2-5 救出
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魔物が殺到してきた時、さすがのアルカディオも冷や汗が流れた。
というのも、すぐそばに避難民の集団がいて、見るからに動きが鈍かったからだ。
最も早く行動したのはルーカス、そしてアールだった。ルーカスは剣を抜いて駆けていき、アールは避難民の方へ向かう。アールにはリコが続き、ターシャはルーカスの方へ走った。アルカディオとサバーナが出遅れ、「見物か?」とサリースリーに言われて、やっと動き出した。
ルーカスとターシャ、アルカディオが魔物を引きつける間に、アールとリコが避難民を小さくまとまらせた。サリースリーがその集団に向かう魔物の群れに立ちふさがり、初めて見せる雷撃を広範囲に発生させる魔法で防御を始める。
アルカディオはさりげなくターシャの様子を見たが、彼女は魔物を相手にしても気後れなどせず、縦横に鉈を振るっていた。それが変に堂々としているので、アルカディオは彼女を信頼することに決めた。
あとはひたすら、魔物を討つだけだったが、しかしなかなか、魔物が途切れることはない。
山が火を噴いたのは昨日のことで、それと関係があるのかもしれないが、考えている余裕はない。魔物が避難民の中に飛び込めば、極めて困ったことになる。それだけは何としても避けなければいけない。
手勢は限られている。避難民は三十名ほどが密集していて、全方位を守っていられるのはサリースリーが行使する魔法がほぼ半分を受け持っているからだった。
「私のことを気にする必要はないぞ」
両手から激しい雷撃を放出し続けながら、サリースリーがアルカディオに笑ってみせる。
「これまで出番もなかったのでな、腕が鈍ったのを整えるいい機会だ」
腕が鈍るも何もないと思ったが、アルカディオはサリースリーに任せることにした。今は彼女を頼るしかないし、彼女はそれを裏切らないはずだ。
少しずつ防御が楽になったのは、一時間ほどが経ってからだった。
魔物の動きが読めてきたこともある。ほとんど全方位を囲まれている形だが、全ての魔物がアルカディオたちや避難民を狙っているわけではない。魔物は東、やや北寄りからやってくるが、半分ほどはアルカディオたちを完全に無視して西方面は向かっていく。
どうやら魔物は是が非でも人間を襲うわけではないらしい。もっとも、こんなところでたかが三十人を相手にするより、さらに遠くへ行ってもっと大きな集団を襲うほうが利がある、という意思があるのかもしれない。少なくとも、アルカディオたちは徹底的に押しつぶされてはいなかった。
日が傾いていく中で、アルカディオたちは巧妙に前後を入れ替え、交代で休息をとった。休息といっても座り込むような余地はない。油断もできない。いつでも援護できる姿勢でいないと不測の事態をきっかけに総崩れになりそうだった。
サリースリーだけは休みなく、徹底的に魔物を退けている。魔法をそこまで長時間、使い続けるのは一流の魔法使いでも至難だろうが、彼女に疲労の色はない。それどころか、嬉々として魔物を倒している雰囲気さえあった。
そんな彼女をサバーナが恐怖まじりの顔で見ている。サバーナだけは実戦に参加できないので、避難民と一緒に他の面々に守られているのだった。
魔物を連続して切り倒してから、アルカディオは控えていたアールと交代した。
うっすらと浮かぶ汗を拭ってから、水筒を差し出してくれたサバーナに礼を言うアルカディオに、サバーナが震える声で言った。
「私の部下が協力すれば、避難民を逃せると思うのですが」
思わぬ内容に、「なんですって?」とアルカディオは確認した。そんな方法があるとは想像もしていなかった。アルカディオ自身、この戦闘が終わらないのかもしれないという危惧を抱き始めていたが、正しい対処法が浮かばないでいた。
唾を飲んでから、サバーナが一息に言ったことを、アルカディオは短い時間で検討し、頷いた。
「話し合ってみます。あまり余裕もありませんが」
そう答えると、サバーナは何かを覚悟した顔で頷いた。彼の部下も、アルカディオたちも、避難民さえも危険にさらされる計画なのだ、サバーナは責任を感じているのだろう。
サバーナの考えをアルカディオはまずルーカスに確認した。並んで魔物を打ち払いながら確認したこともあっただろう、ルーカスは「馬鹿な!」と大声で言った。
「無謀というものです」
「でも他に手がありません。何かありますか」
ぐっと言葉を飲み込んだルーカスが、まるで怒りをぶつけるように魔物を真っ二つに切り倒した。
次にリコに話した。
彼女はアルカディオに思わぬことを言った。
「隊を二つに分けましょう」
「え? どういうことですか」
「避難民と行動する隊と、避難民の背後を守る隊です。といっても、三人と四人ですから、隊とは言えませんね」
鋭く翻ったリコの剣が魔物の首筋を走り、首が飛ぶ。
アルカディオは少し考え、決めた。迷っている暇も、議論している暇もないのだ。
「危険な役目ですが、リコさんに任せてもいいですか? ルーカスさんと、サリースリーをつけます」
「サリースリー殿は」
甲高い音を立てて翻った刃が、魔物の腕を切り飛ばし、次の一撃で首を落とす。
「アルカディオ様のお側にいるべきではないですか」
「僕のことは気にしないでください。なんとかなります。それよりも、避難民をよろしくお願いします」
議論する余裕がないのを理解しているのだろう、リコは「承りました」と短く答えた。
アールに事情を話しても、彼は普段通りで「面白いことになりそうですな」と笑って答えた。
これでおおよそ全てが決定した。問題はサリースリーを説得できるかどうかだったが、休みなく魔法を行使する人造人間はあっさりと受け入れた。
「アルカディオよ、お前の判断を尊重しよう。しかし、無謀なことはするな」
わかっている、と答えながら、アルカディオは魔物の胴を輪切りにした。
サバーナに計画の実行を告げ、すぐにアルカディオは誰もいないところへ声を発した。
「白の隊の方、そばにいますね」
沈黙は短かった。
不意に背後に人の気配が立ち上がると、魔物を短剣の刺突で仕留めている。
見知らぬ男だった。
「お呼びですか」
まったく、いつも不意打ちで現れるものだとアルカディオは呆れたが、今はそれは重要ではない。
「サバーナさんの部下の荷車か、荷馬車をここへ突っ込ませてください。避難民を乗せて、離脱させます。出来ますか?」
「手配しますが、魔物が広範囲に散っています。しばらくはここで防御に徹していただかなければならないかと」
「承知しています。すぐに行ってください」
はい、と返事をした次には、男は一人で魔物の中へ飛び込んでいき、ひらりひらりと魔物の間を跳ねるように抜けて去って行った。軽業師じみた動きには唖然とさせられるが、やはりこれも気にしても仕方がない。
アルカディオたちは夕方が近くなるまで、戦い続けた。魔物の数は減ってきたが、まだ押し込まれそうになる数がいる。ルーカスはさすがに稽古を積んでいるせいか、まだ動けるが、ターシャは明らかに動きが鈍くなった。リコも苦しそうで、アールは平然と「お疲れですか、リコ殿。休まれますか」などと声をかけている。
日が完全に暮れる前に、音が聞こえてきた。
「際どかったですな、アルカディオ様」
アールがすぐそばへやってくる。ルーカスとリコ、ターシャが壁となって避難民を守り、サバーナが「荷馬車が来るぞ! 急いで乗れ!」と叫んでいる。
荷馬車を乗り付けさせ、避難民を乗せて走り去る。単純なことのようだが、行きも帰りも魔物の群れを突破しないと成立しない。
荷馬車が憤然とした勢いで近づいてくるのが見えるが、そばに馬に乗った男が数人いて、槍や剣で魔物を遠ざけている。
見る見る荷馬車が近くなり、避難民たちも立ち上がった。
ついに荷馬車がアルカディオのすぐ横を抜け、無茶な運動をしながら速度を緩めた。危うくアールが轢き殺されそうにもなったが、身軽に避けている。リコが顔をしかめたのが薄明かりでも見て取れた。
ともかく、避難民三十人が荷馬車に次々と乗っていき、その周囲をアルカディオと、馬でやってきた男たちが守る。よく見ると馬に乗っているのはサバーナの部下ではなく、白の隊のもののようだった。見覚えのある顔がある。
避難民をどうにか荷馬車に全員、押し込んだ。
「アルカディオ様、どうかご無事で」
ルーカスが白の隊の者から馬をもらい、身軽にまたがる。すでに荷馬車は動き出していた。
「御武運を」
それがリコの別れの言葉だった。アールが「俺には何もないのかね」と漏らしたが、リコは何も言わなかった。意外に強情なのだ、とアルカディオは思ったりもしたが、言わないでおいた。全てを含めていい空気を乱したくはない。彼女も馬を借りてまたがる。
サリースリーは「またな」とアルカディオの腕を叩いただけだ。彼女も馬に乗ると、最後尾を走っていく。荷馬車はすでに加速しており、どうにかそのまま進めそうだった。
残されたのはアルカディオ、アール、ターシャ、サバーナだった。それと白の隊のものが三名、留まっていた。
突っ込んできた魔物を逆に切って倒し、露骨な仕草でアールが不思議そうにサバーナに声をかける。サバーナは避難民と共に逃げなかったのだ。
「あんたも一緒に逃げた方が良かったんじゃないのかい?」
心なしかサバーナは胸を張ったが、しかし肩が震えていた。
「これから一世一代の商売が始まるのですから、逃げられません」
それぞれに戦う理由がある、ということか。アルカディオはサバーナに感謝した。
魔物はまだ押し寄せてくる。話している間も、アルカディオとアールはひたすら剣を振っているのだ。
「とにかく、戦場へ向かいましょう」
そのアルカディオの言葉に三人が頷く。
すでにここも戦場のようなものだが、実際の戦場はここではない。
さらなる激戦が待ち構えていることを、アルカディオは確信していた。
そこにこそ、自分がいる意義があるはずだとも、理解し始めていた。
(続く)




