2-11 人造人間の感慨
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サリースリーは、誰もが人生で数え切れないほど見るような街の様子を興味深そうに観察していた。
もっとも、人の活気がほとんどない街というのは、大抵の人間にも初めてではあっただろうが。
すぐそばではここまで送り届けた避難民が、リコに礼を言っている。すぐそばでは憮然とした顔でルーカスが立っていた。もっと自分に感謝しろ、という姿勢にも見えるが、彼の性格からして急いでアルカディオの元へ戻りたいのだろう。
優雅と言ってもいい仕草で、リコが一人ひとりに答え、中には涙を流す者もいる。
命というものは一人に一つしかない。失ってしまえばそれまでだ。そして、自分はもとより、他人もその一人は一人しかいない。失われてしまえば、やはりそれまで。
自分が人間ではないということをサリースリーは考えていた。
人造人間は、基本的に同じ性能のものを再生産可能だ。人間にはできない再現ができるということになる。
ただ、ともサリースリーは思うのだった。
今の自分はここにしかいない。旅の中で見聞きしたことはサリースリー独自の体験なのだ。経験やそこから生じた発想や理屈は、別の個体に同期できない。
結局、人造人間でさえ、一つの個性を持ち、唯一無二の存在になるのだろう。
リコが最後の老婆の手を取り、一礼してサリースリーの方へ戻ってきた。避難民はこの廃墟のような街から、さらに西へ逃れていくことになっていた。
「お待たせしました、サリースリー殿。補給をしてすぐに戻りましょう」
「当然だな。意外に時間がかかってしまった」
ルーカスも近づいてきて、リコと打ち合わせをして行動を始める。水と食料は是が非でも必要だった。カル・カラ島を出るときにクロエスがアルカディオに渡した路銀の一部は、リコが受け取っていた。どこも値上がりしているようだが、買うことはできはずだ。
サリースリーはリコにくっついて歩いた。迷子になるわけもないが、少女が一人でうろうろしているのは目立つだろう。
街では泊まるところがないものだから、避難民が大勢、道の隅の方にうずくまっている。場所によってはそんな人々がずらりと並んでいる。彼らの瞳にあるのは憔悴と不安。魔物によって住む場所を追われ、帰るところがないということか。
人間というのは不思議な存在にサリースリーには見える。
人間は知恵があり、勇敢であり、協力することができる。だから龍からこの世界を引き継ぐようなことになった。
しかし人間の知恵は全員を幸せにすることはできず、勇敢ではないものもおり、協力が悪い方向へ進んだり、そもそも協力を拒否するものもいる。正反対に他人の不幸を願い、恥じることなく逃げるものがおり、他人を支配し、従えようとする者さえいる。
この世界は決して一つにまとまらないのだ。
魔物が出現しても、究極の団結は発生しなかった。
路上にいる人々の前を通り過ぎるものは、堂々と胸を張り、しかし前だけを見ている。すぐそばにいるものには見向きもしない。
非情だろうか、無情だろうか。
当然だろうか、必然だろうか。
あの路上の者の様子に、心動かされないのか。
「サリースリー殿?」
リコの声にサリースリーは顔を上げた。不思議そうな顔で足を止めたリコが振り返っている。
「いいや、なんでもない」
サリースリーは笑おうとしたが、諦めた。笑えるわけがない。
食料を用意し、包みを手に馬を預けていて旅籠へ戻ろうとすると、その旅籠の前に人だかりができていた。人の声が聞こえ、どうやら別行動をしていたルーカスらしかった。
「なんでしょうか」
リコが足を速めるのに、サリースリーは無言でやはり足を速めた。
おおよそ、見当はついていたが。
サリースリーの予想通り、集まっているのはルーカスを取り込もうとする人々だった。この街にも魔物がやってくるため、既に南や西に逃げたものがいる。その時に腕が立つ用心棒や傭兵はあらかた根こそぎにされており、ルーカスは護衛として今、同行を請われているのだ。
「私はとある方のそばにいなくてはいけないのだ。東へ向かうのだ」
ルーカスが反論しているが、人々は聞く耳を持たない。
我々を見捨てないでくれ、という声もあれば、東へ行くなど死ぬつもりか、という声もある。銀はいくらでも払う、額を言ってくれ、という声もある。
「助けてあげましょうか。サリースリー殿、そばを離れないように」
そう言って人々の間に体を割り込ませたリコに続いてサリースリーも進むが、もみくちゃにされる。やれやれ、といったところだった。
ルーカスのすぐそばに出ると「これは何の騒ぎですか、あなた!」と不意にリコが声を上げた。
これにはピタリと人々が口を閉じ、視線がリコと、彼女に手を引かれたサリースリーに向けられた。
目を白黒させるルーカスに構わず、リコが一息に続ける。
「私の両親を助けに行くといったではありませんか。それが何ですか、もしや臆病風に吹かれて、逃げ出すつもりですか。私の両親は見殺しですか。別に構いませんよ、私とこの子だけでも行きますから」
「り、リコ殿?」
困惑するルーカスのそばで、サリースリーも釈然としないものを感じていた。自分がリコの娘などという大ボラが通用するだろうか。
ただ、驚くべきことに集まっていた人々はがっかりした様子で離れていった。それはルーカスに連れがいたということより、リコの迫力にルーカスが押されたことでルーカスへの評価が変わったようにも見えた。
「リコ殿、その、助かりました」
三人きりになったのを確認してからのルーカスの言葉に、いいえ、と平然とリコが応じる。そっとサリースリーの手を離し、彼女は馬を引き出し始めている。ルーカスが足早に旅籠へ、馬を預かってもらった代金を払いに行った。
「リコよ」
サリースリーは思わず声にしていた。
「私がお前の娘というのは、無理があろう」
振り返って微笑むリコはなんでもないように応じる。
「作り話なのですから、少しくらい無理がある方がいいのです」
人間の意思疎通はわからないな、というのがサリースリーの感想だったが、それは言わないことにした。もし人間と人間の間だったらもう少し会話も弾むかもしれないが、サリースリーは試さなかった。
ルーカスが戻ってきて、彼が用意していた水筒が幾つか、馬にくくりつけられる。
行こう、と彼が先頭に立って進み始めた。
街の外周は逆茂木で取り囲まれている。形だけとはいえ、魔物への対処だ。しかし武装している男たちの姿は少ない。本来は守備隊が置かれる街ではなく、住民から編成された自警団も脱走するものが多いということを、サリースリーは小耳に挟んでいた。
人間は賢いが、愚かでもある。
集団のために命を捧げることもあれば、自分の命のために集団を放り出すこともある。
正しい選択などないのだろう。正しい死に方がないように。
三人は逆茂木の間を抜け、馬にまたがると駆け出した。
サリーダッシュの中にはベッテンコードのことがあった。あの老人は常軌を逸していた。アルカディオに全てを教えるべく、人間性を捨てていたのかもしれない。
ベッテンコードなら、たった今、離れた町の光景に何を感じ、どう行動しただろう。
何のために力を行使したか。
答えは出ない。答えられるのはベッテンコードだけであり、ベッテンコードはすでにこの世にはいない。
馬はひた駆ける。街道を進むので道に迷うことはない。ただ魔物の襲撃だけは注意が必要だった。サリースリーたちが向かう方向と魔物の向かう方向は逆だ。つまり、すれ違うことになる。
取り囲まれなように、という注意をしながら、日が高くなるまで走り続けた。
それに気づいたのはリコが最初だった。
「ルーカス殿、見えるか」
「見えている。壁のようだな。南へ少し移動しよう」
サリースリーたちの正面から、密度の高い魔物の群れが押してきていたのだ。正面から突破するのは危険とルーカスを先頭に南への迂回を図る。
そうしていくと、魔物の群れがほとんど動いていないのに気づけた。
まるでサリースリーたちを待ち構えて布陣しているようなものだ。
南東方面へ向かうが、やはり前方に魔物の群れが見えてきた。
ただ、その集団の北側に空間がある。
ルーカスがそちらへ馬首を向ける。突破できると見たのだろう。サリースリーもそう思ったので、口を挟まなかった。
しかし次に起こったことは、驚異的だった。
魔物の群れが三人の方向へ動き出し、サリースリーたちを止めようとする動きを見せた。しかし距離は十分にあるから、それでもサリースリーたちはすり抜けられるはずだった。
次の瞬間、北側からも魔物の群れが南下してこなければ。
挟まれている、と咄嗟にサリースリーは判断し、「全速で抜けよ!」と声を出していた。そこはルーカスもリコも心得ている。二人は馬上で伏せるような姿勢をとり、馬を疾駆させる。
サリースリーは魔法による遠距離攻撃で南北からの魔物の足を止めようとした。
魔法は魔物を焼き払い、弾き飛ばしたが、巨大な群れは止まらない。
ルーカスが魔物の先頭と交錯するようにして突き進む。リコもそれに続いた。
サリースリーは少し遅れ、結果として、魔物の一体が彼女の乗る馬の横っ腹に衝突した。
馬が嘶いて横転し、サリースリーも投げ出される。
サリースリーの名をリコが叫んだ気がした。
「先に行け!」
地面で起き上がったサリースリーは怒鳴り、全力の魔法で殺到する魔物を押し返した。
ルーカス、リコは妨害を突破したようだ。
サリースリーは数え切れない魔物に包囲されている。
良かろう、討ち払ってくれる。
サリースリーは立ち上がりながら、両手を広げた。
強烈な魔力に、服の袖が毛羽立ち、そのまま破れていく。
魔物の咆哮が重なり合う。
サリースリーの腕が打ち振られた。
こうして龍の化身である存在は、魔物の殲滅を開始した。
(続く)




