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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
131/155

2-15 錬金術士

      ◆


 野戦陣地では日が暮れてから別働隊が一箇所に集まっていた。

 その中にカスミーユ、イダサ、アルカディオの姿がある。隊を構成しているのは赤の隊、緑の隊、黒の隊で、つまり剣聖騎士団を主力としていた。予備隊からも兵が割かれ、指揮はローガンが執る。

「さすがにここを留守にするわけにはいかん」

 見送る立場であるファルスが、そうイダサに声をかけてきた。

「僕はあまり不安でもないよ。かなり強力な隊だと思う」

 率直なイダサの言葉に、俺もそう思うよ、と答えてからファルスは真面目な顔になった。

「魔物の毒に関する人体実験は終わりにしたんだよな?」

 そう、とイダサは頷いた。

「興味は尽きないけれど、危険すぎる。生死剣と最も相性がいい僕ですら危うい」

 聖剣の一つ、生死剣は生命に作用する。治癒力の向上どころか、瀕死の人間を回復させることもできる。そしてその力は聖剣の所有者たる剣聖が最も大きな恩恵を受ける。

 その圧倒的な生命力を持つイダサですら、魔物の毒に対抗するのは難しかった。緑の隊の中でも高位の使い手を選抜して実験に参加してもらったが、彼らには早い段階で外れてもらった。常人では魔物の毒に抵抗することはできない。

 結局、魔物の毒への対処法は、傷を受けたら即座に抉り取るしかない。

 その方針が出てからは、人間たちは魔物の攻撃を防ぐための盾を急造で作ったり、魔物の攻撃を封じながら倒す戦法を模索している。もっとも、それで万全とは言えない。

「生きて帰ってこい、イダサ」

 ファルスはそう言うと、拳で軽くイダサの胸を打った。

 別動隊は魔物の活動が緩慢になってから野戦陣地を出た。北へ走り、戦場を迂回する形でやや東寄りに進路をとる。それでも魔物とは遭遇するが、赤の隊が対処した。魔法は目立つと考えたのだろう、彼らは槍で魔物を突き上げ、高々と跳ね上げている。

 夜が深まる頃、ついに別動隊は戦場を離れ、何の妨害もなく、東部の北に広がる丘陵を走っていた。

 小休止となった時、イダサはそれとなくアルカディオの元を訪ねた。

 アルカディオは男性と遜色ない体躯の女性と座り込んで何か話していた。ターシャという女性だ。彼女はイダサに気づくと、アルカディオに何か耳打ちして離れていった。どうやら二人きりで話せるように気を使ってくれたらしい。

 アルカディオはイダサを待ち構えている。

「少しよろしいですか、アルカディオ殿」

 どうぞ、とアルカディオが自分の横を示す。イダサはそっと腰を下ろし、少しだけ夜空を見た。よく晴れていて、星が瞬いている。月も綺麗だった。

「アルカディオ殿にお聞きしたいことがあるのです」

「なんでしょうか」

 どこまでもアルカディオは平静だった。落ち着いていて、度量の広さが感じられた。それは本当だろうか。それともそう見せているだけか。

 今はそれはどうでもいい。

「アルカディオ殿は人造人間だと聞いています。それもおそらく特別な人造人間だと」

「そうです。あまり多くは語れませんし、理解してもらえないだろうところもありますが、僕は人造人間で、人間とは違います」

「人造人間に、製造者の色が出るのはご存知ですか」

 思わぬ言葉だったのだろう、アルカディオはキョトンとした顔になった。

「いいえ、聞いたこともありません。それが何か、問題ですか」

「あなたは遠くから見ると、ベッテンコード様に見えることがある。つまり、あなたを作った人物は、ベッテンコード様を基礎としてあなたを作ったのでしょう。それは当然です。ベッテンコード様の技の全てを継承するのですから、ベッテンコード様に近い方がいい」

 アルカディオの瞳には興味の色が見て取れた。

 イダサは言葉を続けた。

「だけど、それだけじゃない。ベッテンコード様以外の何かが見える気がするのです。それは、私の友人によく似ている。気のせいだろうと思うこともありますが、あなたを見れば見るほど、確信のようなものが浮かんでくる。そのことを、いつお話ししようかと、迷っていました」

「イダサさんの友人とは、なんという方ですか」

 穏やかなアルカディオの問いかけは、自然とイダサからその名前を口にさせた。

「クロエス、という男です。ともに人造人間の研究をしました。彼は天才だった。そして罰を受けて姿を消した」

 アルカディオは何かに迷ったようで、少しの間、じっと口を閉じていたが、短く息を吐いて言葉にした。

「僕には二人、父親がいます。一人は、ベッテンコード先生。そしてもう一人はクロエス先生です。きっとクロエス先生は、イダサさんの友人という方と同じ人物でしょう」

 そうですか、とかすれた声がイダサの口から漏れた。

 生きていたのか、と思った。

 研究を続け、発展させたことに全身が震えた。

 今、イダサが人造人間を作ったとしてもアルカディオのような人間と同等の知性を持つ人造人間は作れないだろう。アルカディオは驚異的な治癒力があるが、それを真似することもできない。

 クロエスはイダサより遥か先まで進んでいることになる。

 錬金術士としては歯がゆいものがある。恵まれた場所、環境で日々を送りながら、ほとんど前進していない自分が恨めしい。

 一方で、友人としてクロエスの成功を嬉しく思う。サリーにまつわる一件でも、彼は諦めなかったのだ。投げ出してもおかしくないものを、全部抱えて、こうして結果を出した。

 クロエスこそ、この国、あるいは世界での最高位の錬金術師だろう。

「教えていただき、ありがとうございます、アルカディオ殿」

 すっくとイダサは立ち上がった。

「イダサさん」そこへアルカディオは言葉を向けてくる。「クロエス先生については、お話できることがまだあります。なんでも聞いてくださって構いません」

 いいえ、とイダサはアルカディオに柔らかく微笑んだ。

「あいつのことは知っているつもりです。生きていると、研究をしていると、それがわかれば満足なのです」

 それでは、と一礼してから、イダサは自分の部下の方へ戻った。

 クロエスのことを考えると、胸の奥が熱くなった。

 情熱、と呼ぶのだろうとイダサは感じていた。

 別動隊はそのまま夜明けまで小休止を挟んで前進し、予定地点に到達した。ここから真南へ駆け抜けながら、魔物の群れを狩れるだけ狩り、打ち崩せるだけ打ち崩す。そうすることで、一時的に魔物の西進の勢いは弱まり、野戦陣地は息をつけるだろう。

 別働隊の指揮はカスミーユだった。

 前方から指揮が伝達され、別動隊は南下を開始する。

 左手に東部山脈の威容を望みながら、ひたすら二〇〇名の騎馬隊が駆けていく。

 やがて最初の魔物の集団と接触した。魔法の集中砲火で粉砕し、そこへ騎馬隊が突っ込んでいく。イダサの役目は負傷者の回収だった。移動しながら十分な治療などできない。魔物の爪牙を受けた部位を抉り取り、とりあえずは応急処置で出血を止める。本格的な治療は南下が完了してからと事前に決められていた。

 駆けても駆けても、魔物は尽きることがない。むしろ魔物で溢れかえり、まるで別動隊は魔物の海を突き進んでいるようだった。

 早く、早く、とイダサは念じていた。

 時間がかかればかかるほど、負傷者は命の危険が大きい。すぐに治療してやりたい。苦しませたくない。

 イダサは背中の生死剣を意識した。馬に乗りながらでは集中できず、何かあった時に取り落とすかもしれなかった。この点はファルスが念を押したことの一つでもあった。同時に、イダサ自身を失うことも下策だとファルスは言っていた。この戦いにおいて生死剣は重要な意味を持ち、イダサが死んで次の剣聖を探す、というのは絶対に避けるべき展開だという。

 イダサ自身もそれは同感だったが、しかし命を惜しむことには抵抗があった。

 魔物と戦っている全員が、命を惜しんでいない。決死、必死で剣を取っている。

 それなのに、イダサは命を惜しめとファルスは言う。直接に言葉にはしないが、カスミーユもそう思っているだろう。ローガンもファルスの考えを尊重しているのか、別働隊でもイダサを隊の中央に近い位置に置き続けた。そこにいる限り、魔物と剣を交えることはない。

 数日の間、馬を休ませる時間以外は戦闘の連続という時間が過ぎた。昼も夜も、戦いだった。

 どれくらいを進んだか、不意に魔物の数が減った。

 南へ出たのだ、とイダサは直感した。咄嗟に周囲を見ると、地形には事前に打ち合わせた目印が揃っている。終点が来たのだ。ここで隊をまとめ、負傷者を治療したのちに野戦陣地へ戻ることになる。

 うまく計画が成功しているといいのだが。

 イダサがそう思った時だったが、誰かが「伝令だ」と口にした。

 視線がやがて一点に集中した。北寄りの北西方向から、騎馬が数騎、駆けてくる。

 彼らが報告した内容に、別動隊は騒然となった。

 伝令が伝えた内容は、野戦陣地が魔物の攻勢を受けている、というものだった。

 魔物は数を大きく減らしたはずだった。イダサたち別動隊は間違い無く、それを実行した。

「裏をかかれましたかね」

 なんでもないような口調でローガンが言う。

 イダサは反射的に彼を見たが、はっとした。

 ローガンの顔は青ざめていた。



(続く)

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