほとんどのものが馬を捨てた。純粋な剣士であるがために、馬上での戦闘より地面に立っての戦いの方が得手とするのだ。馬は戦場から勝手に逃げていく。調教されているので、合図をして、それが届けば戻ってくるはずだが、これだけ魔物がいては馬は殺されてもおかしくない。
黒の隊のものが打ち合わせも何もなく、即座に二人一組になり、魔物を倒していく。片方が攻撃、片方が防御などという役割分担もなく、その場その場の連携は最適解に近い形で魔物を屠る。
ただ、あまりにも魔物の数が多すぎる。倒しても倒しも、後から後から魔物がやってくる。
アルカディオはターシャと組んで魔物を切り払っていく。ターシャには黒の隊の隊員のような高度な技はないが、しかし天性のものだろう、無駄な動きは少なく、また攻め時というものを心得ている。アルカディオが援護に回れば、黒の隊のものと遜色ない戦果を挙げている。
いつの間にか東から現れた大群も参戦してきたようで、黒の隊の四十名は数での圧迫を受け始めた。一組、また一組と魔物の攻撃を受け、倒されていく。
アルカディオは周囲を素早く確認した。比較的近い位置に、指揮官であるストラがいる。
「ストラさん! 戦場を離れる間を作ります、そこで隊をまとめて離脱してください!」
「了解です、剣聖様」
即座に返事があった。アルカディオが何をするのか、言葉もなく把握したようだった。
アルカディオは覚悟を決めた。
ここで技の全てを見せなくては、剣聖として失格だ。
強く破砕剣を握りしめ、魔物の群れに飛び込んでいく。ターシャが背後についてくるのは感じた。彼女の存在を加味して動くしかない。
地面を滑るように移動し、その後には魔物が解体されていく光景が展開された。
剣聖として遥かな高みに達した歩法と剣術の融合は、瞬間的にアルカディオ一人の力を十人を超える使い手のそれへと変質させた。
魔物の群れの一角が切り崩されたが、まさかそれがアルカディオ一人によるものだとは、容易に信じられなかっただろう。
勢いに押された魔物が後退するところへ、さらにアルカディオは踏み込んでいく。
この空隙に、黒の隊は離脱できる。
そうアルカディオは思った。
だが背後を見て、ぎょっとした。
黒の隊のものが陣を組み、アルカディオが押し込んだところへさらに押し込もうとしているのだ。先頭にはストラがいる。
「逃げてください、ストラさん!」
動きを鈍らせたアルカディオは危うく魔物の群れに飲まれそうになりながら、破砕剣で撃退していく。
その彼にストラがはっきり答えた。
「黒の隊は剣聖様のそばを決して離れません! そんな経験は一度で十分だ!」
バカな。
アルカディオは衝撃に打たれ、言葉を失った。
この戦場での勝敗はすでに決している。黒の隊は、逃げ出さなければ最後の一人まで殺し尽くされる。
その逃げ出す好機が、たった今、過ぎ去ってしまった。
魔物の圧力が増していき、黒の隊は密集隊形をとった。
それを少しでも守るために、アルカディオは躍動する。
彼の心の中には無力感が芽生え、あっという間に膨れ上がっていた。
仲間が、死んでしまう。
仲間を助けることは、アルカディオにはできない。
誰かが悲鳴をあげるのを、アルカディオは悲壮な思いで聞き、しかしそちらは見れなかった。
剣が向かう先だけを見た。
敵だけを見た。
まるで見たくないものから目を背けるように。
(続く)




