2-14 勝って負ける
◆
サリースリーの戦いは続いている。
魔人の魔法の威力は凄まじいが、しかしサリースリーの魔法結界を破壊するには至らない。
一方のサリースリーもまた、攻撃を防ぐ合間に反撃を試みるが、魔人の途切れない攻めに対抗できずにいた。
魔人はもはや剣を動かさず、その先から伸びる合計八本の光の鞭で、まさに四方八方からサリースリーを狙っている。
見誤っても魔法結界で防げる、などとサリースリーは思わなかった。
魔人を侮るべきではない。今は魔法結界を破れないように見えても、奥の手、切り札があり、魔法結界を実は破壊できるかもしれなかった。
手の内を全て明かすのは、間抜けのやることだ。サリースリーにもその程度の発想があった。
魔法結界の範囲を巧妙に加減し、魔人の魔法を弾く角度を調整し、間隙を生み出す。
そこへ飛び込もうとした瞬間、魔人の手が翻った。
伏せるほど低い姿勢になったサリースリーの頭上をかすめる光の螺旋。
這うような体勢で、しかし矢の如き突進を継続しながら、回り込むように進路を変更。魔人が舌打ちをして両手の剣が打ち振られる。光の帯がサリースリーを追いかける。
やはり、とサリースリーは考えていた。
魔人にはサリースリーの魔法結界を破壊する手があったのだ。あの螺旋の攻撃を決定的な場面でねじ込まれる事態を避けられたのは僥倖だった。もちろん、あの一撃を際どく避けることができたのも僥倖だ。
これで相手は一つ、手札を見せた。
ついにサリースリーに光が追いつく瞬間、急制動で直角に横に跳び、攻撃を回避する。
間合いは十分に詰めた。
サリースリーが両の手のひらを突き出す。
魔人が反応しようとし、しかしその顔には驚愕。
動きを止めた魔人が歯を食いしばり、しかし動けない。
一方のサリースリーも動きを止めていた。びっしょりと汗をかきながら、両手に力を込め続ける。
それでも魔人の手が強く剣を握りしめると、光の線が放射され、サリースリーを狙う。これは魔法結界に弾かれ、明後日の方向へ流れる。
どちらも言葉を発さないが、事態は明白だった。
拘束し続けるか、拘束を破るか。
その我慢比べだった。
サリースリーの両手で紫電が激しく瞬き、魔人へと伸びるが、一層強く瞬くと消滅していく。魔人による魔法障壁。
人間には扱いえない、龍の力を受け継ぐが故に行使できる超級の魔法が、魔人を抑え込むことにかかりきりになっていた。
舌打ちする余裕もないまま、サリースリーは歯を食いしばって力を込め続けた。
相手の動きは止まっている。あとは焼き滅ぼせばいいはずが、魔人を焼くだけの威力が用意できない。魔人は今にも拘束を力づくで破りそうになっている。
勝機なのは間違いない。サリースリーはここで攻めるべきだった。
人造人間の肉体が恨めしかった。
全身に負った小さな傷の治療が間に合っていないのは、体にある力のほぼ全てを魔法につぎ込んでいるからだ。魔法結界にも莫大な魔力が必要で、それを賄うために生命力さえも差し出していた。
自分に死があるのか、とサリースリーの思考の一部が思いを巡らせる。
龍である自分も死ぬことがあるのか。人造人間の肉体に宿る以上、この肉体が滅びれば、それは間違い無く死だろう。
しかし龍でもある自分は、どこへ消えるのか。
龍は死を知らない。眠りが最も近い概念だ。アルスライードもまた、眠っていたのだ。クロエスと出会うまでは。
死に興味などない、とサリースリーは思った。
同時に、死を覚悟した。
両手に自然と裂傷が生まれ、血が爆ぜる。さらに皮膚が焼け焦げ、煙を上げ始める。
呻き声を上げたのは、魔人もサリースリーも同じだった。
真っ白い肌をどす黒くさせ、血管を浮き上がらせながらの魔人の圧倒的な力がサリースリーの拘束に抵抗し、同時に魔法障壁が激しさを増す雷撃を打ち消し続ける。
サリースリーの腕は血にまみれ、焼け焦げていく。
勝敗がつかないかに見えた。
そうでなければ、攻めきることができないサリースリーが敗北しただろう。
だが、状況は一瞬で変わった。
遠くから飛んできた何かが、魔人に頭に突き立った。
ただの矢だった。
何でもない普通の矢は、魔人を仕留める威力を持たない。
それでも思考が一瞬、中断した。思考が中断した以上、魔人の魔法障壁が刹那だけ、解けた。
爆発的に膨れ上がった雷撃がついに魔人を捉え、瞬間で焼き尽くした。
絶叫を上げる魔人の目が白濁し、煙を上げる。そのまま全身があっという間に消し炭に変わり、最後には粉々に弾け飛んだ。後に残ったのはわずかな肉片と、二本の剣の残骸だった。剣さえも破壊する威力の雷撃だったのである。
そんな光景を、サリースリーはゆっくりと眺める暇もなかった。
周囲では魔物が声を上げ、押し寄せてこようとしている。
彼女は膝をついており、動けなかった。あまりの疲労に、体が追いついていかない。その上、魔物たちは自分たちの指揮官を討たれたことに怒り心頭のようだった。
勝利して、敗北する。そのことにサリースリーは感慨深いことを感じていた。
かつての龍たちもそうだった。魔物に勝利したが、人間に敗北したようなもの。
視界に入る魔物の先頭の一頭が牙をむき出しにして、すぐそこにいる。
死んだ。
自分の死を直視しようと視線を向け続けたサリースリーの前で、その魔物の首が飛んだ。
矢だ。続けざまに矢が放たれ、魔物を射殺していく。時折、指笛が響き、魔物たちは自然、そちらに興味を惹かれたようだった。彼らに知性が少しでもあれば、もう少しサリースリーに執着したかもしれない。
形だけの魔法で魔物を遠ざけたサリースリーは、魔物の群れを斬撃で割るようにして進み出てくる人間を見て、思わず目を細めた。
どう見ても、ここにはいないはずの人物。
アールだった。
「サリースリー殿、お助けに参りました」
普段通りのアールの軽口に、もうサリースリーは答える言葉がほとんどなかった。
「私は」やっと言葉にする。「休む」
承りました、とアールが平然と答え、サリースリーに背中を向けた。アールに魔物を一人で打ち払える自信があるようには見えないが、承ると言ったのだ。ならやるだろう。サリースリーはこの時ばかりは、信用できるようなできないような、微妙な戦友を信じることにした。
目を閉じると、全身に何かがまとわりつき、急速な眠気が意識を侵食していった。
体が傾くのがわかるが、止めようもない。
頬が何かにぶつかり、ざらついた感触。
どこか懐かしい土の匂いが漂い、それさえも消えた。
サリースリーの意識は底の見えない暗闇に落ちていった。
◆
アールは魔物を次々と切り倒しながら、倒れこんで動かないサリースリーを守った。
背負ってやろうとしたが、その前に力尽きたのだ。
アールは闇の峰で魔物に追われ、崖から落ちた。というか、自ら飛び込んだ。
落ちる途中で何かに引っかかった後、強烈な衝撃に背中を打たれ、瞬間で意識を失ってしまったのは覚えている。
気づいた時には、河原に倒れていた。どうやら崖の下の川に落ち、その上でかなり長い距離を流されたようだった。
奇跡の上の奇跡だった。
とりあえずは居場所を確かめなくては、と思ったが、そばには誰もいなかった。腰には鞘に収まった剣があったのは幸いだった。彼はまず人を探して歩き出した。
何度も魔物の相手をしているうちに、自分がだいぶ東部から離れたことと、魔物の向かってくる方向からして、東部の中でも西に近い位置にいると見当がついた。魔物が東から西へ向かうなら、だったが。
そのうちに、街道へ出たが、人気はない。太陽の位置で東を目指しているうちに、魔物の群れが動きを止めているのに出くわしたのは、目を覚ましてから丸二日以上が過ぎてからだった。まともに食事も取れず、疲弊していたがアールはさして気にも留めなかった。
生きていればいい、と思っていた。
そんなアールは、魔物の群れが動きを止めている光景は尋常ではないとわかっても、まさか魔物の群れに割り込めるわけもなかった。
そんなことを思いながら様子を見守っているところへ、不意に人の気配がし、剣を抜いて振り向いたアールの前には、見知らぬ男がまっすぐに立っていた。
知らない相手でも、どう見ても白の隊のものだった。
ただ、彼も困惑しているようだった。
「アール殿ですね。どうしてこちらへ」
どうやら自分の闇の峰への偵察のことは聞いていないらしい、と考えたが、すぐに否定した。闇の峰へ行ったはずのアールが何故ここにいるのか、と尋ねているのである。
それがわかったので、逆にアールは彼がここで何をしているのか、訊ねた。アールのそばにいたわけではないのも自明だった。
すると、あの魔物の群れの中でサリースリーが魔人と呼ぶしかない魔物と戦っているという。
「なぜ、助けんのだ」
「無謀です」
アールがいつになく苛立ちながら、その男から弓と矢を調達した。
サリースリーを見捨てる事など出来なかったのだ。
結果、助けることはできたが、窮地に変化はない。魔物の数が多すぎる。
「白の隊! 援護しろ!」
剣を振りながらアールは怒鳴った。彼らしくない、まさに怒鳴り声だった。
反応はない。
言葉での反応はだ。
不意に人が三人、影から生まれるようにアールの左右と背後についた。
一言もなく、彼らは剣を抜いて魔物と相対した。
死んでたまるか、と内心でアールは思った。
拾った命だ。こんなところで捨てたくはない。サリースリーも連れ帰ってやる。
くそったれの魔物どもめ。
怒りを力に変えて、アールは剣を振り続けた。
(続く)




