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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
13/155

1-12 重荷

      ◆


 巨大な白い岩はどうやら生物であるようだった。

 しかし、とてもまともな生物ではない。

 それにしては巨大だ。やっと白い岩の全てが頭部だとわかったけど、人の背丈より高さはあるし、奥行きはよく見えない。どうやら体の大半は埋まっているようだ。

 まさか、これが龍? 古から生きるという?

(人の模造品よ、お前の考えていることはよくわかる)

 また声が響く。しかし空気は震えていない。声じゃなく、思念それ自体が届いているようだ。

「よくわかるって、どういう……」

 恐々と訊ねると、巨大な眼がわずかに細められる。

(お前は私の一部だからだよ、模造品)

 私の、一部……?

 反射的にクロエスに目をやっていた。彼は食事を続けていたようで、サンドイッチの最後のかけらを口に放り込むと、もごもごと判然としない発音で答えた。

「彼の言う通りだよ、アルカディオ。君は彼の一部なんだ。僕はこの島に逃れて、龍について徹底的に調べて、こうして龍そのものと知遇を得るに至ったわけだ」

 知遇を得る? 龍と?

 そんなこと、ありえるだろうか。

 魔法使いの中には精霊や魔物と交信する者がいると数日前に、館の一室で教えてくれたのはクロエスその人だった。その時に彼は「半分は虚偽だね」と切って捨てていた。

 龍と知遇を得るのも、虚偽と思うものが大半だろう。

 だけど僕は今、こうして龍そのものを前にしているわけで、目と鼻の先で龍と錬金術師は意思疎通している。

(信じられぬかな、模造品よ。龍というものを疑っておるのか?)

「い、いえ、滅相もない……あ、いや、失礼しました、滅相もありません」

(へりくだる必要は無い。私も今や、岩となりつつある)

 同じことが聞こえているのだろう、クロエスが口元を隠して笑う。

「龍が岩になるというのも滑稽だね。アルスライードは岩に埋もれて、どれくらいだったかな」

(人間の手品師風情にからかわれるとは、私も落ちたものだ。それに岩に埋もれているわけではなく、自らを封印したのだ。一二〇〇年前にな)

 なんだって? 今、一二〇〇年前、そう言ったのか?

(その通りだよ、模造品。私は一五〇〇年余りを生きてきた。私がこの世に生まれた時、文明などなく、また都市などというものもなかったな。いや、あの後に生まれた文明も都市も、魔物どもによって潰えたが)

 ……何もかもの尺度が違いすぎる。

 えーっと、ここへ来る道すがら、クロエスは何と言ったか。確か、魔法使いは一〇〇〇年という時間をかけてその技を磨いた、というようなことを言ったはずだ。龍はそれよりも古くから存在することになる。

 そして龍が言っていることが本当なら、魔物も実在したわけで、それで、どうなるんだ……? 聖剣は本当に伝説の通りの出自の武器で、特殊な、極めて特殊なもの、ということかな……。

 まったく思考がついていかない。

 どうなっているんだ?

(模造品よ、取り乱すことはない。どうせ人の世だけではなく、この世界それ自体がいつかは終わるもの。生きてみれば、一〇〇〇年も一五〇〇年も大した違いはない。川として水が流れるようなものだ)

 ……五〇〇年は大きすぎる期間、果てしない時間なのでは?

「という訳でね」

 クロエスが軽く手を打って、ちょっと声を張った。

「アルカディオ、きみにはこの古の龍、アルスライードの鱗を移植してある。一二〇〇年を経ても決して朽ちることなく、またそれ以降も決して朽ちることのないであろう、龍を形作るものがきみの根幹には組み込まれている」

 龍の鱗。

「そのせいで、僕は不死だって、クロエス先生は言いたいんですか?」

「そう」

「でもどうやって、効果があるってわかったんですか? 先生は前、言いましたよね。僕は最初の試作体だって。あれは、嘘なんですか? 僕が生まれる前には、その、多くの……」

 犠牲があったんですか?

 そう言いたかった。

 でも言えなかった。

 目元が見えなくても、クロエスが少し寂しそうな顔をしたからだ。

 僕はぐっと言葉を飲んだ。

 彼を悲しませるのは間違っている。それは記憶がなくても、人じゃないとしても、わかる。

 わからない方が、どうかしている。

「アルカディオ、きみが試作体の最初の一体なのは事実だよ。ただ、実験はした」

 クロエスがそう言ったところで、まるで助け舟を出すように思念が頭の中に流れ込んだ。

(師を悲しませるものではないぞ、模造品。私とそこな手品師とで、様々なことを試した。私自身の一部を切り離すまで、多くの困難があり、またそれに伴い悲劇もあった。その報いは手品師だけではなく、私も受けるべきであろうな)

 クロエスは口をつぐみ、アルスライードという龍も黙った。

 僕は何も言えず、足元を見ていた。

(生命の線引きとは難しいものだ)

 深い響きの思考が流れてくる。

(人間は植物を食べることもあれば、動物を食べることもある。我らのような岩とは違うのだからな。では、植物という生命、動物という生命に、どれだけ思いを馳せるだろう。私が知っているところでは、人は植物にも動物にも、何の痛痒も感じない。植物を殺し、動物を殺し、しかし食すわけでもなくうち捨てることも多い。虚しいことよな)

 僕はもちろん、クロエスも答えなかった。

 龍の指摘はおそらく、あることだ。

 人間は植物はもちろん、動物にも一顧だにしないで日々を過ごす。生きていると認識することもともすると忘れてしまう。

 僕がさっき食べた厚切りハムは、きっと元は豚としてどこかで飼われていた。

 僕がさっき食べた鶏卵だって、鶏が産んだのだ。もし育っていれば、ひよこになり、鶏になったかもしれない。

 それにきっと人間は、目の前にいる人間がいつまで生きているのか、そんなことを心配したりはしない。明日もいるだろう、を積み重ねていくのが人間の日々だ。そして誰かが永遠にいなくなった時、初めてその存在の大きさ、重さに気づく。

 手遅れだ。

 でも、不安や恐怖に怯えて日々を過ごすわけにもいかない。

 僕が生まれるまでに何があったのかを、クロエスも、古の龍も詳細には教えないだろう。

 知ってはいけないことだからだ。

 僕の重荷を、彼らは軽くしてくれている。今でも僕の過去にまつわる重荷はある。でもそれは想像しているだけのこと。事実として知ってしまえば、途方も無い重荷に変わるはずだ。

(良いか、模造品よ)

 龍の瞳が僕を映す。

(お前は生きているのだ。今、生きている。ならば、生き抜くべきだろう)

 まったく、その通りじゃないか。

 僕が自分の出自について悩む時期は、もう過ぎ去ろうとしている。

 知るべきことはおおよそ知ったと思う。

 わからないのは、生きる目的、生きる理由だった。

 それさえも、今、龍が単純な言葉で与えてくれていた。

 目的とか理由とか、そんなことを考えずに、ただ生き抜けばいい。

 龍はそう伝えてきたのだ。

「ありがとう、ございます」

 どうにか僕は言葉にした。

 不思議と感謝しかない。怒りも憤りも気づくと遠く感じれた。

 僕はクロエスの方に向き直り、もう一度、「ありがとうございます」と深く頭を下げた。

 慣れないなぁ、とクロエスは笑ったようだった。

「もっと罵ってくれると、僕も楽なんだけど」

 錬金術師に笑みを向けてから、僕が向き直った時にはもう古の龍、アルスライードは目を閉じていた。

(行け。私の一部が、お前を見守ることとなろう)

 それきりもう、言葉はなかった。

 龍は瞼を閉じたまま、微動だにしない。まるで岩そのものになってしまったようだ。

 帰ろうか、とクロエスが僕のそばに来て肩を叩いた。

 頷き返したけど、疑問がある。

 私の一部って、何のことだろう? どういう意味なんだ?



(続く)

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